上田綺世 SQUAD NUMBERS〜18〜「壁を乗り越えるために、自問を繰り返す」、その理由とは。【未来へのキセキ-EPISODE 3】

鹿島アントラーズ
チーム・協会

【©KASHIMA ANTLERS】

「SQUAD NUMBERS〜背番号の記憶」
これまで数多くのレジェンドがアントラーズ伝統の背番号を背負ってきた。
積み重ねた歴史が生み出した、背番号に込められた重みと思い。
そして、継承するアイデンティティ。
そこには背番号を背負ったものたちの物語が存在する。
創設30周年を迎えた2021シーズン、クラブがリーグ戦毎ホームゲームで特別上映している背番号にまつわるストーリー。
それぞれが紡いできた物語を胸に、今を戦う現役選手が背負う思いとは。
今回は背番号18 上田綺世の覚悟を、ここに紐解く。


 2019年、法政大学で頭角を現していた上田綺世は自らに問いかけていた。

「僕が法政大に入ってから、リーグ戦で一度も優勝できていない。前年(2018年)も3位。なぜなのか」

 上田自身、大学1年時と2年時の関東大学サッカーリーグで2ケタ得点を記録。それでもチームは優勝に届かなかった。「僕が2ケタを取っていても、次に法政大で多く得点を挙げている選手は4点」。決してチームメートのゴール数の少なさを嘆いているわけではない。得点源が自分一人に限られてしまっていたことを問題視していたのだ。

「シーズンの最後のほうとか、優勝争いになってきて上位チームと当たったら、相手は(マークを)2枚つけてきたり、絶対に僕を抑えにくる。それだとチームの攻撃自体も単調になってしまって、僕自身も点を取れないし相手に怖さを与えられない」

 アントラーズ加入が内定したのは、大学2年時の2019年2月のこと。プロへの扉が開けた裏で、法政大サッカー部の歯車がかみ合わずジレンマを感じていた。

「後輩からは“綺世くんが代表でいないときは僕が点を取ります”とよく言われていました。でも、“いないとき”ではしょうがない。いい素質を持った後輩はいるんです。それなのに、チーム内のポジション争いがなく、僕にとって“もがく”ような状況ではなかった。だから、もっとそれがほしくなったのかもしれません」

 それから正式にアントラーズの選手となるまでの半年間、上田は己の役割を自身に問いかけて行動に移した。

「大学で何ができるか、何を見せられるか。全部が全部は難しいので、僕なりに法政大の点を取る能力を高めようと考えました。そこは専門職なのでゴールを取る上での僕なりの感覚を伝えたいなと思ったんです」

 勝利にこだわる上田だからこそ導き出した答えだった。大学時代のうちに立場も日本代表までたどり着き、世界への扉が開けた。「正解かは分からないけれど、日本代表に入っている立場として、自分がやっている方法が刺激になればいいなと思って」と、その経験と自らの得点感覚を法政大学のチームメートに伝え続けた。すると、「最初の5試合で僕は1点しか取れなかったけれど、チームメートは3、4点取っていたんです」。明確な成果となって表れた。

「今は僕がいなくてもあれだけ点を取れている。半年間である程度のことは伝えられたし、監督もそれは認めてくれました。それに、僕が先生みたいに振る舞うことで、自分も練習から下手なプレーはできなくなる。仮に紅白戦でも、パスに抜けだしてトラップミスなんかできない。決めて当たり前。その責任感もありました。僕がそういうスタイルでやっていったことで、法政大でも言い訳をする選手がいなくなったと感じたんです。それがサッカー部を辞めるきっかけにもなりました。“俺がいなくても大丈夫でしょ?”って」

 今やアントラーズの最前線に君臨する存在となっている。クラブ創設30周年の節目の年となる今季、上田は背番号「18」を背負うことになった。プロ2年目の昨シーズンに続き、すでに今シーズンも2ケタ得点を記録している。

