ファンクラブ会報誌「FREAKS」が生まれた理由。「細部に見せる勝利へのこだわりとは」【未来へのキセキ-EPISODE 11】
【©KASHIMA ANTLERS】
「アントラーズが勝ち続けることを信じて」
そこには、準決勝や決勝を前にして大会から敗退する前提など微塵もない。必ずや、それらの試合を勝ち上がって頂点に上りつめるはず。そんな“勝者のメンタリティー”とも呼べるものが、チケット販売情報のページからも見え隠れする。それが、鹿島アントラーズのオフィシャルマガジン「月刊FREAKS」だ。
そうした表現は虚構に終わることなく、実際に鹿島アントラーズは1993年のJリーグ開幕以降の天皇杯で最多となる5回の優勝を飾っている。もちろん、獲得したタイトルはこれだけではない。Jリーグ、YBCルヴァンカップ(旧ヤマザキナビスコカップ)、AFCチャンピオンズリーグの主要大会で20冠、さらにはゼロックススーパーカップ、スルガ銀行チャンピオンシップ、A3チャンピオンズカップでも栄光を勝ち取っている。
それらの歓喜の瞬間も、月刊FREAKSでは事細かに伝えてきた。喜ぶ選手たちが写る表紙をめくれば、優勝までの激闘録が展開され、タイトル獲得がいかに難しいことであるのかも表されている。
たとえば、史上初のJリーグ3連覇を成し遂げた2009年。最終節の浦和戦をリポートする2010年1月号では、興梠慎三の決勝ゴールから、カシマスタジアムに帰ってのシャンパンファイトまで、一つひとつの瞬間を切り取った写真が散りばめられている。その次のページでは、試合前からのサポーターの熱気や試合後の選手たちの取材対応の様子、さらには当時のジョセフ・ブラッターFIFA会長からの祝電まで載せているのだから、その情報量は圧巻だ。
【©KASHIMA ANTLERS】
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他にもならではの企画といえば、選手企画が挙げられるだろう。選手自ら企画を考え制作に携わる。過去には赤裸々に今のチームに提言する「本田泰人のお説教ですよ!」、東日本大震災以降に小笠原自身が復興へ必要と感じた情報や思いを伝えた「月刊満男」、内田篤人がホッとな話題を辛口斬りする「アッツアツ篤人」、日常の思ったことや感じたことを綴る「中田浩二のKOJI CORNER」、読者の日頃の悩みになんでも答える「岩政先生の進路相談室」など、主力選手がそれぞれ企画を持った。
この他にも釣りに行く企画や本を紹介する企画もあれば、佐々木竜太(現南葛SC)と遠藤康がホームタウンを散歩して紹介する「りゅう散歩」、日常のネタで裁判ごっこをする「杉山寮長によるざんげ室」という企画まであった。選手たちが前のめりに楽しみながら企画に携わることで、自然と読者のサポーターにも本来の選手の顔が伝わっていく。まさに、オフィシャルマガジンならではの誌面構成だ。
全選手がプレイヤーズサロンに参加するフェスティバル開催号の表紙 【©KASHIMA ANTLERS】
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2011年4月号。その年の3月11日に発生した東日本大震災の直後に発行された号の表紙 【©KASHIMA ANTLERS】
2011年4月号。その年の3月11日に発生した東日本大震災の直後に発行された号の中面ページ 【©KASHIMA ANTLERS】
1995年の創刊号の巻頭インタビューで、ジーコは次のような言葉を残している。
「応援するチームの情報を知るということはサポーターの持っている権利。クラブ側にはチケットを買って応援に来てくれるサポーターに、新たに決定した情報を伝える義務がある」
月刊FREAKSによって選手やチームスタッフは思いや情報を伝え、そしてサポーターはその思いや情報を受け止め、優勝を目指して突き進むアントラーズファミリーの一体感を生んできたのかもしれない。
鹿島アントラーズがクラブ創設30周年を迎えた10月、月刊FREAKSは通算313号目を発行した。「未来力」というテーマの下、アカデミー出身の町田浩樹、沖悠哉、舩橋佑のインタビューなどが掲載されている。1995年10月に創刊されてから、アントラーズファミリーとともにいくつもの奇跡を目の当たりにし、その軌跡をたどってきた。次の30年もクラブとサポーターの中間に立ち続け、そのキセキを伝えていく。
「FREAKS」は月一回発行のファンクラブ会報誌です。
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