【浦和レッズスペシャルインタビュー】生粋の浦和っ子が抱く聖地『浦和駒場スタジアム』へのおもい

浦和レッドダイヤモンズ
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【©URAWA REDS】

新人ながら開幕戦で先発出場を果たし、8月21日までにチームが戦った全公式戦36試合のうち、欠場はわずかに1試合。それは岩波拓也に次ぎ、槙野智章と並んでチーム2番目の数字だ。J1リーグ戦も全25試合に出場し、うち18試合に先発出場している。

浦和レッズの育成組織で育ち、流通経済大学を経て、今季からレッズに『復帰』した伊藤敦樹。

攻守の切り替えが速く、プレー強度も高い。中盤での力強い守備でボールを奪うと、長短のパスでボールをさばきながら、自身も前線に飛び込んでいく。攻守にわたってダイナミズムに溢れるプレーを見せる伊藤は、メンバーの入れ替わりが激しく、先発メンバーが発表されるまで誰が出るのか予想が難しい今季のレッズにおいて、レギュラークラスの活躍を見せている。

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そんな伊藤にとって、浦和駒場スタジアムは特別な場所だ。

それは駒場を「聖地」と呼ぶ浦和レッズのファン・サポーターと変わらない。いやむしろ、レッズが駒場でリーグ戦を戦っていたころ、『あつき』少年は親と一緒にゴール裏でレッズを応援する立場だった。

「駒場でのレッズ戦を観に行っていましたし、観に行ったのは埼スタよりも駒場の方が多い気がします」

伊藤は根っからの『浦和っ子』だ。生まれ育った場所は旧浦和市。しかも浦和駒場スタジアムは、体が183cmと大柄な今と比べてずっと小さかった幼少期でも、自宅からすぐに行けるほどの距離にあった。レッズのサポーターだった両親のもとに生まれた伊藤が5歳でサッカーを始めるのも、またレッズのサポーターになるのも必然だった。

2006年当時 【©URAWA REDS】

ほどなく、将来の夢を聞かれると「プロサッカー選手」と答えるようになった。加入したいクラブは言うまでもなく、レッズだった。

小学3年生で道祖土サッカー少年団に入り、本格的にサッカーを始めた。するとレッズの試合と少年団の練習や試合が重なることも増えたが、それまではほとんど毎試合、レッズの試合を観に行っていた。

小さいころの記憶はおぼろげだが、印象に残っていることもある。それは立派なサポーターの証でもあった。

「駒場で観ていたころは幼かったですが、紙吹雪は覚えていますし、一番印象に残っています。自分でやったこともあります。いつの試合だったかははっきりとしていませんが、(レッズが初めてのステージ優勝を果たした)2004年の2ndステージ(第14節)名古屋(グランパスエイト)戦だったと思います。そのときは自分で作った紙吹雪を家から持っていったことも覚えていますし、投げた記憶もあります」

2004年名古屋戦 【©URAWA REDS】

伊藤は中学1年になると、レッズの門戸を叩いた。ジュニアユースに入団することができた。ユースに昇格すると、高円宮杯 JFA U-18サッカープリンスリーグなどの大会で、浦和駒場スタジアムで試合をすることもあった。

幼少期から憧れていた場所。しかし、そのころにあまりいい思い出はない。

「育成のときはあまり試合に出ていませんでした。なので、試合は記憶には残っていますが、自分個人として印象がある試合は多くありません」

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ユースでなかなか試合に出場できない日々。トップチームに昇格することも叶わなかった。それでもプロサッカー選手になること、レッズでプレーすることを諦め切れなかった伊藤は、周囲の助けも借りながら、強い思いを胸に流通経済大学に進学した。

「4年後は絶対にレッズに戻る」

流経大では1年次から出場機会を得ると、サイドバックやセンターバックを経験しながら守備面も磨いた。それはトップチームに昇格できなかった大きな理由の一つでもあり、持ち味を伸ばしながら課題を着実に克服していった。

そして2019年7月3日、伊藤は駒場に帰ってきた。流経大の一員として、レッズの対戦相手として。

白いユニフォームの13番が伊藤敦樹 【©URAWA REDS】

「あの試合は強く心に残っています。まずトーナメント表が出て、1回勝ったらレッズと当たるということは分かっていました。そのときから楽しみな気持ちが強かったです。

実際に駒場でレッズと対戦することになり、まずはウォームアップのときにピッチでレッズのファン・サポーターの応援を聞きましたが、流経大の応援もレッズに負けないように、いつもの試合以上にみんなが声を出してくれていたこともあり、いい雰囲気になりました。鳥肌も経ちましたし、改めてレッズのファン・サポーターはすごいと思いました」