【©KASHIMA ANTLERS】

 アントラーズの18番の意味を、鈴木満フットボールダイレクターは語る。

「18番はストライカー。今や点取り屋になってほしいという期待を込めて与える番号です。マルキーニョスの活躍もあって、アントラーズはJリーグ3連覇を成し遂げました。だからこそ、重みのある番号でもあります。のちに(AFCチャンピオンズリーグ優勝に貢献する)セルジーニョもつけました。上田は、サッカーをしていたお父さんが背負っていたということで憧れていたこともあって、自分にとってのラッキーナンバーとしても希望してきました。それに加えてチームとしては、マルキーニョスやセルジーニョのようになってほしいという思いも込めて、18番を与えました」

 9月26日に行なわれた明治安田J1第30節セレッソ大阪戦では途中出場から2ゴールを挙げ、逆転勝利の立役者となった。その姿は、かつて18番を身につけて得点を量産し、チームに勝利をもたらした先人たちのように、チームのエースとしての存在を感じさせた。ただ上田自身、日本代表や東京五輪代表とステップアップしながらも、まだタイトルの味を知らない。

「優勝という目標を掲げたなか、今の状況はまだまだ足りない。もっと継続的に試合に出て、点を取っていかないといけない」

 得点数の多さを競うサッカーという競技において、勝利を、そしてタイトルを勝ち得るには、ゴールを取り続けるほかない。その仕事の担い手こそ、アントラーズの18番の肖像でもある。ここまでの30年間で「20」もの主要タイトルを獲得したクラブの歴史に、新たなページを刻んでいく。それが今、18番を託された上田の使命でもある。

「アントラーズのユニフォームを着ることは、サポーターの思いもあるし、チームの歴史を背負う意味もある。背負うものは日本代表にも負けず劣らずだと思っています。僕はアントラーズの選手として、どんな状況であれ全タイトルを目指しています。ただ、今の僕らは決して常勝軍団ではありません。そこにあてはまるようになるには、僕らが結果を残してこそ。常勝軍団だから勝たないといけないというよりは、勝っているからそう呼ばれるようになるわけです。あぐらをかいている立場ではありません。そういった背負っているものをプレーで表現できたらいいし、それが結果という形になればもっといい。点を取ることにこだわりながら、チームとしての結果、そしてより多くの勝利をもぎ取れたらと思っています」

 今夏の東京五輪の舞台でも18番を背負った。しかし、上田自身は一度もゴールネットを揺らすことはできなかった。その結果を受け止め、さらなる成長のため、また自らに問うていく。

「東京五輪では自分なりにもっと高めなければいけないと思ったし、自分に物足りなさを感じました。それは自分自身がパッと見てわかる違いを出せる選手ではなかったということ。五輪を終えて僕のなかに残ったものとしては、その試合中に感じたもどかしさと、これからどう向き合っていくのか。そこが得られた部分ではないかと思います」

 苦難や葛藤といった壁にぶつかったとき、それを乗り越えるために自問を繰り返し、その答えを見い出そうとする。いくつもの選択肢があるサッカーにおいて、模範解答は存在しないのかもしれない。それでも背番号18の後継者は、自らの手でアントラーズの新たな歴史の扉を開けるため、真っ直ぐにゴールを目指して走り続ける。ストライカーとしての矜持を胸に宿しながら。
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著者プロフィール

1991年10月、地元5自治体43企業の出資を経て、茨城県鹿島町(現鹿嶋市)に鹿島アントラーズFCが誕生。鹿角を意味する「アントラーズ」というクラブ名は、地域を代表する鹿島神宮の神鹿にちなみ、茨城県の“いばら”をイメージしている。本拠地は茨城県立カシマサッカースタジアム。2000年に国内主要タイトル3冠、2007~2009年にJ1リーグ史上初の3連覇、2018年にAFCアジアチャンピオンズリーグ初優勝を果たすなど、これまでにJリーグクラブ最多となる主要タイトル20冠を獲得している。

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