【TOKYOism】FC東京 中村帆高『人生は、青くて、赤い』

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人生は、青くて、赤い/中村帆高

マイナス思考と愚直さは、紙一重のように思える。物事を深く突き詰めていくからこそ、ときに自分を疑問視し、思い悩む。反対に蛇行するような生き方の人間には、考え込む真面目さも、真っすぐ自分を貫きたい願望もない。

そして経験は、人を欲深くする。悪い意味ではない。プロにとって貪欲さは大切だ。2020年2月のプロデビューから、2021年1月のルヴァンカップ優勝までの約11か月。この短期間で、心は度々不安になりながらもまた勇み、そして刻々と奮い立ってきた。

すべて、人間・中村帆高のことである。

何度も、辞めようと思った

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想像すらしていなかった、開幕戦での先発抜擢。2020年2月25日、静岡・日本平。まだコロナ禍になる前、スタジアムにはぎっしり観客が詰まった華の舞台に中村は立った。

「本当に自分が一番びっくりでした。正直、プロに入ってまだやれることなんかほとんどないぐらいでした。沖縄キャンプは一番下からのスタート。プロのスピード感にもまったくついていけなかった。ただ、キャンプ終盤、練習試合で左サイドバックを初めてやって仙台のジャーメイン良選手を抑えたことで、周りの見方が変わったのかなと思います。開幕の2日前に健太さん(長谷川健太監督)から『左サイド、先発で行くから』と言われました。ただ結局実際にプレーしてみると手応えなんかなくて、『このままだとヤバいな・・・』という感触だけでした」

当初から、話をしていてとても人間性に興味を持たせる選手だった。基本は地に足の着いた発言。自分を客観視することにも長けている。また自身を「ネガティブに考えて、自分を低く見て、周囲とも比べてしまう」と評する。

ただ、面白いのが、話を聞いていると時折顔をのぞかせる無骨さや自信、気概といった、強さの一面を持ち合わせていること。冷静でいて、熱い。そんな感情の往来は、中村のここまでのキャリアの軌跡からも感じ取れる。

中学、高校、大学。彼は毎回、「真剣にサッカーを辞めようとした」ことがある、稀有なプロサッカー選手だ。

サッカーとの出会いは小学2年生。初めはGKだった。5年生のとき、「サイドバック、やってみたら」というコーチの勧めで、いまの天職に。以降、プロまでサイドバック一筋なんていうキャリアの選手もまた珍しい。

冷静な彼らしい心情は、すでにこのころから持ち合わせていた。

「体力、脚力は昔から武器でした。でも、マジで 下手な選手だったので、子どもが楽しいと思うような感覚でサッカーはやっていませんでした。地味なプレーで自分は行こう、そう割り切っていました」

中学時代に膝に痛みが出るオスグッド病を患ってしまった。そのことが最初にサッカーを断念しようとした理由、ではなかったという。

「本当に中学時代も、能力的に落ちこぼれでしたから。周りを見て、完全に自信を失っていたし、サッカーもまったく楽しくなかった。ずっと辞めたいと思っていました」

日大藤沢高校に進学すると、今度は1年生時に怪我をして再びサッカーができなくなった。そこでも落ち込んだ帆高少年。ただ、監督やドクターと、周囲の理解者が脆く崩れそうな彼の心を支えた。

「1年後には復帰して、高校3年生の5月ぐらいからAチームで出られるようになりました。支えていただいた方々がいなければ、僕は腐って終わっていたと思います」

当時の感情をただ素直に語ってくれているだけなのだが、自己評価が決して高くない。そんな中村の基本姿勢は、「腐って終わっていたと思う」なんていうストレートな口ぶりからもすごく伝わってきた。

結局自分は、サッカーだった

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これで終わってしまえば、単なる気弱な青年である。もちろん、そうじゃない。ここから中村の愚直さという強みが、じわじわと滲み出ていくことになる。

明治大学に進学し、頭角を現した。4年生時は日本代表としてユニバーシアード大会を戦い世界一に。明大でも東京に同期入団となった安部柊斗とともにタイトルを総ナメにした。周りを見渡すと、「サッカーで勝負していくんだという強気な選手ばかり」だった。

中村は、そこでも一人沈着な心持ちを貫いていた。

「就職活動をしたのは、僕だけでした。実際に企業の面接や自己分析もやりました。僕はリーダーシップについてのアピールではなく、目標を達成するために課題を挙げながらそれを克服していくことで組織に貢献できるというPRを書いていました。コツコツタイプですね。今も昔も、僕にとってサッカーは楽しいだけではやっていけない世界。それは高校から大学、そしてプロを意識すれば余計にそうでした。職業にして、お金を稼がないといけない。活躍できずにいたらすぐに引退が待っている。さらに言えば、技術も下手だし、『絶対にプロに行くことしか目がない』という選手たちと比べて、自分を低く見ていた。彼らにどこかコンプレックスがあったんです」

ただ、過去の自分は、結局自分に嘘をつかずに生きてきていたことも確かだった。「辞めたい」、「自信がない」とその都度思ってきたとはいえ、プロに行けるレベルにたどり着くまで、サッカーを続けてきた事実がある。

