箱根駅伝 早大・中谷「ショックで言葉が見つからない」/往路メンバーコメント集

チーム・協会

【関東学連/陸上競技社】

第98回東京箱根間往復大学駅伝 1月2・3日 東京・大手町読売新聞東京本社前⇔神奈川・箱根町芦ノ湖駐車場入口

【早稲田スポーツ新聞会】記事 布村果暖、写真提供 関東学連/陸上競技社 ※禁転載

 青学大の総合優勝で幕を閉じた第98回東京箱根間往復大学駅伝(箱根)。早大は優勝という目標を掲げながらも、まさかの13位に終わりシード権を逃した。千明龍之佑駅伝主将(スポ4=群馬・東農大二)ら4年生にとっては最後の『エンジ』。箱根路を駆け抜けた選手たちに、レース直後の心境を伺った。

1区・井川龍人(スポ3=熊本・九州学院)「結果を見てみれば練習が積めていなかった」

【関東学連/陸上競技社】

――一晩たちましたが、改めてレースを振り返っていかがですか

1区の仕事としては何も果たせなかったなと思っています。

――1区での出走が決まったのはいつですか

結構直前で決まりました。

――事前取材の際にあまり調子が上がっていないという話がありましたが、レース前の調子はいかがでしたか

いろいろ言うと言い訳っぽくなってしまうのですが、事前取材の時に調子が上がっていないと話したように、練習ができていなかったです。1週間前くらいから調子が上がり出して、いけるとは思っていたのですが、結果を見てみればやはり練習が積めていなかったというところで、20キロ走ることができなかったのだなと思いました。

――後半はスタミナが足りなかった感じですか

スタミナもだし、体が走れる状態ではなかったという感じです。

――スタートラインに立った時点で、体の調子や準備といった面での不安は感じていましたか

不安はあってもスタート前は不安だと感じないようにはしていました。

――レースプランはありましたか

普通に走れたら吉居(大和、中大)にも付いていけたと思うし、留学生が来るかもしれないという話があって、先頭に付いていくつもりではあったのですが、いざ走ってみると全然思うように動かず、思い描いていたレースはできなかったです。

――序盤に吉居選手が引っ張っていた時のペースはどのように感じていましたか

最初5キロくらいは余裕で付けていたのですが、そこから先はキツくなってきて、このまま付いていったらダメだなと感じて、ペースを落としました。

――その後吉居選手が飛び出して2位以下が大きな集団になったときの動きはいかがでしたか

前半飛び出してしまった分、できるだけ力を使わないように温存させようと思って走っていたのですが、10キロ手前くらいからキツくなったりキツくならなかったりの波が激しく、後半集団がばらけた時に付いていけなかったです。

――タスキ渡しの時に中谷選手からどのような声かけがありましたか

あったとは思うのですが、キツくて何も覚えていないです。

――総合13位という結果については今どう感じていますか

良い成績だった人は正直いないと思っているのですが、集中練習の段階で一つになれていなかったことなどから、こうなってしまうのも仕方ないと思いました。やはり準備が大事だなと感じました。

――今年の経験はどのように来年につなげていきたいですか

すごく悔しい思いをしたので、来年以降こういった思いを、自分たちもだし、後輩たちもしないように、今ゆるくなってしまっている早稲田を、自分にも厳しくチームにも厳しく、これまでとは違うチームを作り上げていきたいなと思っています。

2区・中谷雄飛(スポ4=長野・佐久長聖)「ショックで言葉が見つからない」

【関東学連/陸上競技社】

――今の率直なお気持ちをお願いします

少し状況が飲み込めてないといいますか、ショックで言葉が見つからない感じです。

――それはチームの順位、個人の走り両方ですか

半分半分です。僕自身も、難しい順位の中でレースを進めましたが、チームに勢いをつけられる走りができなかったので、申し訳ないですし、チームとしてもまさかシード落ちまでいくと思っていなかったので。その両方の面で、ダメージというか、ショックを受けました。

――16位でスタートしましたが、どのような思いでしたか

正直、正確な順番は分かっていなかったので、とにかく一つでも前にいこうと走りました。ですが、前を追った時に視界に入ったのが、2人ぐらいで。その選手をひたすら追い抜こうと走りましたが、なかなか1人でずっと走っていくのはしんどかったです。

――プランとしては

2区は後半勝負だと思っていたので、突っ込みすぎず、遅すぎずのペースで入りました。ほぼ一定で刻んでいきました。最後の坂はただただしんどかったです。

――ご自身の走りはどのように評価していますか

非常に難しい状況でしたが、記録を見た時に、目指しているものからかなりかけ離れていてショックというか、申し訳ない気持ちでいっぱいです。

――調子については

箱根前の2週間は、かなり練習量を積んできたので、疲労で苦しい時もありました。ですが、本番の週はできることをしっかりやって、いい状態で箱根という舞台に臨めたとは思っています。

