【浦和レッズニュース】東京五輪出場は叶わなかったが…猶本光が前を向き、すでに走り出している理由

浦和レッドダイヤモンズ
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【©URAWA REDS】

このタイミングで、猶本光にインタビューする機会を与えられ、どうしても聞かないわけにはいかなかった。

 1年半前の2020年2月、ドイツのSCフライブルクから浦和レッズレディース(現・三菱重工浦和レッズレディース)に戻ってきた理由を、彼女はこう語ってくれていたからだ。

「東京五輪がなければ、たぶん、帰ってきていないと思います」

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・猶本光 [前編] 浦和はずっと自分のホーム (https://bit.ly/3lbNHSs)
・猶本光 [後編] 浦和での歩みを確信したドイツでの1年半 (https://bit.ly/3C04k9B)
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 それだけ東京五輪に懸ける思いは強かった。

 東京五輪は始まっていたが、猶本はなでしこジャパンのメンバーに選ばれなかった悔しさにどう向き合い、自分の気持ちに決着をつけたのだろうか……。

 素直に質問をぶつければ、猶本は嫌な顔ひとつ見せずに答えてくれた。

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「結局、目標を達成することはできなかったですけど、それまでやってきたことは無駄になっていなかったんですよね。日本に帰ってきて、レッズで一生懸命プレーすることで、選手としての幅が広がったり、セットプレーのキックのコツをつかんだり。そういう意味では、この1年半、日本に帰ってきて、そこを目指したことで、自分自身はすごく成長できたと思うんです。

 自分自身でも、達成できないかな、可能性は低いだろうな、と当時から思っていたところもありましたけど、それをどうにか覆そうとすることで、ものすごいパワーが生まれたんです。きっと、その目標がなければ、自分はここまで成長しなかったとも思います。だから、結果は残念でしたけど、ドイツから戻ってきて、レッズでプレーした決断に後悔はないですね」

 東京五輪という単語を発しないところに、悔しさがにじみでているようにも感じられた。ただ、この1年半を振り返れば、確かな成長の足跡があった。

 猶本が振り返る。

「去年はコンスタントに前目のポジションをやらせてもらえたことによって、練習も含めて、ゴール前でプレーするシーンが数多く訪れました。今まで、そうしたポジションは経験していなかったので、この場面ではGKが出てくる、もしくは引くという予測も、最初はできない状態でした。

それが、だんだんとDFはこう対応するのか、GKはこう動くのかというのが分かるようになり、毎シーンが自分の経験になっていったので、すごく成長できたシーズンだったと感じています」

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昨季の猶本のプレーを思い起こせば、1年間のなかでも目に見える変化が感じられた。明らかにゴールに向かうプレーが増えたのである。そこには本人も強くうなずいた。

「ゴールを目指しているという点では、そこはドイツで学んできたことなので、シーズン当初から変わらなかったと思います。ただ、目指していることは変わらないですけど、シーズン後半戦のほうが、よりそれがプレーとして表現できるようになりました。チームメイトとの息が合ってきたことも理由のひとつですけど、ゴール前で自分がチャンスになりそうなシーンは増えたと思っています」

 ゴールに直結するプレーのベースは、ドイツで縦に速いサッカーに触れたことで培ったものだ。冒頭のコメントにあるように、猶本が成長のポイントとして挙げた「選手としての幅」は、レッズレディースで新たに養ったものである。

「(日本に)帰ってきたら、レッズは味方同士が近い距離でパス交換するサッカーを目指していた。そうしたスタイルのサッカーは今まで経験したことがなく、言ってしまえばドイツとは真逆だったんです。でも、そのなかで、自分のよさをどう出して、どう周りを活かすかを、かなり考えました。

 ドイツでは縦に、縦にボールをつないで、自分のスペースでは一人で打開してという感じでしたけど、レッズは自分ひとりが対応できるスペースに、何人もチームメイトがいる。そのサッカーに対応していくことで、選手としての幅が広がったと思っています」

 また、もうひとつ、確かな成長の証として挙げてくれたのがキックだった。

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「今までは自分でも自分のキックが分からなかったところがありました。CKでも、そこを狙っているつもりではいましたけど、感覚の部分も大きかったので、たまたまうまくいけば成功するというキックでした。でも、練習していくうちに、自分の技術が安定したというか。

 今までは感覚だったものが、言葉でも説明できるようになったんです。それによって、ゴール前にいる選手とも、ここの裏に蹴るから、ここに入ってきてと、具体的な話ができるようになった。自分のキックが言葉で説明できるようになったら、それが技術として完成されたとでも言えばいいですかね」

 昨季のなでしこリーグ第13節対ジェフユナイテッド市原・千葉レディース戦では、セットプレーから2アシストを記録。第11節の伊賀FCくノ一三重でも直接FKを決めているのは、その賜物だろう。

 レッズレディースで、新たなスタイルのサッカーに、ポジションに挑戦することで、猶本は幅を広げ、キックを研ぎ澄ますことで技術を向上させた。ピッチで見せたプレーが示しているように、この1年半は決して無駄ではなかったのである。

 だから。

「次は2023年のワールドカップになりますけど、次の目標に向かってやるしかないと思っています。努力しても報われないと言う人もいるかもしれませんが、目標に向かって続けていけば、最後にはこんなに素晴らしいことがあるということを、自分のサッカー人生を通して、子どもたちにも見てもらいたいし、見せたいんです」

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 WEリーグは9月12日に開幕する。なでしこリーグ女王として臨むことについて聞けば、「去年のことは忘れたほうがいい」と語る。

「去年の優勝は、もう過去に成し得たこと。今シーズンは周りも変わっているだけに、自分たちも変わっていかなければいけない。去年のことにすがっているというか、自分たちはリーグ優勝したと思っていたら、足元をすくわれると思っています」

 その言葉から、勝者のメンタリティーが備わっていることが感じられ、猶本はもう次に向かって走り出していると思った。

「私自身も、先輩たちのキラキラしている姿を見て、自分もそうなりたいと思ってやってきているし、目指してきたんです。今、オリンピックが開催されていて、スポーツの力ということが言われていますけど、そこがプレーというかサッカー選手としての原点にはあるんです。目標に向かって一生懸命にやることで得たこともたくさんありますし、それを大事にして、見せ続けることができればと思っています」

 未来に向かって、猶本は走り続ける。それこそが彼女の原点であり、ピッチで一際輝く魅力でもある。

(取材/文・原田大輔)

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著者プロフィール

1950年に中日本重工サッカー部として創部。1964年に三菱重工業サッカー部、1990年に三菱自動車工業サッカー部と名称を変え、1991年にJリーグ正会員に。浦和レッドダイヤモンズの名前で、1993年に開幕したJリーグに参戦した。チーム名はダイヤモンドが持つ最高の輝き、固い結束力をイメージし、クラブカラーのレッドと組み合わせたもの。2001年5月にホームタウンが「さいたま市」となったが、それまでの「浦和市」の名称をそのまま使用している。エンブレムには県花のサクラソウ、県サッカー発祥の象徴である鳳翔閣、菱形があしらわれている。

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