試合は1-2で敗れた。内容では上回られたが、勝てるチャンスもあった。それだけに、悔しかった。だが、その悔しさは2年半前の思いをさらに強くすることを手伝った。大学3年で進路も考え出したころ。伊藤は改めて、「レッズに戻る」という思いを強くした。むしろ、その他の可能性を排除した。目をつぶると、赤いユニフォームを着ている。他のクラブのユニフォームを着ている自分の姿がどうしても想像できなかった。

対戦相手として駒場のピッチに立った約1年後、伊藤の思いは成就した。レッズから声がかかり、2021シーズンからの加入が内定した。

新加入会見 【©URAWA REDS】

当時、茨城県にある流経大サッカー部の寮で暮らしていた伊藤。すぐに浦和に戻ることはできなかったが、内定をもらうとすぐに携帯電話を取った。発信先は、レッズのサポーターでもあり、父親とともに誰よりも伊藤がレッズに加入することを夢に見ていた母親だった。

呼び出し音が鳴る。仕事中の時間であることは、伊藤も分かっていた。出ないかもしれない。でも真っ先に伝えたい。そう思っていると、耳馴染みの良い声が応答した。

「決まったよ」

伊藤は一言、そう伝えた。電話の向こうから、叫び声が聞こえた。声にならない声。何と言っているのかはまるで分からなかったが、喜んでくれていることは十分すぎるほど理解できた。

「素直に喜んでくれたことが伝わりましたし、それまでいろいろな面で支えてくれていたことでサッカーができていると感じていましたので、親孝行と言えるかどうかは分かりませんが、1つ返せたのかなと感じました」

今シーズン開幕戦のFC東京戦でスタメンデビュー 【©URAWA REDS】

自身の強い思いに周囲の期待を重ねてレッズに加入した伊藤だったが、それをゴールだとは思っていなかった。夢の入り口に立っただけ。幼少期から憧れていたピッチでプレーすること。憧れていたチームで活躍すること。1年目から遠慮はない。レギュラーになることを1年目の目標にした。そして、ためらいなく公言した。

「レッズの中心選手になって、みんなから愛される選手になりたいです」

ここまでは目標通りに進んでいる。それはある意味、予想外でもあったが、一方で現状に満足することもない。

「実際に加入が決まったときには、こんなに順調にいくとは思っていませんでした。ただ、中心と言えるにはまだまだだと思います。いつ試合に出られなくなるか分からない環境ですし、そういう危機感を常に持ちながらやっていることで日々のトレーニングでも成長できていると思います。そういうレギュラー争いがあるから今の立ち位置にいられていると思います」

【©URAWA REDS】

そして6月9日、天皇杯2回戦 カターレ富山戦で浦和駒場スタジアムのピッチに立った。それは自身2年ぶりであり、プロとして、レッズの選手として初めてのことだった。

その3日前にアウェイで行われていたJリーグYBCルヴァンカップ プレーオフステージ 第1戦 ヴィッセル神戸戦に出場していたこともあり、伊藤に与えられた時間は後半アディショナルタイムのわずかに数分だったが、一つの目標を叶えた瞬間だった。

「あの日は短い時間でしたが、レッズのユニフォームを着て駒場のピッチに戻ってこられたことに特別な感情がありました」

駒場デビュー戦 【©URAWA REDS】

それからJリーグYBCルヴァンカップ プレーオフステージ 第2戦 ヴィッセル神戸戦、明治安田生命J1リーグ 第24節 サガン鳥栖戦を経て、8月25日に行われる明治安田生命J1リーグ 第26節 サンフレッチェ広島戦で自身4試合目となる浦和駒場スタジアムでの試合に臨む。

「駒場は自分の地元、本当の地元なので、駒場に観に来てくれる人たちに自分の精いっぱいのプレーを見せたいですし、自分も納得できるプレーや自分の持ち味を出して、しっかりと勝ちたいです。駒場でゴールを決めたいですね。まだJ1リーグでゴールを決めていませんし、ホームでも決めていませんので、そろそろ決めたいですね。駒場での初ゴールを狙っていきたいです」

今季、駒場で行われるJ1リーグの試合は2試合。8月14日の鳥栖戦で12年ぶりにJ1リーグを戦い、そして明日25日に行われる広島戦を最後に埼玉スタジアムへ戻る。

幼少期から憧れていた特別な場所で活躍する。万巻の思いで伊藤は、駒場のピッチに立つ。

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著者プロフィール

1950年に中日本重工サッカー部として創部。1964年に三菱重工業サッカー部、1990年に三菱自動車工業サッカー部と名称を変え、1991年にJリーグ正会員に。浦和レッドダイヤモンズの名前で、1993年に開幕したJリーグに参戦した。チーム名はダイヤモンドが持つ最高の輝き、固い結束力をイメージし、クラブカラーのレッドと組み合わせたもの。2001年5月にホームタウンが「さいたま市」となったが、それまでの「浦和市」の名称をそのまま使用している。エンブレムには県花のサクラソウ、県サッカー発祥の象徴である鳳翔閣、菱形があしらわれている。

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