松田直樹さんという偉大な選手がいたことを伝え続けるという使命

横浜F・マリノス
チーム・協会

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継承し広げる『#命つなぐアクション』

横浜マリノス株式会社の黒澤良二代表取締役社長は、「ホームタウン内でのスポーツ中での突然死ゼロを目指すとともに、この取り組みを通じて松田直樹さんの魂を継承していきます」と決意を表明した 【ⒸY.F.M.】

 横浜F・マリノスにとって忘れてはならない選手がいる。2011年8月4日、急性心筋梗塞で34歳の若さで突然この世を去った松田直樹さん。1995年に横浜マリノス(当時)の一員となってから、実に16年もの歳月をF・マリノスとともに歩んだ選手だ。

 高卒ルーキーながら開幕スタメンに抜擢されるセンセーショナルなプロデビュー。その年のステージ優勝に始まり、2003年、2004年のJ1リーグ連覇とチームの輝かしい歴史にはいつも松田さんの笑顔があった。なかなか勝てなく、苦しかった時代には、最後尾からチームを鼓舞する松田さんの激しい声が聞こえた。

 闘志溢れるプレーや熱い気持ちで多くの人々を魅了し、クラブに多大なる貢献を残してくれた松田さんに横浜F・マリノスとして何ができるのか。逝去されて10年となる4日の前日3日に、横浜F・マリノスは記者会見を開き、黒澤良二代表取締役社長が改めて松田直樹さんへの想いを語った。

「2011年にご逝去されてから、背番号3のユニフォームのベンチへの掲出、SNS等を通じたメッセージの発信、8月4日に近いホームゲームにおける記帳台の設置、彼のような悲劇を二度と起こさないためのAEDや救急救命の啓発事業など、松田直樹さんへの想いをつなぐための取り組みをファン・サポーターの皆様とともにこれまで行ってまいりました。10年を迎えることが決して何かの節目になるわけではないですし、松田さんへの想いが変わることもありません。

しかし、松田直樹さんと直接的な接点を持たない選手やスタッフ、彼のプレーを生で見たことがないファン・サポーターの方、2011年以降に生まれた彼の存在を知らない子どもたちがこの10年の間に増えていることも事実です。松田さんが長く在籍したクラブとして、松田直樹という偉大なサッカー選手がいたことをクラブが続く限り伝え続ける。これはクラブの使命です。この先、10年、20年と時を経ても、松田直樹さんという存在がこの街で語り継がれていくために、この使命にクラブ全体として取り組んでいくことをここに表明させていただきます」

 横浜F・マリノスが行う、今後の取り組みは主に二つ。これまでも行ってきた松田さんへの想いをつなぐ発信と、AED普及などの「#命つなぐアクション」である。

 黒澤社長は「これまでも実施してきた背番号3のベンチへの毎試合の掲出、SNS等と通じたメッセージの発信。そして8月4に近いホームゲームでの記帳台の設置など、松田直樹さんにフォーカスした思いをつなぐ発信や取り組みを今後も継続していきます」と宣言したうえで、「松田さんのような悲劇を二度と起こさないために、2019年にF・マリノスから始まり、今ではJリーグ全体の『シャレン!』の取り組みとしても広がっている『#命つなぐアクション』を広げていきたい」と語気を強めた。

「CPR(心肺蘇生法)やAEDの使い方など、命をつなぐためのこのアクションをマリノスファミリー全体、そしてホームタウンの子どもたちなど一人でも多くの人に知ってもらうための取り組みを進め、ホームタウン内でのスポーツ中での突然死ゼロを目指すとともに、この取り組みを通じて松田直樹さんの魂を継承していきます。これまでもクラブ内の各拠点のAEDの設置や講習会は実施してきましたが、よりホームタウン内の人にこの活動を届けていきたいと思っています」

 クラブは今後、この2つの軸に取り組んでいくことで、日本サッカー界に“松田直樹”という偉大な選手がいたことを、クラブが続く限り、伝え続けるという使命を果たしていく。

オンラインで参加した松田直樹さんのお姉さまの真紀さんは「皆さんがサッカーを楽しんでいらっしゃることが、松田直樹の願いだと思います」と10年の想いを話した 【ⒸY.F.M.】

