【新日本プロレス】タイトル戦を控えたザック・セイバーJr.に直撃インタビュー!

チーム・協会

【新日本プロレスリング株式会社/中原義史】

史上最大規模で行われた『NEW JAPAN CUP 2022』を制して、2度目の優勝を掴んだザック・セイバーJr.。

4月9日(土)両国国技館大会で実現するIWGP世界ヘビー級選手権、オカダ・カズチカとのタイトル戦へ向け、いま何を思うのか? 直撃インタビューを敢行!!

撮影/中原義史


■『HYPER BATTLE'22』
・4月9日(土) 15:30開場 17:00試合開始
東京・両国国技館 <シリーズ最終戦>
★砂かぶり席は完売!!

1.4東京ドームでベルトを失ったのは悔しかったけど、タッグ戦線で学んだことはすごく多かった。

【新日本プロレスリング株式会社/中原義史】

――この度は4年ぶり2度目の『NEW JAPAN CUP』(以下、『NJC』)優勝、おめでとうございます。

ザック フフフ。(日本語で)アリガトウゴザイマス。

――近年はタイチ選手と共にIWGPタッグ王座を戴冠するなどタッグ戦線での活躍が目立っていましたが、今回はシングルプレイヤーとして大きな結果を残しましたね。

ザック いま振り返ってみれば、あのタイミングで俺とタイチがタッグを組んだのは自然の流れだった。当時、タナハシ(棚橋弘至)とイブシ(飯伏幸太)がIWGPタッグチャンピオンで、あの二人との戦いはすごく魅力的なものだったしな。

――2020年の2.21後楽園で棚橋&飯伏組がG.o.D(タマ・トンガ&タンガ・ロア)からIWGPタッグを奪取した直後、あなたとタイチ選手は新王者組を襲撃して、次期挑戦をアピールしました。その後、7.12大阪城ホールでIWGPタッグ初戴冠に成功しました。

【新日本プロレスリング株式会社】

ザック 俺たちがタイトルを獲ってIWGPタッグ戦線を活性化させたことで、ベルトの価値も上がったという自負がある。近年のタッグ王者はタッグ専門の選手が多かったけど、90年代を振り返るとシングルでもトップにいる選手があのベルトを巻いてたんだ。その状況を、俺たちの試合を通して取り戻すことができたのはよかったと思う。

――たしかに“タッグの戦い”に魅力を感じた内藤哲也選手やSANADA選手も、タッグ戦線に参入しました。

ザック このパンデミックの時期にこのエネルギーを注ぎこむものがあったのは、自分にとって大きなことだった。1.4東京ドームでベルトを失ったのは悔しかったけど、タッグ戦線で学んだことはすごく多かったな。

――その王座陥落でタッグチームとしては一つの区切りがついたというか。

ザック 本来、サブミッションを多用する自分のファイトスタイルというのは、シングルに向いてると思ってるんだ。ある種、タッグで本格的に戦っていた時期は、自分のシングルの能力を再発見する期間でもあったな。

俺はプロレスリングというのは短距離走ではなく、マラソンだと思ってるんだ。

【新日本プロレスリング株式会社】

――そしてシングルプレイヤーとして過去最大48選手がエントリー参加したトーナメントの頂点に立ったわけですが、周囲の反響含めてどのような気持ちですか?

ザック みんな、「ザックがチャンピオンになったぞ!」って感じで大きな扱いをしてくれるけど、俺としてはまだ「IWGP世界ヘビーのベルトに挑戦する権利を勝ち得た」としか思ってない。2018年にも俺は『NJC』を制したが、そのときはベルトを獲ることができなかったからな。

――18年の『NJC』で優勝したときは、直後の4.1両国で当時IWGPヘビー級王者だったオカダ選手に挑むも惜敗。今回も“春の両国”で、オカダ選手のベルトに挑むことになりました。

ザック ああ、あのときのウップンをここでぶつけて、今度こそ勝ちたいと思ってるよ。

――あなたは準々決勝(3.21長岡)でオスプレイ選手との英国人対決に勝利したあと、「俺はオマエの“ダイセンパイ”だ。俺はオマエより先に『NJC』で優勝したが、オマエは俺を追い越し、イブシを倒してIWGPヘビー級王者の座に昇り詰めた」とコメントしました。オスプレイ選手が、自分より先に新日本の至宝を手にしたことに対し、忸怩たる思いが?

ザック (日本語で)ソウダネ。まあ、ジェラシーっていう感情はデンジャラスなものだし、使い方を間違うと悪い方向にいってしまう厄介なもんだ。だから、それをいいエネルギーに使おうっていうのが、オスプレイに対する俺の気持ちだった。

――その気持ちが今回、見事に結実したと。

ザック さっきも言ったように、今年の1.4東京ドームでタッグベルトを落としたとき、俺は「さて、2022年のザック・セイバーJr.は何をしようか?」と考えたんだ。俺はこのパンデミックの最中に、家族の元に帰ることもなく日本で100パーセント、プロレスラーとしてコミットしてきたことや、今年はニュージャパンが50周年イヤーを迎えるということも踏まえて、やはりこのタイミングで頂点に立ちたいと思ったんだ……。



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著者プロフィール

1972年3月6日に創業者のアントニオ猪木が旗揚げ。「キング・オブ・スポーツ」を旗頭にストロングスタイルを掲げ、1980年代-1990年代と一大ブームを巻き起こして、数多くの名選手を輩出した。2010年代以降は、棚橋弘至、中邑真輔、オカダ・カズチカらの台頭で再び隆盛を迎えて、現在は日本だけでなく海外からも多くのファンの支持を集めている。

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