【私と家族の選手権】サッカー一家に生まれ、“両利き”になった 〜杉田妃和(INAC神戸レオネッサ)

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【©JFAnews/SMD】

全国の舞台で活躍した選手はどのような家庭環境で育ち、成長を続けたのか。ここではなでしこジャパン(日本女子代表)として活躍する杉田妃和選手の家族との物語をお届けします。

父の見立てで利き足を変更

INAC神戸レオネッサとなでしこジャパン(日本女子代表)で活躍する杉田妃和は、福岡県北九州市の出身。サッカー経験者だった父親の徹氏が地元の二島フットボールクラブでコーチを務め、2歳年上の兄も幼稚園生の時に同クラブに入団するなど、サッカーが身近にある環境で育った。杉田自身がサッカーを始めたのも必然だったと言えるだろう。

「兄がやっていたし、スポーツをやるならサッカーでいいかな、というアバウトな感じでした」と当時を振り返る杉田だが、指導していた徹氏は我が子の才能にすぐに気づいたという。

「ボールコントロールやドリブルのタッチのやり方を見せると、何回かの練習ですぐに『こんな感じでいいの?』とできてしまう子でした。努力を重ねてようやくできるようになる、というキャラクターではなかったですね」

それを物語るのが、杉田の利き足にまつわるエピソードだ。現在、杉田のプロフィールでは利き足は「左」となっているが、実際にそのプレーを見ると、両足で差異なくボールを操っている。徹氏によると「本来は右利き」で、杉田自身も「サッカーを始めた時は右足で蹴っていた」と振り返っており、途中で左利きに“転身”したのだ。

両足でボールを扱えるように、というクラブの方針から、ドリブルやキックなどの基礎練習では両足を使ってボールに触れることを重視していたそうだが、杉田は両足で違和感なく蹴ることができており、徹氏の見立てで左足のほうがタッチの感覚が良かったため、左足を重点的に鍛えて左利きになったという。杉田は「リフティングは右足のほうがやりやすいです。左利きなんでしょうけど、右足のほうができるものもある、という感じです」と語っている。

高校は親元を離れて静岡へ

小学6年で男子の九州選抜に名を連ねるなど順調に成長し、中学時代は宗像市にあるFCグローバルでプレー。中学2年次からはナショナルトレセンやJFAエリートプログラムに呼ばれるようになった。「将来はなでしこリーグやなでしこジャパンでプレーする、というのがお互い共通で考えていた目標」と徹氏が振り返るように、杉田はこの頃から現在の姿をイメージしながら日々を過ごしていた。当然、高校もサッカー強豪校を選ぶことになる。2012年、杉田は自宅から遠く離れた静岡県の藤枝順心高等学校に進学した。

ナショナルトレセンへの参加中に藤枝順心の関係者から声を掛けられたことがきっかけとなり、杉田は徹氏とともに同校を見学。「家族として全く不安要素のない学校」(徹氏)であり、同じ北九州市出身で、過去に杉田と同じクラブに所属し、藤枝順心に進学した佐伯彩(現アルビレックス新潟レディース)の家族から得た情報もプラスになった。「自分のいるチームに対しての責任やプライドを持つように」という徹氏の言葉を胸に、杉田は新たなスタートを切ることとなった。

藤枝順心は全日本高等学校女子サッカー選手権大会に2004年の第13回大会から連続出場している強豪校で、2020年に行われる第28回大会にも東海地区の第二代表として出場する。ナショナルトレセンやエリートプログラムに参加していた杉田をしても間違いなくレベルの高い環境だったが、彼女は1年次からレギュラーとして活躍。15歳ながらU-17女子日本代表の一員として2012年のU‐17ワールドカップに出場すると、2013年の選手権第21回大会ではチームのベスト8進出に貢献した。

同大会の準々決勝では宮城県の常盤木学園高校と対戦。試合は0-0のままPK戦に突入し、杉田自身は4人目のキッカーを務めてキックを成功させたものの、チームは3-4で惜しくも敗れた。常盤木学園は杉田と藤枝順心にとって最大のライバルとなり、その後の大会でも激闘を繰り広げることとなる。

藤枝順心高校のイレブン 【©JFA】

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日本サッカー協会(JFA)は、日本サッカー界を統括し代表する団体として、サッカーを通じて豊かなスポーツ文化を創造し、人々の心身の発達と社会の発展に貢献することを目的に活動しています。 JFA公式Webサイトでは、日本代表からグラスルーツまで幅広いサッカーの現場の話題をお届けします。

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