「それでも前へ進む」NTTリーグワン2022プレーオフ3位決定戦試合前コラム
【クボタスピアーズ船橋・東京ベイ(ラグビー)】
だって、がっかりさせたくないじゃないですか
画面越しの子どもたちに優しく語りかけると、この日何度目かとなる「ラグッパ体操」をオンラインで繋がれた沖縄の子どもたちと共に踊った。
これは昨年の3月、NPO法人Being ALIVE Japanを通じて行われた、長期療養児とアスリートのオンライン交流事業での様子。クボタスピアーズのクラブハウスと沖縄の病院をオンラインで繋ぎ、ラグビーの動きを取り入れた体操「ラグッパ体操」を活用して、長期入院中の子どもたちと一緒に体を動かした。
出演したのは、桑江健一郎選手。チームで唯一の沖縄県出身。
イベント後に、桑江選手は
「試合より緊張した。」
と、はにかんだ笑顔を見せた。
桑江健一郎(くわえけんちろう)/1994年10月24日生まれ(27歳)/沖縄県出身/身長178cm体重86kg/沖縄県立コザ高校⇒流通経済大学⇒クボタスピアーズ船橋・東京ベイ(2017年入団)/ポジションはフルバック/愛称は「けんいち」 【クボタスピアーズ船橋・東京ベイ(ラグビー)】
日本人離れした飛距離と精度の高いキックも得意とし、ゴールキッカーも任される。
そして、なんといっても相手ディフェンスのスペースを見抜く嗅覚は天性のもので、「スルッ」と滑らかに突破するラインブレイクは、唯一無二といってもいい。その武器を活かして、ルーキーイヤーの公式戦デビュー戦でトライを奪った勝負強さもある。
プレー中は表情をあまり変えない桑江選手だったが、この日は終始にこやかだった。
本人は「緊張した。」と話すが、参加した子供たちはそれも感じなかったはずだ。桑江選手は子どもたちに自分の言葉で、ゆっくりと優しく語り掛け、初めて行う「ラグッパ体操」も完璧な仕上がりだった。
このイベントが決まってからというもの、練習後や休憩中にこのイベントの練習を一人で黙々と行っている桑江選手の姿をよく見かけた。後にその理由を聞くと
「だって、子どもたちをがっかりさせたくないじゃないですか。」
と話す。
「最初はスピアーズOBの稲橋さんから依頼を受けました。受けた時はまさか自分一人でやると思わなかったですが、やるからにはちゃんとやろうと時間が空いたらずっと準備していました。プロの選手が出てきて、準備もせずにイベントに参加している姿を見せたくなかったんです。」
イベント中でも、桑江選手自ら「もう一度やりましょうか?」と積極的に子どもたちと時間を共有しようとする姿が見えた。
ちょうどこの時期、桑江選手は長いリハビリ期間が終わろうとするころだった。
リーグワンの前身であるトップリーグの最終年、そのシーズン前のプレシーズンマッチで桑江選手は万全のパフォーマンスを見せ、このままいけば開幕スタメン入りの可能性もあった。だが、開幕直前に行ったプレシーズンマッチで膝の怪我。復帰するのに4〜5か月を要した。
その間、自らのポジションには新人選手だった金選手が抜擢。試合ごとに成長するパフォーマンスで、「最後のトップリーグ」を躍進していた。
あと少しで掴めたかもしれないレギュラーの位置。
そしてそこには、すでにそれを「定位置」としようする選手がいる。
歯がゆい気持ちがあったはずだ。
焦る思いがあったはずだ。
だが、桑江選手は長いリハビリの合間に、そんな思いを振り払うように子どもたちのために準備をしていた。イベントの最後に桑江選手は子どもたちにこう宣言した。
「いま怪我をしていますが、その怪我を早く治して試合で活躍している姿をみんなに見せたいと思います。そして、コロナが落ち着いたらきっとみんなのところに会いに行きます。」
2021年3月31日NPO法人Being ALIVE Japanを通じて 沖縄県立南部医療センター・こども医療センターに入院中のこどもたちと桑江選手がオンラインを通じて、ラグビーの動きを取り入れた体操「ラグッパ体操」を共に行い、体を動かしながら相互交流を行った。 【クボタスピアーズ船橋・東京ベイ(ラグビー)】
