【水戸】私のミッション・ビジョン・バリュー2021年第14回 黒石貴哉選手「距離感近いJリーガー」

水戸ホーリーホック
チーム・協会

【ⒸMITOHOLLYHOCK】

水戸ホーリーホックでは、プロサッカークラブとして初めての試みとなるプロ選手を対象とした「社会に貢献する人材育成」「人間的成長のサポート」「プロアスリートの価値向上」
を目的とするプロジェクト「Make Value Project」を実施しています。

多様性と交流を基盤に、様々な業種の講師を招聘し、異業種の方々の価値観や使命感に触れることで、プロアスリートとしての存在意義や社会的な存在価値を選手たちに問い続けます。

その一環として、キャリアコーチと選手が継続的に面談をして「ミッション」「ビジョン」「バリュー」の策定をする取り組みが昨年から行われています。

ミッション・・・社会の中での自分の役割
ビジョン・・・ミッションを実現した理想の未来像
バリュー・・・日々のこだわり、行動指針

原体験を振り返り、自らのサッカー選手であるうえのスタンスや価値観、使命感を見つめなおすことでピッチ内外でのパフォーマンス、言動、行動の質の向上につなげていこうという取り組みです。

今季も選手・スタッフの今季策定した「ミッション」「ビジョン」「バリュー」を紹介していきます。
2021年第14回は黒石貴哉選手です。

(取材・構成 佐藤拓也)

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Q.黒石選手は今年8月に加入しましたが、MVV作成のための面談はどのぐらい行いましたか?
「2回ですね。1回1時間ぐらいでした。前のチームではそういう取り組みはまったくしてなかったので、よかったです」

Q.実際、面談してみていかがでしたか?
「自分の生い立ちというか、どうしてサッカーをはじめたのかということを深く聞かれました。そういったことを深く話す機会は今までなかったので、新鮮でしたし、久々にいろんなことを思い出しました。嫌な記憶も思い出してしまうこともありましたが(笑)、楽しかったですよ」

Q.自分らしい言葉を選べましたか?
「いいMVVができたと思っています」

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Q.まずMISSIONについて聞かせてください。「エリートじゃなくても、諦めずに夢をかなえる姿を伝える」という言葉に込めた思いは?
「小学校から中学校まで某Jリーグクラブの下部組織に所属していました。小学校の時は身長が高くて、スピードもあって、結構活躍することができていたのですが、中学校に入ってから、周りの選手と比べて自分の成長速度が遅くて、中学3年生の時に中学1年生と一緒にプレーするような立ち位置になっていました。なので、ユースに上がることはできませんでした。高校と大学はサッカーの強豪校と呼ばれる学校ではない学校に進学しました。でも、そこからプロに這い上がってくることができました。その自分の過程を、現在エリートと言われるようなキャリアを積んでいない子どもたちに伝えることができると考えて、この言葉を選びました」

Q.中学時代は周りの成長速度についていけなかった感じだったのでしょうか?
「監督の要求が高く、なかなか期待に応えるプレーができませんでした。厳しい言葉をかけることもあり、次第に恐る恐るプレーするようになってしまったんです」

Q.当時、「何が何でもプロになりたい!」といった思いはなかったのでしょうか?
「なかったですね。監督に怒られないようにプレーすることばかり考えていました(苦笑)」

Q.そういうマインドだと成長しないですよね。
「中学校の時は自分自身が腐っていたと思います。練習に行くのも、学校の委員会活動などあえて最後まで残って、練習に頑張って遅れるようにしていました。どうやって遅れるかとか、そんなことばかり考えていました」

Q.そういう時期を経験した人って少なくないと思います。そこでサッカーをやめてしまう人も多いと思います。それでも、サッカーを続けたのはなぜでしょうか?
「サッカー自体は好きだったんです。一度、中学校3年生の時、親にサッカーをやめたいと相談したことがありました。でも、親から『やめさせない』と言われたので、続けることにしました。その監督と合わなかっただけで、サッカーが好きだったから続けられた感じですね」

Q.高校は神戸国際大学付属高校に進みます。サッカーをするために選んだのでしょうか?
「サッカーがうまい知り合いがその学校にいたんですよ。その人と一緒にサッカーをしてみたいと思って選びました」

Q.全国大会に出るような学校ではないですよね。
「兵庫県でもベスト8に入れるかどうかといったチームでした」

Q.プロを意識したのはいつですか?
「本気で思ったことはありませんでした。ずっとなんとなく『プロになれればいいな』ぐらいにしか考えていませんでした。大学4年生のタイミングで、J2のチームに練習参加をさせていただいたのですが、その時でさえ、本気でプロになりたいと思っていたわけではありませんでした。周りが就職活動をしているけど、自分だけ就職活動をしていなかったんです。サッカーで生きていきたいというか、普通に仕事をするのが嫌だったんですよね(苦笑)。趣味程度にサッカーをするのも違うし、自分が会社に就職して仕事をしている姿も想像つかなかった。プロになりたいとうより、ずっとサッカーをしていたいと思っていました」