「就活の終盤ぐらいに気づいたんです。冷静に自分を見つめると、『やっぱりなんだかんだ俺はサッカーがやりたいんだな』と。確かに今でも僕は同世代の人間と、人生やサッカーの考え方は違うかもしれないと感じることもあります。でも、本当に今の自分からサッカーを取ったときに、何で勝負できるのか。必然的に今自分が持っている力で勝負できるものはなにかといえば、やっぱりサッカーだった。厳しい世界ですが、行くしかないと思い決断しました」

飛び込んだプロの世界で、1年が経過した。逡巡していた少し前の自分に、中村はいまの思いを届けたい。

「プロになってよかったなと思っています。大変さ、プレッシャーは半端ないです。でもそれ以上に、この世界では『今、自分はめちゃくちゃ生きているな』と実感できるんです。うまくいかないことや試練、壁にぶちあたってばかりだけど、こういう人生のほうが楽しいと、今の僕は思えるようになりました」

ノリや勢いではない。突き詰めて、考え抜いて決断した選択だからこそ、その心の声は透き通ってこちらに届いた。

よく言えば冷静、自虐的に言えばマイナス思考な自分も、サッカーを続けてきた愚直な自分には勝てなかった。中村は弱みもしっかり受け止め内包しながら、プロサッカー選手として堂々と生きている。

守ることの言語化。そして三笘薫

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思考の針はマイナスとプラスを行ったり来たり。出てくるのは情感たっぷりなフレーズで、聞いているこちらの興味を深めてくれる。一方、また違った魅力が詰まった言葉を、中村は発することがある。

それは、プレーの言語化。ピッチでは、非常にロジカルな考えのもとで振る舞う彼がいる。また動きを描写する際に、きっちり言葉に落とし込む力もある。それを実感した瞬間があった。

2020年7月22日、札幌ドーム。後半、札幌のドリブラー、チャナティップに抜け出され絶体絶命のピンチに。遅れて追走した中村は相手に追いつき、最高のタイミングでカバーリングに成功。独力で難敵を止め切ってみせたのだった。さらに続く1週間後のカシマスタジアム。鹿島との拮抗した試合展開の中、後半再び相手に抜け出される危機に。そこでも中村は同じように長い距離を走っては敵に追いつき、渾身のカバー。2試合続けて見せた、殊勲の守備。いずれも彼の武器である走力や強度が生きた場面に見えた。

中村はこちらの想像の上を行く、もっとしたたかな判断のもとプレーを実行していた。

「(チャナティップを止めたプレーは)どれぐらいのスピードで追いつくか、またどれぐらいの角度でスライディングに入れば止められるか、すべて計算した上でプレーしました」

打算的なプレーで止めたと、胸を張る。1対1の守備の強さは、中村の真骨頂。では、体の強さや足の速さといったフィジカル面だけでなく、どんなアプローチで敵を止めに行っているのか。

「自分のプレースタイル的にも、やっぱり守備について話を聞かれることが多いです。僕の中には、今までDF人生で培ってきた1対1の方法論があります。一つずつ明かしていくことはできませんが、シチュエーションによって型があるんです。その状況、場面も細かく把握して、どのタイミングで相手に寄せるのか、待つのか。その場面、場面のプレーを言語化する意識を持っています。例えば、相手のボールの持ち方によって、自分の体の角度を決めて、どこで奪うか。毎試合相手にアジャストしながら、しっかり映像を見ながら分析もして、自分の方法論を駆使します」

もちろん大事にしている“商売手法”。易々と明かすわけにはいかないが、「僕にこの武器がなければ、プロにはなれていない」と言い切るほど、1対1の勝負にはこだわりを持っている。

そんな中村と白熱の対決を展開した選手と言えば、川崎フロンターレの三笘薫。二人は同級生で、明大時代から筑波大学でプレーした三笘とは相対してきた。特に両者がバトルを繰り広げたのが、昨年10月7日のルヴァンカップ準決勝。後半、長谷川健太監督は相手左サイドの三笘を止めるために、「(三笘は)特殊な能力を持った選手に対して、こちらも特殊な能力(中村)を持った選手で対抗しました」と、“1対1職人”の中村をぶつけた。いざ、ガチンコ勝負の始まりとなった。

最初のプレーで、中村は三笘に背後を取られ、深い位置まで突破を許した。さらに続く攻防。ここからは中村も意地を見せ、鋭いターンと推進を駆使する三笘を次々と止めて見せた。結局、試合も2-0で東京の勝利。「あの三笘を止めた」と、中村に好評価が飛んだ。

「いや、あれは屈辱でした」

飛び出したのは、またもや自分に厳しい一言。中村はあの対決をこう回想する。

「プロ1年目で対戦してきた相手の中にはもちろんたくさん脅威な選手はいましたが、もう圧倒的に薫が一番すごかったです。大学時代から対峙してきて、当時は彼個人がうまいという次元でしたので、『薫さえ止めれば大丈夫』という対策でした。ただ今、フロンターレでは彼の周囲にもうまい選手ばかりなので、余計に彼への対応が難しい。一番厄介な相手でした。それに、あのルヴァンカップでの対決。最初の突破を許したことは屈辱的でした。僕はああいう場面に命を懸けている選手。9回止めても1回抜かれて失点に直結してしまえば、DFは敗北です。僕にとっての勝利は完勝しかない。あの対決は、まったく納得がいっていないです」

