今だから告白する 鄭大世 ドイツ・ケルンでの苦悩の日々(3/3)

1.FCケルン
チーム・協会

【©1FCKoeln】

ケルンでの印象的なエピソードを明かしてくれた鄭大世(チョン・テセ) 最後に日本を離れたからこそ感じたことと若手へのアドバイスを話してくれた

9.日本を離れて感じたコト

 その後はKリーグにいきました。そこもいい経験でした。日本を一度出るって経験が本当に素晴らしいということを、日本にしか住んだことがない方に言いたい。日本っていう国から出てみて外から日本を観ることがどれだけ大事かっていうのをボーフムやケルンですごく感じて、また韓国に行って、もともと日本のテレビで刷り込まれた印象があったけど、行ってみたらまったく違った。批判じゃなくて、日本の改善点もめっちゃ見えるんですよね。

 日本は素晴らしい面に溢れてますが、あえてここではそうじゃない部分をあげさせていただくと、残業で家族との時間が犠牲になったり、手続きに時間かかったり、子育ても何かと大変だし、同調圧力強いし、みたいなのを外に出て気づくんですよ。海外に出て、日本で生まれたから、ここで暮らすのがもちろん楽なんですけど、「こういうところが違うな」っていうのがわかったときに、世界観がすごく広がったと思います。

 ですので、サッカーでブンデスリーガにいけたってことはもちろん自分の中ですごい財産だけど、その財産の中のひとつでこういう世界観、国境を越えたら常識が非常識になるんだよってことを学べたのがケルン時代のものすごい大きな財産だったと思います。

 「家族で暮らす」っていうテーマならドイツも良いですね。子どもに対しても優しいし。それは本当に感じますね。日本だったら子供に対しても同じマナーを求めるから、公共交通機関とかで、ため息や、舌打ち、冷たい視線を感じます。一部の心ない人ですが、親の立場だと針の筵にいる気分になります。ドイツでは子供がいたらみんな笑顔になってましたね。レストランなんか行ったらレストラン中で子育てしてる感覚になるんですよ。お互い許し合っててこれは楽だなーって思いました。

 

【©1FCKoeln】

10.家族と価値観の変化

 子どもは好きですね。だから尚更、ドイツのケルンにいたときに今のような家族がいる生活だったら全く違う感じになっていただろうな。もちろんタラレバだけど。子ども好きだし超家庭的なタイプですよ、自分は。サッカー選手という職業で一番幸せなことって何かといえば子どもといる時間が長いことで、お迎えも自分がいけるし、午前中練習だったら昼過ぎから子どもとずっと遊べることです。今子どもが小学1年生になるんですけど、小学校に入る前の時期って一番子どもと一緒にいられる時期じゃないですか。旅行もいけるし。それを一緒に満喫できたのはサッカー選手でよかったなって思うし、それをケルンでできたらよかったなって思います。間違いなくもっといい方向にいっていましたよ。

 でもそれが自分の人生なんでしょうね。僕の人生は自分の人間性が足りないところから始まっていると思っていて、人よりかなり劣った部分から始まっているから。ケルンにいたのが28歳ぐらいだったと思うんですけど、そのときにもまだ気づいていなかったっていうのが、自分の人生なのだと思います。気づいている人はその年齢でもとっくに気づいているじゃないですか。高卒でプロになって試合に出れない時期を経験して、28歳だったら精神的には成熟しているべきじゃないですか。でも僕は全く自分に向き合ってなかったし、ただただ出世したいという気持ちしかなかった。もっともっと上のレベルに行きたいっていうのしかなかったから、躓いたときの絶望感はもう。

 また考えすぎるタイプで被害妄想も激しいタイプだから、いろんな情の部分でも気にせずに淡々とやってればよかった時も、必要以上にグアングアン船が揺れ動くようにプレーも安定しなかった。一番オレがサッカー下手なときがケルン時代でしたもん。多分あの時のチームメイトからも僕は完全にバカにされてました。自分でもよくわかります。自分らしいプレーでも全くなかったし、ゴールに向かうこともしなかったし、何をどうすればいいかもわからない完全にアマチュアと思われてたし。だって言われましたもんね。「なんでこんなアマチュアが来たんだってね。」そうやって横で話しているの聞こえましたから。
11.ドイツ時代のチームメイトとその後

