「目が合う」関係、浜野まいかと小山史乃観が見せる成長物語
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プレーできる楽しみとともに、グループステージ突破へ
「PKという形でしたけど、大会での初得点を決められて良かったです。ただ悔しい方が大きい。前半からもう少しみんなで息を合わせて点を決められたら楽に試合を進められたと思います」
PKで2得点を挙げ、オランダ戦に続きプレーヤーオブザマッチとなった浜野まいかは、土砂降りで締めくくられた試合をそう振り返る。トレードマークの笑顔は話す最中でも健在だが、反省の矢印は自分自身に向く。「次は流れの中でチームを勝たせる点を決めたい」と、柔和に語るその視界には既にグループステージ最終戦を捉えている。
浜野と同じく2戦連続で先発出場を果たした小山史乃観は、この日も左サイドで堅実なプレーを見せた。「個人的には課題はあるけれど、試合のたびに改善していきたい」と小山も次の試合を心待ちにする。幼なじみでもある2人に共通するのは、サッカーに臨むその姿勢だろう。大会が始まってからも「毎日が楽しい」と繰り返す浜野と小山は、ノックアウトステージ進出の懸かるアメリカ戦にも胸を躍らせる。世界大会のプレッシャーなどものともせず、それ以上にこのワールドカップの舞台を心の底から楽しんでいる様子だ。
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出会いの小学生時代、涙に暮れた中学生時代
「史乃観とはプレー中にめっちゃ目が合いました。それは今もそうです。あんまり目を見てくれる選手は多くないので、そこは史乃観だからこそかなと」
そんな2人は中学時代に同じチーム、セレッソ大阪堺ガールズに同期加入。互いに研鑽を積み、2018年にはトップチームにあたるセレッソ大阪堺レディースに揃って登録された。浜野は同年、中学2年生ながらなでしこリーグ1部で1試合に出場、小山も中学3年生となる2019年になでしこリーグ2部の5試合でピッチに立ち、若くしてトップカテゴリで揉まれる経験を重ねた。はじめは2人とも「強度が全然違って驚いた」と話すが、得られるものは試合よりも日々のピッチに多くあった。小山は懐かしさとともに振り返る。
「セレッソは本当にみんなうまくて、練習のレベルが高かったです。試合でうまくいかないというより、練習のほうがうまくいかない。試合に向けて調整するための練習、という感じでなく、毎日がサバイバルでした。当時まいかと1つ年上の荻久保優里さん(セレッソ大阪堺レディース)と自分の3人のうち、毎日誰かしらが泣いていましたね。まいかはそれでもよく笑っていましたけど」
よく泣いた思い出は、浜野にも印象深く残っている。
「年代的に年下だから『試合に出させてもらっている』という感じでしたが、それでもFWだからたくさんシュートを打って点を決めないと、とも思っていましたし、メンタル的に下り坂の日が多かったです。サッカーって結局メンタルが大切やなとめっちゃ思いました」
それでもピッチに出れば、年上の選手たちに追いつこうと無我夢中になってボールを蹴った。影響を受けたのは当時チームで背番号10を背負っていた林穂之香選手(AIKフットボール)だ。浜野が見たナンバー10は「プレースタイルは縁の下の力持ちで目立たなくても、黙々と自分のやるべきことを曲げずにやっていた」。なでしこジャパンでの練習でも最後までピッチでボールを蹴る林選手だが、「それはセレッソのときも同じで、その姿を見て自分たちも真似していました」と、憧れと共にその背中を追った。そこには先輩に負けず劣らずの向上心が2人からも感じ取れる。「あれだけ上手い人がやっているんだから、自分たちもやらないと穂之香さんに追いつけないし、追い越せないという思いだった」
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それぞれの決断
浜野と小山にとって、1シーズンを通して共に戦ったのはこの2020年が最後となった。翌年の2021年8月、浜野はINAC神戸レオネッサへの移籍を決断した。
「めっちゃ迷いました」浜野は本音と共にその時を思い起こす。「だけど自分がチャレンジしてみたいと思ったことが1番かな」と、決断の理由は好奇心旺盛な浜野らしい。しかし迎えたプロ1年目は想像を遥かに超える大変さだった。