Q.大学卒業後、JFLのMIOびわこ滋賀に加入しました。どういった経緯だったのでしょうか?
「どこからもオファーがなかったので、自分で応募してセレクションを受けたんです。そして、合格したので、加入することとなりました」

Q.MIOはプロではないですよね?
「午前中に練習して、午後は飲食店で働いていました。午後2時から夜11時まで働いて、帰宅するのは夜12時過ぎ。それで次の日はまた朝からサッカーをするという日々を過ごしていました。途中で仕事場を変えて、そこまで夜遅くまで働くことはなくなりましたが、それでもかなりきつかったですね」

Q.翌年にJ3のヴァンラーレ八戸に移籍します。
「MIOの監督が八戸の監督に就任することとなり、連れて行ってもらったという感じでした。本当にタイミングがよかったです」

Q.「絶対にJリーグに這い上がる!」と思っていたわけでもないのですね。
「這い上がりたいという思いはありましたが、そのために何かをしていたわけでもありませんでした。生活もきつかったですし。実際、MIOでは20試合に出場して1点しか取れませんでした。その監督が八戸の監督に就任したことがすべてでしたね。運とタイミングです」

Q.それでも八戸で活躍して、今夏水戸に加入しました。
「八戸に入った時に感じたのですが、DAZNで試合を放映してくれるので、多くの人が見てくれるようになるんですよね。なので、上に上がれるチャンスがあるんじゃないかと考えるようになりましたね」

Q.そこで欲が出るようになった?
「自分自身、全然欲がないんですよ。這い上がりたいというより、ここで頑張って結果を出せばチャンスがあるかなぐらいしか考えていませんでした」

Q.ご自身のキャリアを振り返って、今J2でプレーできているのはなぜだと思いますか?
「運とタイミングだと思います。それこそ、MIOの監督との出会いですね。それまでFWとしてプレーしていたのですが、その監督と出会って、サイドバックやウイングバックにコンバートされることとなり、今のプレースタイルを見出してくれました。自分も求められたプレーをやり続けたことによって、今があるんだと思います」

Q.振り返ってみて、中学時代に「もっとしっかりやっておけばよかった」と後悔することはありますか?
「『もっとやっておけばよかった』と思うこともありますが、あの時があるから今があるような気もします」

Q.「諦めずに夢をかなえる」とありますが、今の夢は?
「ここまで来たらJ1まで行きたいです」

Q.そのために取り組んでいることはありますか?
「水戸はクラブとしていろんなことをしてくれるんですよね。筋トレもケアもいろいろしてくれるし、自分で何かを変えるというより、ここにいることで自分の体や意識が変わってくる。特に自分の場合は下のカテゴリーから来たということもあり、そういった変化をものすごく感じています」

Q.エリートではない人たちに「夢をかなえる」ために必要なことをどのように伝えますか?
「サッカー自体を楽しむことが一番大事だと思うんです。エリートはエリートでいい環境で、いい指導を受けているかもしれませんが、どんな学校やチームだろうと、サッカーを楽しむことができていれば、成長できるだろうし、道が開けていくと思います。なので、楽しむことが大切だと思います」

Q.高校と大学ではサッカーを楽しめていたのですね。
「楽しかったですね。小学校と中学校では監督の目を気にしながらプレーしていたんです。その分、高校と大学ではチームメイトと毎日サッカーを楽しむことができていました。解放感を感じながらサッカーに打ち込むことができていました」

Q.実績や知名度でチームを選ぶことより、自分に合ったチーム選びが大切だということですね。
「本当にそう思います。中学時代はサッカーをしたくなかったし、練習に行っても監督の目を気にしながらプレーしていたので、自分らしさを出すことはできていませんでした。高校・大学は早く練習に行きたいと思うことができていました。それがよかったと思います」

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Q.次はVISIONについて聞かせてください。「ファンから一番身近な存在として、サッカーの楽しさを伝え続けること」。どんな思いでしょうか?
「高校や大学からプロになる人がほとんどだと思うのですが、自分は今年の夏まで仕事をしながらサッカーをしていました。八戸時代は学童保育で働いていて、八戸の試合を見に来てくれる親御さんの子どもを預かるようなこともありました。選手とサポーターでありながら、先生と保護者という関係でもありました。試合会場で、保護者の方がいらっしゃったら、僕らから話しかけるようにしていました。なので、あまり自分はプロだという実感はないんですよね」

Q.ファンやサポーターの方との垣根はないと。
「ですね。水戸に来るまではずっと仕事をしていたので、プロになった感覚はまだありません。なので、今はコロナ禍ということで難しいのですが、サポーターの方ともたくさんお話をしたいんです。八戸時代は学童にお迎えに来た親御さんと15分ぐらい話をしていましたから(笑)。そういう生活を過ごしてきたので、サポーターの方に身近な存在と感じてもらえると思っています」