復帰、絶好調のシーズン、そして3月20日
戦いの場は、トップリーグからリーグワンに変化した。
桑江選手の怪我は回復し、11月に行われたプレシーズンマッチから出場し、熾烈なレギュラー争いに飛び込む。今、自身で振り返っても、絶好調の仕上がりだったと話す。
「今シーズンは調子が良かったです。これまでのシーズンを振り返ると、自分は怪我が多かったと思います。トレーナーに練習の参加率(全体練習に参加した割合。怪我をしていると割合が低くなる。)を調べてもらいました。2シーズン前は30%台後半、昨シーズンは60%台、それが今シーズンは90%台だったんです。その分、本当に調子は良かったです。『自分はこの舞台で勝負できる。』という自信もありました。」
NTTリーグワン2022が開幕しレギュラー定着、とまではいかなかったがリザーブで第5節から出場。桑江選手のポジションであるバックスリー(ウィングとフルバックの総称)は、今季全試合出場しているゲラード・ファンデンヒーファー選手がフルバックで安定し、ウィングは若い選手たちが入れ替わるようにレギュラーの座を争っていた。
NTTリーグワン2022では第5節、第7節、第8節と3試合出場した。 【クボタスピアーズ船橋・東京ベイ(ラグビー)】
シーズン途中だったが練習試合が行われた。公式戦の出場機会が少ない選手たちの試合機会の創出、そして各選手たちのセレクションやコンディションを確かめる場、さまざまな意味の持つ練習試合だった。相手は、前日の公式戦と同じ相手、東芝ブレイブルーパス東京。
桑江選手はこの練習試合に15番で先発する。
キックオフ直後から互いに火花散る激しい肉弾戦の攻防だった。
両チームの選手たちのこの試合にかける思いが全面に現れた、息をするのも忘れるような試合だった。
そんな好ゲームの序盤、前半10分にそれは起こる。
相手チーム陣の22mライン付近からディフェンスの場面。相手チームはラインアウトから1次攻撃でラックを作り、その後の2次攻撃を外に展開した。左外タッチライン際を抜け出したランナーに対し、後方に下がっていた桑江選手がタックルで仕留めに行く。
タックル直後、桑江選手は倒れて動けなくなった。
脳振盪だった。
プレーが止まるのを待たず、トレーナーが駆け寄る。
レフリーは状況を見て、すぐさま笛を鳴らして試合を中断させる。
怪我が付き物のこのスポーツに長年関わってきた人なら、選手の倒れ方でプレーに戻れるか、重篤なものかがわかってくる。桑江選手の倒れ方は、迷わず後者の方だった。
救急車が呼ばれ、試合は5分以上中断し、再開された。
意識を戻した桑江選手は、病院で検査を受け、無事を確認し一泊入院すると、家へ帰った。
転機はその数日後だった。
チームから「今後プレーをさせることはできない」と言い渡される。
学生時代から脳振盪を重ねていた。救急車で病院に搬送されたことも、今回が初めてではない。
ラグビーだけでなく、他競技のおいても脳振盪は深刻な問題となっている。
選手生命はもとより、一人の人間の生命という点で支障をきたす可能性がある。
チームとしても、選手の安全を第一に考えての判断だった。
だが、桑江選手はこのチームの通告に対して、理解はできても納得はできなかった。
後遺症もない、体はどこも痛くない。
これまでのシーズンで一番のコンディションだ、この状態でラグビーをやめたくない。
まだできる、もっとできる。
「『なにが起きても自分が責任を負うからラグビーをしたい』と最初に言いました。本当にラグビーが好きだったので、ラグビーをやめるという選択に心の底から納得することはできないと思ったので、チームには『時間をください。』と言いました。」
チームから時間をもらった桑江選手は、しばらく故郷の沖縄に帰る。
帰省して最初の一週間は「メソメソしていました。」と本人語る。
だが、家族と過ごしていくうちに心境の変化があった。