「これまで育成にいた自分にとって、プロは全然違うんだなと感じました。試合に入る時の選手の目つきも違いますし、ここでも1週間に2回は泣いていましたね。とにかくシュートが入らなくて、練習で入っても試合で全然入らない。自分が下手くそだなと思い知らされました」
プレー中も絶えずニコニコしている浜野だが、それと同じくらいに涙も流しているという。「チームメイトからは泣き虫の称号を与えられました」と苦笑いするが、高校生にしてプロの世界に飛び込んで、平然とプレーすることの方が難しいだろう。
そんな浜野の状況を知ってか知らずか、小山は「WEリーグ、楽しそうやな」と浜野のプレーを眺めていたという。そして「自分も頑張らないと」と自分自身に発破をかけた。
小山にも、新たに始まるプロリーグへの思いが無かったわけではない。しかし、自分の中で渦巻く思いと向き合った結果、セレッソでプレーを続けるに至った。
「今プレーしている場所で目立つ活躍ができていないのに、自分のレベルではWEリーグには行かれへんなと。あとは育ててもらったセレッソを勝たせられる選手になりたいと思ったし、出ていくのであればそれでみんなに認めてもらってからと思いました」
笑いと涙に溢れた5年半を経て、2人は再びそれぞれの道を歩き始めた。
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約束した世界の舞台、再び同じピッチで
小山が今の2人の関係性を説明すると、浜野も「めっちゃ信頼している人にはそんなにまめに連絡しないじゃないですか」と続ける。その代わりに代表活動で顔を合わせたときには、溜め込んだ近況報告を事細かにするのだという。絶妙な距離感は、ピッチ上でのそれと同じだ。
小山がふと嬉しそうに思い出す。昨年浜野が大阪を離れる際に交わした、2人の約束についてだ。
「去年サヨナラした時に、『次はワールドカップ、世界で2人のプレーを見せよう』と話をしたんです。日本では一緒にプレーできないから、世界の舞台でやろうと。今がまさにその時だなと思っています」
2人の描く未来に限りはない。ワールドカップで最高の結果を求めることはもちろんだが、飽くなき向上心はさらなる高みに向いている。「世界で活躍することが目標ですし、世界の舞台で印象に残る選手になりたい」単に舞台に上がることだけでは満足しない小山に、浜野も続く。「サッカーって力があるスポーツだと思います。感動を与えられる、『わーっ!』と思われるプレーヤーになりたいです」。楽しそうに語る2人の顔には笑顔が弾ける。
浜野には忘れ得ぬ景色があるという。
「AFCU-16女子選手権での表彰式で、バーンと打ち上げられたキラキラのテープを下から見上げて、それが本当に綺麗だったんですよね。あれをまた見たいんです」
大会トロフィーがコスタリカの夏空に掲げられる時、彼女たちの顔に浮かぶのは笑顔か、涙か。それがどんな表情になろうとも、その経験はまた2人を一回り大人にしてくれるだろう。そしてその先に続く物語の中でも、きっと2人は目を合わせて一緒にボールを追いかけている。
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11浜野まいか(はまのまいか)2004年5月9日生まれ、INAC神戸レオネッサ、FW。セレッソ大阪堺ガールズ、セレッソ大阪堺レディースを経て、WEリーグ開幕と共にINAC神戸レオネッサへ。17歳でのデビュー戦となった開幕戦でいきなり2ゴールを挙げる活躍を見せた。ユニフォームシャツは「じゃまになるから」とパンツインするスタイル。コスタリカ出発前には久々に小山史乃観に連絡し、持っていく荷物内容をチェックした。
16小山史乃観(こやましのみ)2005年1月31日生まれ、セレッソ大阪堺レディース、DF。セレッソ大阪堺ガールズを経てトップチームに昇格し、2021シーズンには史上最年少(16歳)でなでしこリーグベストイレブンを受賞。疲れ知らずのスタミナでサイドの上下動を惜しまない。浜野まいかとの関係性を一言で表すと「スイカと塩」。インタビュー中によく質問内容を忘れる浜野に対し「いつもこうです」とツッコミを入れる。
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