これからを作り出す「背番号3」の1stユニフォーム

 そして明日、10回目の命日となる8月4日を迎える。

 クラブは2つの取り組みを発表した。それが「#FOREVER3」のオンライン記帳と、「#3 1stユニフォーム、プレーヤーズTシャツ」の販売だ。

例年、8月4日に近いホームゲームにてファン・サポーターからの想いをつなぐ記帳台を設置していたが、今年は新型コロナウイルス感染症拡大の防止と当該試合が観客制限5000人の対象試合となることから、ご遺族と相談のうえ、想いをつなぐ場所をオンライン上に変更。8月4日の0時から23時59分に、Twitterアカウントにて「#FOREVER3」のハッシュタグとともに、松田直樹さんへの想いをツイートしていただくというものである。

黒澤社長は「皆様からの想いはクラブがすべて目を通させていただいたうえで、ご遺族に責任を持ってお渡しさせていただきます」と話した。

そして、松田直樹さんが逝去されてから初めてとなる、背番号3の1stユニフォームとプレーヤーズTシャツの販売である。クラブはこれまで、背番号3のユニフォームは特別な存在であること、松田直樹さんの名前で利益につながるようなことはしないという不文律があることから、松田さんの背番号3のユニフォーム販売は行ってこなかった。

 では、なぜこのタイミングで販売を行うのか。黒澤社長はその理由をこう説明した。

「松田直樹さんという、偉大なサッカー選手がいたことをクラブが続く限り伝えていくという使命に、クラブとして全力に取り組んでいくことの決意の表れです」

横浜F・マリノスとして、松田直樹さんへの想いをつなぐために、ご家族の同意のもと、逝去後、初めて背番号3がついた1stユニフォームとプレーヤーズTシャツの販売を実施することになったという。

この販売による売上については、利益の全額が、クラブが実施する『#命つなぐアクション』、ホームタウンにおけるCPR(心肺蘇生法)とAEDの普及啓発事業、そしてホームタウンの子どもたちへのサッカー普及活動費用に充てられる。

 黒澤社長が横浜F・マリノスの代表取締役社長に就任したのは2018年のこと。黒澤社長自身、生前の松田直樹さんと直接的な交流を持っていない。それでも黒澤社長は「この3年で、いかに大きな存在であるのか、ひしひしと感じている」と語った。

「私自身、クラブに来たのは2018年のことです。しかしこの3年で、クラブにとって、ファン・サポーターの皆様にとって、いかに松田直樹さんが大きな存在であるのか、ひしひしと感じていますし、クラブが継承すべきスピリットであると考えています。松田直樹さんという偉大なサッカー選手がいたことをクラブが続く限り伝え続ける、というクラブの使命にマリノスファミリー全員でしっかりと向き合い、取り組んでいきたいと思います」

 横浜F・マリノスにとって、“松田直樹”という存在はとても大きい。サッカー選手としてクラブの歴史に名を刻み、サッカー選手を超越した存在としてF・マリノスに関する人々の記憶と心に残り続ける。だからこそ、「クラブが続く限り伝え続ける」ことは横浜F・マリノスにとって使命なのである。これまでの10年も、そしてこれからも。

横浜F・マリノスの波戸康広アンバサダー、栗原勇蔵クラブシップ・キャプテンは、チームメイトとして共にプレー、過ごした思い出と今後の活動の決意を話した 【ⒸY.F.M.】

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著者プロフィール

日産自動車サッカー部として1972年に創部。横浜マリノスに改称し、1993年にオリジナルメンバーとしてJリーグ開幕を迎えました。1999年には横浜フリューゲルスと合併し、現在の横浜F・マリノスの名称となりました。マリノスとは、スペイン語で「船乗り」を意味し、世界を目指す姿とホームタウンである国際的港町、横浜のイメージをオーバーラップさせています。勝者のシンボルである月桂樹に囲まれたエンブレムの盾には、錨とカモメが表現されています。こちらでは、チーム、試合やイベントなどさまざまなニュースをお届けします。

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