Q.近い存在であればあるほど、応援する熱は高まると思います。
「水戸も距離感が近いチームだと感じています。僕は関西人なので、しゃべるのが好きなんですよ。なので、サポーターの方ともたくさんお話をしたいです。自分は下から這い上がってきたので、無理にプロらしい対応をするのではなく、今まで通りの対応をしていこうと思っています」

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Q.VALUEについて、一つずつ聞かせてください。一つ目は「なるようになる」。
「自分にはあまり欲がないんですよ。ただただサッカーが好きなだけで、何事もその上でなるようになる感じで生きてきました。大学卒業後もプロからオファーは来ませんでしたが、『なんとかなるでしょ』と思ってJFLチームのセレクションを受けに行っていました。サッカーが好きという気持ちだけでここまでやってきました」

Q.あまり自分を追い詰めない方がいいタイプなんでしょうね。
「いい意味でも、悪い意味でも、ポジティブなんですよ。あまり深く考え込むタイプではないですね」

Q.元々そういう性格だったのでしょうか? 
「中学校の時は考え込んでしまうタイプだったんです。自分みたいに監督の顔色を見てサッカーするのは絶対に楽しくない。やっぱり、楽しくサッカーをすることが大切だと思います」

Q.2つ目は「考えすぎず、自然体」。1つ目の延長線上の言葉ですかね。自然体でいるって、簡単なようで難しいですよね。
「ミスをした時に厳しく言われると沈んでしまうところはありますが、でも、サッカーは瞬間瞬間で状況が変わるので、気にしすぎても仕方ないと思うんです。なので、あまり深く考えすぎないようにして、次のプレーに集中するようにしています」

Q.サッカーはメンタルスポーツですからね。ミスしても、メンタルを落とさずに、一定のメンタルでプレーすることが大切です。
「そういう意味でも欲を出さないようにしています。欲を出すのはFWだけでいいかなと。自分はあまり欲を出さないようにしています」

Q.次は「周りを観察し、周囲に合わせる」。周りを見るタイプなのですか?
「人間観察が結構好きなんですよ。1人の時間になった時はよく人を見ています(笑)。自分はこだわりがない人なんですよ。ご飯も何でもいいというか、一緒にいる人の好みに合わせられるんです」

Q.サッカーにおいては周りに合わせることは大切ですよね。
「周りに合わせるようにプレーはしていますが、まだまだ周りの人に迷惑をかけてしまっているところがあるので、もっと頑張らないといけないと思っています」

Q.ロッカールームでもチームメイトを観察している?
「観察する前にいじられちゃうんですよ。このチームにはうるさい選手が多いので(笑)」

Q.水戸はあまり上下関係もないですからね。
「まったくないですね。年下の選手がガンガンいじってくるんですよ。僕は何をされても怒らないので、後輩たちは何をしても許されると思っている。まあ、それも楽しいんですけどね」

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Q.最後、スローガンについて聞かせてください。「距離感近いJリーガー」。先ほども話に出ましたが、あらためて、この言葉をスローガンにした理由を教えてください。
「自分は下から上がってきた身ですし、まだ本当の意味でプロになれたわけではないと思います。ずっと仕事をしながらサッカーをしてきたので、サポーターやファンの方と距離感が近い、親近感の沸くプロサッカー選手になりたいと思っていますし、いろんな人といろんな話ができるようになりたい。そういう意味でこの言葉を選びました」

Q.サッカー選手以外の仕事をしてきた経験や思いは黒石選手にとっての財産になると思いますよ。
「自分一人の力ではここまで来ることはできませんでした。それこそ、学童保育で子どもたちに癒されたり、親御さんとお話をして気持ちを落ち着かせたりできたことは少なからず自分の支えになっていたと思います。MIOの時に出会った人や八戸で出会った人に支えられて楽しくサッカーすることができてきたので、今があるんです」

Q.黒石選手の活躍を八戸の子どもたちは楽しみにしているでしょうね。
「子どもさんにお願いされて親御さんが僕の水戸のユニフォームを買ってくれたという連絡がありました。そういう話を聞くと、すごくうれしいですし、もっと頑張ろうという気持ちになれますね」
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著者プロフィール

Jリーグ所属の水戸ホーリーホックの公式アカウントです。 1994年にサッカークラブFC水戸として発足。1997年にプリマハムFC土浦と合併し、チーム名を水戸ホーリーホックと改称。2000年にJリーグ入会を果たした。ホーリーホックとは、英語で「葵」を意味。徳川御三家の一つである水戸藩の家紋(葵)から引用したもので、誰からも愛され親しまれ、そして強固な意志を持ったチームになることを目標にしている。

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