【ママさんバレーボール】白いボールを追いかけて⑧奈良編 全国ママ大会トリプル出場の名門の現在 半世紀の歴史を次の世代につなげて

チーム・協会

三笠の「三」ポーズで笑顔いっぱい 【Takehiko Ito】

1カ月に4回、昼夜に練習

 三笠といえば、『百人一首』にもうたわれた春日大社を抱く山の名前。いまでも和菓子の名前などに残っているが、奈良県のバレー界でいえば、ママさんバレーボールの老舗クラブを指す。1975年の発足から半世紀を迎えた現在も、JR、近鉄の奈良駅に近い中学校体育館と市内のコミュニティーホールを練習会場に、すでに仕事人生をほぼ終えたリタイア組が昼間に2回、仕事組が夜に2回と計月に4度、20人近くが白いボールを追いかけている。
 この1月に創立50周年を奈良市内のホテルで祝ったばかり。1975年に東京で開かれた第6回全国ママさんバレーボール大会に初出場してちょうど50年目にもなる。市立三笠中学校の校区で生まれた同年、県内のライバルで、現在の中西壽子全国連盟会長がいた郡山クラブを県大会決勝で破って初の全国舞台を踏んだ。昭和でいえばちょうど50年で、ママさんバレーボールは第一次ブーム。全国の予選の参加者チームが4,000に迫るころだ。そのチームの主力だったのが、現在の代表兼監督兼選手の秋川弘子さん(78)。「当時から傑出した選手はいないけれど、まじめでこつこつと拾うバレーが持ち味でした」

左から東浦さん、秋川監督、仲辻さん 【Takehiko Ito】

半世紀で全国ママ大会に3回出場

 創立15年目、平成2年の第21回大会、秋川さんは監督として2回目の出場を果たす。チームはさらに11年後の第32回大会にも出場した。全選手が入れ替わらなければ2回目以降の出場ができない厳格なルールがあった時代。大会では上位進出こそしていないが、ここまでコンスタントに複数回の出場を果たしたチームは全国でもめずらしい。秋川さんは50歳以上のいそじ大会に5回、60歳以上のことぶき大会にも4回の出場歴を持つ。堅実なレシーバーとして渋い存在感を示しながら、クラブの歴史とともに昭和、平成、令和と半世紀のバレー人生を歩んできた。
 現在ではメンバーの平均年齢は60歳を超え、70歳以上の「おふく世代」も9人いるが、選手たちの多くからは、「バレーも楽しいけれど、仲間と過ごす時間がかけがえのないもの」という答えが返ってくる。三笠クラブでは各種全国大会への遠征のほか、バレーの行事以外のレクリエーション活動も盛んだ。

徐々に熱を帯びる夜間練習 【Takehiko Ito】

「若手」への声がけに悩む

 若い頃は陸上の三種競技とやり投げの選手で、日本選手権にも出場したキャリアを持つ東浦育代さん(74)は20代でママさんバレーに誘われて白いボールに初めて触れた。やり投げで鍛えた「強肩」を生かしてアタッカーとして活躍してきたが、いまでもチームプレーのだいご味を忘れていない。「自分に向き合わなければならない孤独な個人競技と違って、仲間がいる実感を持てたのがママさんバレー。今でも練習は楽しいし、バレーがあるからこそ、それ以外にもつながっていられる」と話す。
 コーチの仲辻早苗さん(75)は奈良教育大を卒業後、大阪市内で教壇に立ち、教員チームでプレーしていたが、30歳代前半でUターンして三笠クラブ入り。「とにかく一生懸命に練習をやるチーム。みんな性格も穏やか。やや勝負弱いのがたまに傷ですが」と笑う。直近の全国大会は2024年12月に伊勢市であった「GRACE CUP」に50代中心と60代以上の2チームで出場。前者は香川と京都にセットカウントはともに1-1ながら得点数で2敗。60代以上チームも三重と1-1ながら得点数で競り負け、2勝した岐阜には完敗した。
 年齢別の各年代のレベルはこの10年でも各段に上がった。仲間と味わう楽しさの一方で勝負も捨てたくないというのが、現在のシニア選手たちの心うち。実際、奈良県内の大会でも「優勝チームを決めてほしい」という声が高まっているという。そんな中、50代の「若手」に対して強くものを言っていいものか――。チームを指導する立場の仲辻さんは、元教育者ならではの悩みも持つ。「みんなで旅行ができて楽しいのも、バレーがあるからこそ。その考え方は失いたくないですから」。2025年度も全国3か所で計画されている「GRACE CUP」にエントリーを予定している。

チーム最年少の中野さんは「まだまだ鍛えないと」 【Takehiko Ito】

最年少選手は向上心を失わず

底冷えがする2月末の夜。19時開始の夜間練習に、50代と60代以上の選手が集まり、大阪市内に通勤する選手が駆け足で合流した。夜の練習には若手とシニアが入り交ざり、試合形式の練習も、いつしか熱を帯びる。奈良県内のママさんバレー事情をいえば、年齢別なしの一般チームは全体の登録チームの半分弱の20ほどで、活動の主体は50代、60代以上に移りつつある。その流れは全国に通じ、三笠クラブの年齢構成はまさにその典型だ。近年は「ファジー三笠」というチーム名で各大会に登録しているが、年齢の枠を超えて編成される「ファジー」な姿はこれからのママさんバレーの近未来像に重なり、孤立しかねない個が絆を深め合うシニア時代の生き方も問いかける。
市内のフラワーショップで働く中野真由美さんは51歳になったばかりのチーム最年少。隣接する校区から昨年加入した左利きのアタッカーで、チームの貴重な戦力として期待を受ける。「みんな明るく優しいので楽しいですが、それに甘えることなく、ここから成長したい。料理をしながら足の筋肉を鍛える運動もしています。まだ若手、ですから」
遣唐使として送られた作者が、異国で見た月を通して故郷を思う『百人一首』の名歌に出てくる三笠の山は、離れて見なければ山とも思えないほどの低山だが、大社を抱いて鎮座している。その名にちなんだママさんバレーの老舗も、成績は地味だが、しっかりと歴史を受け継いでいる。半世紀を歩もうとする有名無名のチームが全国にあり、令和時代のママさんバレーがある。
取材・文・写真/伊東武彦
  • 前へ
  • 1
  • 次へ

1/1ページ

著者プロフィール

バレーボールを通して会員の心身の健全な発展と、その輪の広がりを願いあわせて、社会的価値のあるものとして生涯スポーツに導くことを目的としてガイドラインの設定と各種大会の運営を行っています。

新着記事

スポーツナビからのお知らせ

編集部ピックアップ

おすすめ記事(Doスポーツ)

記事一覧

新着コラム

コラム一覧

日本オリンピック委員会公式サイト

JOC公式アカウント