試合後の夜遅く、三笘から送られてきたメールには、「次は絶対に負けないから」という文言が書かれていたという。ライバルクラブにいる、今やJを代表するアタッカーにまで上り詰めた同級生。互いが認め合う両者の対決は、多摩川クラシコの新たなホットトピックスになっていく。

「1対1にかけている。そこに対する負けたくない気持ちは、誰にも負けないかもしれない」

感情の針が強気に振り切れる瞬間。あらためてこの振れ幅が、中村はおもしろい。

印象を覆す。僕の本当の姿

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守備の職人。この1年で、多くのJリーグファンにもそんなイメージが定着したかもしれない。ここまで守備をロジカルに、かつこだわりをもってプレーしているのだから、その評価に狂いはないだろう。

初めてのACLでは新たに悔しさも味わった。昨年の11月下旬、ちょうど中村にこの企画の話を聞き始めたのが、カタールで迎える初戦の2日前だった。「楽しみで仕方ない」と話していたアジアデビューは、自ら相手にPKを献上しチームが敗れる最悪のスタートとなった。「1回でもやられたらDFは敗北」。あの強い言葉どおりの現実が、眼前に起こってしまった。

「悔しさは忘れずにいたい。少しだけ引きずる時間もありました。ただ、実はあれに関しては自分の中で全部受け入れたんです。あそこでファウルを犯してしまった自分の今のレベルを受け止め、やるしかない。失点と常に隣り合わせのポジション。その中でも守れる確率をいかに上げていくか。相手の攻撃にイレギュラーはつきものでも、サッカー人生をかけてそこはやっていかないといけない。厳しい世界にいるということを、身を持って体感したことを糧にしたいです」

そのリバウンドメンタリティは、きっちりルヴァンカップ決勝の舞台で証明された。自分に迫ってくる柏レイソルの選手たちを、粘着ディフェンスで抑え込んでいく。もう集中を切らさない。きっと心の中で呪文のように投げかけながら、国立のピッチで戦い抜いた。

今、中村はまた新たな悩みを抱えている。それは「守備だけの選手」という、彼にとっては理想ではない評判を、いかに覆していくかというテーマである。

「この1年、確かに守備のことで僕を取り上げていただくことが多かったと思います。もちろんDFなので守備が一番です。でも、自分がこれまで武器にしてきたプレーは、それだけじゃない。ボールを奪い、前に出て、高い位置で攻撃に絡んでいく。その迫力を出して、攻守を連続していくことこそが、僕の最大の武器です。何度も言いますが、守備だけじゃない。実際に自分が証明したいのは、その先のプレーも含めてなんです」

チームが昨年新たに導入した[4-3-3]システム。中村にとっては初めての経験だった。「例えば[4-4-2]のようにサイドハーフがいるシステムとは、サイドバックが攻撃に絡むやり方はまったく違う」。ウイングが高い位置に張り出し、縦に速く攻める今の戦術の中で、サイドバックがいかに効果的かつ機能的に攻撃参加していくか。その悩みは結局解決されぬまま、2020年シーズンを終えた。

「12月末にU-23日本代表候補の合宿に行って、もう一度自分の攻撃マインドを思い出そうと意識してプレーしました。練習試合ではアシストもでき、あらためて自分の理想のプレーはこういうものだと実感しました。例えば、東京では同じポジションの(中村)拓海のプレーをすごく見ていました。彼は僕にはないビルドアップのセンスやパス能力を持っている。それはチームでも求められることであり、僕もプロ1年目からそこの成長は必要だと感じていました。ただ、自分本来の理想や武器は、決して拓海と同じようなサイドバックではないです。もっと果敢に、迫力持って攻撃に加われるか。先輩の(室屋)成くんも、あるとき自分の良さを忘れて試合に出られない時期があったと聞きます。そのときに、『吹っ切って、もう一度ガンガン前に出よう』と腹をくくったことで、あの今の成くんになった。1年目の僕はそこをやりきれなかった。やっぱりポジティブに自分のプレーを突き詰めてこそ、前向きな課題も生まれてくる。2021年、このマインドになれたことは僕にとってすごく大きなことです」

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誰よりも多感な人間なのだろう。目の前にある事象を、起きた事実を、そして自分を、いつだって深く考え、悩み、また考える。このループの過程で、冷静=マイナス思考と、情熱=プラス思考を行き来する。それは昔から変わらぬ、中村帆高の生き方だ。

青と赤。冷静と情熱にも言い換えられるコントラストである。彼の人生は、青くて、赤い。中村がこのチームに足を踏み入れ、奮闘の日々を送る姿がしっくりくるのは、そんな重なりが理由なのかもしれない。

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著者プロフィール

FC東京は、「東京都」全域をホームタウンとする、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に所属するプロサッカークラブ。

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