「自分を見失い、もがいていた」前半戦を乗り越え 勝者のメンタリティを持つ男が終盤戦の力になる #15竹内譲次

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今季からエヴェッサに加わった#15竹内譲次は、大阪府吹田市出身のいわゆるフランチャイズプレーヤー。洛南高時代から双子の兄・公輔とともに全国に名を馳せ、東海大在学時から長く日の丸がついたユニフォームを着て活躍するなど、日本のトッププレーヤーのひとりである。そんな彼のエヴェッサ入団が決まると、ファン・ブースターは大いに沸き立った。期待を背に開幕戦からスターターで起用されて24分出場したが、試合を経るごとにプレータイムが減少。出場時間が10分に満たないことも、多くなっていった。そこには移籍初年度ならではの難しさがあったと、彼は吐露する。

「僕は最初に日立サンロッカーズ(現SR渋谷)に入団して9シーズンプレーし、Bリーグが開幕するタイミングでアルバルク東京に移籍して5シーズン在籍しました。サンロッカーズからアルバルクに移ったころを思い返しても、いろんな部分でアジャストしないといけなかった。長年やってきたバスケットが、変わってしまいますから。エヴェッサに入るときは移籍の経験があったので、すぐに馴染めるかなと軽い感じでいたんですけど、いざやってみるとやっぱり難しかったです。本当にイチからのスタートでしたし、今でも難しさを感じる部分は残っていますね」

シーズン序盤戦はコートのなかで、背番号15が自分の居場所を探しているようにも映った。

「そうですね、もがいていたというか……。正直、自分がなにをやればいいのかわからず、見失っている時期だったと思います。チームのために、自分はなにができるのか。チームが求めていることと自分ができることを、すり合わせないといけない。そこが上手くハマっていなかった。ですがシーズンを経て、それが徐々にハマってきた実感があります。チームとしても個人としても、進むべき方向が徐々に定まってきたのかなと」

直前まで在籍していたA東京とエヴェッサのプレースタイルは大きく違い、それが竹内を悩ませたのだという。

「A東京はすごく決まりごとが多いチームだったのですが、エヴェッサはどちらかというと選手の感性を生かすプレーが多い。これまでに自分が培ってきたものを、すり合わせていこうと最初は思っていたのですが、なかなか上手くいかず……。シーズンの最初のころは正直、チームに自分を上手くアジャストできていませんでした。自分自身でも、もどかしかったです」

性格面では、考え過ぎてしまう傾向にあると自覚する。袋小路に入ってしまいそうになっていた彼を救ったのは、チームメイトとコーチ陣だった。

「序盤戦はシュートを打てばいい場面で、変に考えてしまったりしていました。そのころに#33アイラ(・ブラウン)が『お前はシュートが入るんだから、オープンで決めようが外そうが、しっかり打てばいい』とアドバイスをくれたんです。コーチ陣からも『オープンになったら、思い切ってシュートを打ってくれ』と声をかけられました。僕がちょうど迷っていた時期にそう言っていただけて、気持ちが楽になりましたね」

周囲からのアドバイスが奏功し、シーズンが中盤を迎えるあたりからプレータイムが戻り始めた。シーズンを通じての1試合平均出場時間は約14分だが、最近5試合に限定すると約18分。これは、ベンチからの信頼の証である。

「エヴェッサに来た当初は上手くすり合わせることだったり、すべてに完璧を求めていたんです。だけど今はもう自分のできること、たとえ短いプレータイムだったとしても、自分がやるべきことを100%やれば、それがチームのためになると思っています。そこの考え方も、変わっていきましたね」

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私生活に目を移すと、大学で関東に移り住み、関西に戻ったのは18年ぶり。久しぶりに帰ってきた地元の街には、あのころと違う景色が混ざっていた。

「新しい道ができていたり、お店とかもいろいろと変わっていました。とくに実家近くの店はほぼ変わっていて、でもそのなかでも残っている店があるとうれしく思いますね。そうそう、この前実家に帰ったらリフォームしていて、玄関のドアが高くなっていたんですよ。おかげで、入りやすくなりました。もっと早くにしてくれていたら良かったのに(笑)」

家に帰ると、ふたりの子どものパパ。オフの日の楽しみは、長男と銭湯に出かけることだとか。

「オフのいちばんのリラックス方法は、10歳になったお兄ちゃんとスーパー銭湯に行くことです。僕も小さいころお父さんに連れられて銭湯に行っていましたが、僕はあまり行きたい方じゃなくて、むしろ連れて行かれていたんです。だけどウチのお兄ちゃんは自分から行きたいと言うので、よくふたりで行っていて、今はそれがいちばん楽しいですね」

初めて地元のチームでプレーすることを、開幕前から楽しみにしていた。実際にプレーしてみて、やはり特別な思いを感じている。

「コロナにも関わらず、ファンのみなさんがすごく熱心に応援してくれているのを感じています。エヴェッサに来たばかりの自分のジャージを着て応援してくれてる方も見受けられますし、アリーナですれ違った際に優しい言葉をかけていただいたりして、すごく温かい気持ちになります。前のチームは会場が小さかったのですが、おおきにアリーナは大きいので、たくさんのお客さんが入ると迫力がありますよね。多くの方に応援していただき、いつも後押ししていただいて感謝しています」

シーズンはいよいよ、終盤戦。エヴェッサはここから、逆襲を仕掛けていきたいところだ。そんなチームに、竹内はどう貢献するというのか。

「自分はたとえば#25ディージェイ(・ニュービル)みたいに、派手なプレーができるわけじゃない。僕の強みといえば、ディフェンスとリバウンド。オフェンスだったら、チームの流れをよくすること。自分がチームの流れを作り出すというか、ボールの回しでオフェンスがスムーズにできるような、つなぎの役割が自分の長所だと思う。リバウンドも自分が獲れなくても、チームとして獲り切れるようにしっかりボックスアウトしたり、そういった部分を引き続きやっていきます」

今年の1月に誕生日を迎え、37歳になった。ベテランと呼ばれる年齢になっても、自らの成長を貪欲に求め続ける。

「年齢を重ねて身体的な部分は落ちてきていますが、経験や技術でどれだけカバーできるか。バスケットボールでは、それができると思う。そこの部分も、成長していきたい。成長しないと、この年齢だと落ちていくだけ。身体的な衰えに対して、技術的な部分が伸びないと選手として衰えていく一方です。そうなると、チームのためにならない。チームに契約していただいている以上、自分にできることをしっかりやらないといけない。そう自覚して、日々の練習や試合に臨んでいます」

彼は強豪チームで、“勝者のメンタリティ”を培ってきた。これからより厳しい戦いが続く終盤戦に、ジョージの存在は心強い。
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著者プロフィール

2005年にクラブ創立。七福神のお一人で商売繁盛の神様である「戎様」を大阪では親しみを込めて「えべっさん」とお呼びするところから、 人情・笑い・商売の街大阪を活気づける存在であることを願い「大阪エヴェッサ」と命名。 同年にスタートしたbjリーグで開幕から3連覇を成し遂げる。 2016年9月に開幕した男子バスケットボールの最高峰・Bリーグでは、ホームタウンを大阪市とする大阪唯一のクラブとしてB1に参戦。

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