3区・太田直希(スポ4=静岡・浜松日体)「大会前は走れるのか不安だった」

【関東学連/陸上競技社】

――今、どのような気持ちが一番大きいですか

情けないなということと、何がいけなかったんだろうというところですかね。

――悔しさよりもやるせなさの方が大きいのですか

そうですね、悔しさはもちろんあるにはあるんですが、誰も力を残して終わった選手はいないと思いますし、全員頑張った上でのこういう結果なので、本当に何が原因なんだろう、どうしてこうなっちゃったんだろうというのが一番ですね。

――個人の走りを振り返って、当日の調子はいかがでしたか

走ってみないと分からないような感じでした。自分の調子はあまり分からなくて、レース前は結構走れるのかなという不安が大きかったです。

――調子を合わせられている感覚はありましたか

直前の練習などであまり自分の走っている感覚がよくなかったので、調子が上がっているのかどうなんだろうという感じで。大会前は本当に走れるのかが一番不安でした。

――1、2区が苦しい展開となりましたが、どんな気持ちでスタートしましたか

予想以上に苦しい展開で、監督(相楽豊駅伝監督、平15人卒=福島・安積)からは「自分のペースで、自分のリズムで刻んでいこう」という指示をもらっていたので、まずは突っ込んだりせず冷静にという思いで走り出しました。

――実際に走り始めて、神奈川大や順大と並走するシーンもありました。展開を振り返っていかがですか

5キロを14分15秒で入って、神奈川にどんどん追いついているのが分かったので、悪くないなと思ったんですが、順大の伊豫田(達弥)が予想以上に速くて。7キロくらいで追いつかれたんですが、そこは冷静にと思って、給水の10キロくらいまではついていました。でもそこからはきつくなったというか、リズムに対応しきれなくなって、そこで一回離れてしまったという感じですね。

――離れてしまったのは自身の調子が悪かったのか、相手の調子がよさそうだったのかどちらでしょうか

結構速いペースだったので、自分がそこで本当についていけばもっといい記録が出たんでしょうけど、その10キロくらいの地点で、ついていったらやばいかなとネガティブになってしまって。そこで一度引いてしまったところがありました。

――その後は単独走になりましたか

そうですね。海岸線はほぼ単独走でした。

――ご自身の走りを振り返って、どのように評価しますか

ケガで全日本(全日本大学駅伝対校選手権)を欠場してそこから1カ月半くらいで練習してきたわけですが、その中で少しは粘りを見せられたかなと思います。でもやっぱり展開として、伊豫田と一緒に行っていれば創価大と一緒に渡せて、(4区の)石塚が嶋津(雄大、創価大)と一緒に走るという展開が見えていたので、そこで一歩引いてしまった自分が弱かったなと思います。

――総合結果を改めて振り返っていかがでしたか

実際のところ、まさか自分たちの代でシードを取りこぼすと思っていなかったですし、こんな結果になってしまって、後輩たちには申し訳ないと思います。

4区・石塚陽士(教1=東京・早実)「全体的にまとめられたレースだった」

【関東学連/陸上競技社】

――初めての箱根でした。個人として率直な感想は

かなり悔しい結果になってしまって、まだ気持ちの整理がついていないかなという感じです。

――レース前の調子は

調子に関しては、集中練習も100パーセントできていてかなりいい状態で臨めたのではないかなと感じています。

――4区での出走となりました。監督の指示やレースプランは

4区のコース柄、アップダウンがあり難しいということもあるので、前半は前に付こうか後ろから追いついてこられようが、最初はある程度自分のペースを保って後半に上げていこうという指示をもらいました。

――区間6位、順位も三つ上げてシード圏内の10位まで押し上げました。ご自身の走りを振り返って

監督の指示通り、比較的抑えて入って後半上げられたのはよかったと思うのですが、やはり区間順位を見ると少し抑えすぎた、もう少し突っ込んで入った上で後半上げていくというレース展開ができればよかったのかなとも思います。

――その抑えた前半のペースは

1キロ3分切るくらい、2分57、58秒のイメージです。

――終盤5キロで2人を抜きましたが、ペース自体を上げたのでしょうか

ペース自体はイーブンで1キロ2分57秒くらいでしたが、コースも難しくなってくるので相対的に速くなる、という感覚です。

――20キロ超のレースは初めてだったと思いますが、その点に関して

だいぶ集中練習の出来もよかったので自信を持って臨めました。11月のハーフ(21キロタイムトライアル)に比べると後半の失速もなくて全体的にまとめられたレースだったのかなと思います。

――チームとしては総合13位でシード権を失うというかたちになりました

うーん、やはり悔しいといいますか…。走る前は優勝を目指していくというふうにやってきたチームだったので、シード落ちという結果になってしまってまだ全然気持ちの整理がついていなくて。コメントも見つかっていないです。切り替えるしかないというのは分かっていて、来年の箱根に出るためには予選会を通過しないといけないので、そこに合わせてやっていく必要があると思います。

