江戸のスポーツ産業に関する研究 -近世日本のスポーツ産業史研究序説-
【イメージ写真】
スポーツ用品産業、スポーツサービス・情報産業、スポーツ空間・施設産業はすでに近世の江戸には出揃っていた
17世紀には、江戸のスポーツ産業のターゲットは政権を担う武士層だった。江戸の武士は勧進相撲や通し矢競技に熱中したが、そのようなスポーツはいずれも上方の影響を強く受けていた。中世以来の伝統が、スポーツの世界にも色濃く残っていた時代である。
17世紀末になると、江戸庶民の急激な人口増加や経済的な台頭によって、庶民をターゲットにした各種の都市型スポーツ産業が興隆した。スポーツ用具の製造販売業が盛んになり、勧進相撲や楊弓などのスポーツ空間産業も成長を遂げる。
19世紀に入り爛熟した庶民文化が興ると、江戸のスポーツ産業は成熟期を迎える。江戸の膨大な人口や庶民層の経済力の向上、そして持続的な平和社会の実現が、都市型スポーツ産業のさらなる発展を後押しした。都市の貨幣経済が各地の農村にも浸透すると、旅行文化の成熟という時代背景も手伝って、勧進相撲の巡業をはじめ江戸の都市型スポーツ産業の波は地方にも及んでいく。
明治期以降の日本のスポーツ産業は、スポーツ用品産業、スポーツサービス・情報産業、スポーツ空間・施設産業の領域をベースに発展してきたとされるが、すでに近世の江戸にはその要素が出揃っていたといえよう。近代スポーツの移入を待つことなく、日本の江戸という都市には、広範なスポーツ産業の世界が形成されていたのである。ただし、これを下敷きに近代以降の日本のスポーツ産業が連続性をもって発展していったのかどうかについては、なお一層の歴史的な検証が必要となろう。
本論文は、近世の江戸を対象に、社会・経済的な背景を踏まえながら各々の時代に展開したスポーツ産業の特徴を明らかにした序説的な研究である。今後は、対象となる時代や地域を絞り込み、個々のスポーツ産業を掘り下げて考察するような個別研究が構想されねばならない。
谷釜 尋徳 東洋大学法学部
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