「なにもしないで前へ進めない自分が歯がゆかったです。こうしている間にも、時間は過ぎる。自分がプレーできないことを受け入れられなくても、前へ進まなくちゃいけない、そう思いました。」
ラグビーができないことに納得できないが、前へ進めていない自分にはもっと納得ができない。
桑江選手は、チームに戻ると日々の練習で、スタッフの手伝いを行い始めた。
ドクターから段階的に運動が認められるようなったが、ラグビーのプレーを認められてはいない。体を少しずつ動かし体力を戻しつつも、スタッフを手伝うことでチームと繋がった。
第15節のホストゲームでは、自ら志願して前日の試合会場準備を事務局スタッフと共に行う。
「特に深くは考えていませんでした。ただ、なにもできていない自分が嫌だったんです。」
チームスタッフの仕事を手伝った理由をこのように話す桑江選手は、これらの活動をプレー同様に淡々と行った。
だが第15節の試合当日に、パートナー企業やファンの方々と共に行ったごみ拾い活動では、一年前に沖縄の子どもたちに見せたような笑顔が表れた。
ホストスタジアム江戸川区陸上競技場で行われる試合前に行われるごみ拾い活動。第15節では、ファンの方も参加した。写真中央が桑江選手。 【クボタスピアーズ船橋・東京ベイ(ラグビー)】
託され、前へ進み、成長する
桑江選手の名前もその中にある。
プレーを続ける選手もいれば、引退する選手もいる。
「○○選手」と呼ぶのは、今季が最後になる選手もいる。
明日の3位決定戦。これがクボタスピアーズ船橋・東京ベイが、このメンバーで戦う最後の日となる。
本当は、一緒に同じユニフォームを着て、あのハドル(円陣)に入りたかった。
本当は、国立の舞台で、オレンジのスタンドに手を振りたかった。
本当は、沖縄の病院の子どもたちに、怪我から復帰して決勝で戦っている姿を見せたかった。
けど、それは自分にはできない。
だれかに、その思いを託すしかない。
桑江選手だけじゃない、引退選手だけでもない。
選手としてこのチームに入団したなら、試合でプレーできないことに納得できる日なんてない。
しかし、それでも前に進む。
大切なのは、理想とは言えない状況でどんな行動をするかだ。
いつか栄光を掴み取る、その傍らに自分がいなくても、今の自分の行動が未来のチームを作ると信じてる。
「初代王者」を目指していたチームにとって、望んでいた結果ではないかもしれない。
「決勝国立」を待っていたファンに対し、見せたい景色ではないかもしれない。
けれど、過去の積み重ねが未来を作る。
目の前の今が、これからを拓く。
一戦一戦プロセスを信じて戦ってきたスピアーズにとって、明日の試合こそがこれから向かうゴールを築く大切な一歩だ。
明日の試合について、桑江選手に聞いてみると
「残り1試合と思うと寂しい気持ちがあります。けれど、スピアーズらしいラグビーで締めくくってほしいです。自分たちは自分たちがやってきたことを信じているし、それをやればいい結果はでると思います。私に限らず、きっとみんな同じ気持ちだと思います。」
と言葉が返ってきた。
フィールドで戦うリザーブも合わせて23人の代表選手たち。
その背中には、たくさんの思いが託されている。
みんなが信じてきたスピアーズのラグビー。
照りつく日差しも、凍える風も、切磋琢磨し高めてきた技術と戦術。
いいプレーを共に喜び、だれかがミスをすればポンッと肩を叩いて励ますチームの風土。
このチームの一員になれたことを誇りに思えるような。
このチームを応援することで自分も元気になれるような。
そんな今季最後の一戦に期待したい。
選手から選手へ。
仲間から仲間へ。
今季のチームから来季のチームへ。
意志は託され、成長する。
だから今日も明日も、前へと進む。
文:クボタスピアーズ船橋・東京ベイ 広報担当 岩爪航
写真:チームフォトグラファー 福島宏治
2022年5月26日の練習の様子。田村選手と桑江選手 【クボタスピアーズ船橋・東京ベイ(ラグビー)】
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