――オフを挟んでまた新しいシーズンが始まります。そこに向けた意気込みを

まず3月からはトラックシーズンが始まるのでそこでしっかりスピードをつけて、競り合いに生きるような力をつけたいです。シーズン後半にかけてはより距離を走り込んで、将来的には2区を走っていけるようにならないといけないなと思います。箱根のエース区間を任せられても対応できるような走力を、これからつけていこうと思います。

5区・伊藤大志(スポ1=長野・佐久長聖)「自分の想定以上のタイムで走れたが、順位が伴わなかった」

【関東学連/陸上競技社】

――まず、どのようなレースプランを考えていましたか

5区に行くことが決まった時から、駒野さん(亮太長距離コーチ、平20教卒=東京・早実)や前回大会で走った諸冨さん(湧、文1=京都・洛南)からアドバイスをもらっていました。箱根湯本駅までの平坦な前半3キロは、できるだけ足を温存し、上り始めの箱根湯本駅を過ぎたあたりから、ギアを上げていくイメージでした。一番傾斜のきつくなる宮ノ下から上りきるまで、足を残し、ラストは粘っていくレースプランを考えていました。

――自分の走りを振り返って、いかがでしたか

後ろからスタートした東洋大学の宮下(隼人)さんは実力者なので、早く追いつかれるのかなと思い、予定通り3キロは足をためてゆっくり行って、もし追いつかれてもリズムを崩さず差は最小限に抑えることを考えていました。しかし、宮下さんが追いつくのが想定よりも遅く、離せたと感じていました。結果的に宮ノ下の一番傾斜がきつくなるところまでうまく自分のリズムで行けて、そこから粘るという当初のプラン通りに行けました。テレビでは映ってはいませんでしたが、宮下さんに追いつかれても粘って、追い抜いたり、並走したりできました。そこは評価できる点かなと思います。

――レース前の体調や緊張の度合いはいかがでしたか

体調自体はすごく良かったです。集中練習も全てこなせて、直前の体の状態も上がっていたので、その面では不安なく臨めました。精神面では、初めての箱根駅伝、20キロという未知の距離だったので、かなり緊張していました。当日の朝も、付き添いの先輩や同期と話している中でもすごく緊張しているなという気持ちはありました。ですが、出雲のように緊張して体が動かなくなることを一番避けなければいけないと考えていたので、練習やアップではリラックスすることを意識していました。

――今回の区間順位やタイムをどのように捉えていますか

想定以上に走れたのでタイムとしては合格点かなと思っています。しかしタイム以上に順位を削り出すことができませんでした。自分の想定以上のタイムで走った中で順位が伴わなかったことは、弱さの表れというか、勝負できなかったところが、僕と順位を上げた選手との総合力の差だなと感じています。

――初めての箱根出走はいかがでしたか

箱根は陸上を始める前から見ていて、箱根といえば5区というくらい重要な区間を走っている感動というか、フワフワした感覚がありました。走っている最中は必死で、死ぬ気で走っていたので、考える余裕はなかったのですが、走り終わって倒れこんでしまった時に、初めての箱根駅伝が終わったなというフワフワした感じが少しありました。

――初めてということで、感情的になったということですか

初めて走ることができて、走っている中で冷静に対処する部分、宮下さんに追いつかれたらどうしようとか、前が見えない中でどうやって自分のタイムを刻んでいくのかを冷静に考えている自分がいました。その反面、走れている喜びを持ち合わせており、不思議な感覚でした。

――箱根での収穫と課題は何ですか

箱根駅伝の距離や上りの適性などは、順位を見ると僕に残り3年間安心して5区を任せてもらえるものではないかなと思っています。「これからも箱根で5区を目指して頑張りたい」、「5区を任せろ」と大口をたたけるわけではありません。その中でも抜かれてから抜き返すというか、抜かれてからできるだけ差を縮めて渡そうと考えて走れたのが一番の収穫かなと思っています。強さを求める上で大切にしなければならないことを、少し見ることができたことが今回の良かった点です。

 箱根の上りの重要度を重々承知はしていたのですが、やはり最後に差されてしまった東海大の吉田(響)選手や僕より前でゴールした選手を見ると、5区の重要さを改めて感じ、専門的な練習で適正を磨いていく必要があると思いました。自分の最善以上の走りはできましたが、それでも敵わなかった地力の差を感じているので、平坦と上りにかかわらず今後課題になってくると思います。大学に入ってから求めている強さというものを感じた5区でした。
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著者プロフィール

「エンジの誇りよ、加速しろ。」 1897年の「早稲田大学体育部」発足から2022年で125年。スポーツを好み、運動を奨励した創設者・大隈重信が唱えた「人生125歳説」にちなみ、早稲田大学は次の125年を「早稲田スポーツ新世紀」として位置づけ、BEYOND125プロジェクトをスタートさせました。 ステークホルダーの喜び(バリュー)を最大化するため、学内外の一体感を醸成し、「早稲田スポーツ」の基盤を強化して、大学スポーツの新たなモデルを作っていきます。

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