 まだコンタクトがあるのはエンリケとかミヒャエル イシャックとかぐらいですね。当時は全然心が入ってないからチームメイトとも仲良くなれなかったです。槙野みたいなのは全然無理でした。槙野はすごいですよね。あいつドイツ語そこまでペラペラではないはずなのにすごいですね。僕はもう全くでした。でもこればっかりは性格ですよね。

 いや、槙野は特別ですよ。何か雰囲気があるんでしょうね。だから好かれるんですよね。結局性格なんですよ。全然しゃべれなくても雰囲気で押し切るみたいな。結局その人が相手に関心があるかないかってとこになるんで。

 僕は相手に無関心だったから自分から何かを聞くわけでもないし、話しかけることもないからそんなに仲良くなれないですけど、自分が活躍できればみんなとも仲良くなれるから、ボーフム時代の方が人間関係はいいですね。ケルンのときはもう自分の殻に閉じこもってたから。全然仲良くなってないです。

 その時の唯一の傷の舐め合いがミヒャエル イシャックだったってことですかね。あと、マルコ ロシ。ポーランドでこないだのユーロ2020に出てたんですよ。ベンチにいました。ビックリして。当時そんなやつらがユーロとか出てるんだからすごいですよね。僕はボーフム時代にクリストフ クラマーとも一緒にやってますからね。で、気がついたらドイツ代表でワールドカップ決勝に出てるんですよ。もう訳わかんないですよね。まじか。そんなスーパーじゃなかったのになって。わからないものですよね。

仲の良かったマルコ ロシ(中央) 【©1FCKoeln】

12.最後に:若い者の可能性は無限大

 だから僕はそのときの教訓があります。日本では若い子たちが否定されがちで、上司が部下をしかるように出る杭はうたれるし、とりあえず否定から入るんですけど、その文化がドイツにいくと間違ってるなと思うんです。だから若手と話をするときは可能性の話をするようにします。ケルンにいたときの若い選手を見てもそうで、ボーフムでもそうでした。「いや、なんでお前が」っていうやつが代表入ってるし、中にはめっちゃ下手くそもいるんですけど、そんなやつでもブンデスリーガ1部でキャプテンやってってなって行くんですよ。

 そういう事があったから、若手には「お前らの可能性は無限大でヨーロッパにいれば3年とか5年あればトップまでいける事があるんだぞ」と言っています。それだけの可能性があるのにやっぱり日本ではコーチとかスタッフとからからバカにされるんですよ。それは日本の風習で、否定から入ってちょっと何かやればいじられて、突っ込まれて、バカにされてっていうのを見てると、「いやいやそうじゃない。お前らは3年あればJのトップにもいけるし海外だって一瞬でいけるから、もっと自分を信じてやれ」っていう話をしたりします。

 僕は絶対若手を否定しないです。かわいいからいじるけど、ドイツで上り詰めるやつをたくさん観てきたから。自分の可能性なんか自分が思ってるよりあるわけだから。僕自身も東京都3部の大学からブンデスリーガまでいったサクセスストーリーなんですよ。関東1部の選手がプロになれない中、成功はできなかったけどブンデスリーガまでいけたってことは、それだけでも自分が思っていた以上に駆け上がったわけだから。

 運と人とのめぐり合わせはもちろんあるんだけど、若いってことだけで可能性は無限大にあるから。そういう若手にもっと自分を信じて、落ち込んだりするのは向上心の裏返しだから全然いいことだと思うし。どうなるかわかんないよっていう話はしますね。こういう感じでかっこ良く締めてください(笑)

【©1FCKoeln】

  • 前へ
  • 1
  • 次へ

1/1ページ

著者プロフィール

1.FCケルンは1948年に設立された、ドイツ西部の大都市ケルンに本拠地を置くサッカークラブで、ブンデスリーガに所属しています。1963年に発足したドイツ・ブンデスリーガの初代王者であり、日本人海外移籍の先駆者である奥寺康彦が所属していた頃には2度目のリーグ優勝を成し遂げました。また近年では、槙野智章や鄭大世、大迫勇也も所属していました。

新着記事

編集部ピックアップ

おすすめ記事(Doスポーツ)

記事一覧

新着コラム

コラム一覧

日本オリンピック委員会公式サイト

JOC公式アカウント