三笘薫、守田英正、上田綺世のたどったプロへの道は……多様化するユース年代の進路先
日本代表選手のたどった道もさまざま
小学生の時に川崎フロンターレのアカデミーに入った三笘薫は、トップ昇格のオファーがありながらも筑波大に進学した 【写真:安藤隆人】
先に挙げたパターンで言うと、三笘は①に当てはまる。三笘は小学生の時から川崎フロンターレのアカデミーに入り、U-15、U-18と昇格した。だが、高校3年生のときにトップ昇格のオファーがありながらも、「まだすぐに通用する自信がない。大学の4年間で選手としての成長はもちろん、勉強などを通じて人間的な成長をしたかった」と筑波大に進学した。
守田は⑩のパターンだ。地元のガンバ大阪のジュニアユースでプレーすることを望んだが、結果は不合格。Jジュニアユースには進めず、高槻市立第九中学校サッカー部で力を磨いて、大阪の強豪私立である金光大阪に進学して頭角を現すと、そこから流通経済大に進学し、才能を開花させた。
上田は②に当てはまり、中学時代は鹿島アントラーズノルテジュニアユースでプレー。ユースには昇格できず、地元の私立・鹿島学園高校に進んだ。ここで絶対的エースストライカーとして活躍するも、プロから声がかからず。反骨心を持って大学サッカーの強豪・法政大学に進んでさらに成長し、大学3年生の段階で争奪戦の末に鹿島に内定、4年生の段階でプロ契約をして一足早くプロの世界に飛び立った。
そして相馬は④に当てはまる。『最強街クラブ』と呼ばれる三菱養和SCに小学校時代から入り、そのまま三菱養和SC調布ジュニアユース、三菱養和SCユースと進んだ。高校の3年間で国体優勝、日本クラブユース選手権優勝を手にするが、プロからは声がかからずに早稲田大に進学した。
もはやどちらがいいか悪いかの単純な問題ではない
谷口彰悟(中央)は熊本ユナイテッドFCジュニアユースから大津高校へ進学し、筑波大を経て川崎フロンターレへ加入した 【写真:安藤隆人】
こうしたモデルケースが次々と情報として広く伝わっていることも、今の進路選択や将来のビジョン形成に大きな影響を与えている。自分はどのケースに当てはまるのかはもちろん、今自分が評価されない状況でも環境を変えれば評価されるかもしれない、逆に慣れ親しんで居心地が良い環境だからこそ、敢えてここを離れて厳しい環境に身を置いて自己鍛錬と自己発見を実現させたい――。こうした考え方やモチベーションが源泉になっているからこそ、より多様化は進んでいると言っていい。
もはやどちらがいいか悪いかの単純な問題ではなくなっている。もちろん「Jユースはプロを育てる組織なのに、有名大学進学が1つの入る目的になってしまっている」と言う声は頷けるし、「Jユースに進むと、トップチームに上がるか、上がれない場合はカテゴリーを落としてでないと高卒プロになれず、進路選択の幅が狭くなるから高校を選んだ」という声も耳にする。さらに「Jユースの方が高校サッカーよりレベルが高い」という声も理解できる。
ただ、大事なのは選ぶ立場にある子供たちにあり、そこで何を考えるのか、どういう感情を抱いて決断するのかが重要になる。前述したとおり、最初は衝動的でもいい。そのうち自分自身にベクトルを向けて、自己理解を深めていく中で、もう一度選択し直せる環境があるからこそ、周りの意見や惰性に流されないで自己決定をした先に、未来が待っている。
全国高校サッカー選手権大会を戦った選手たち、来年に向けて練習に励むJユース、街クラブ、高体連すべての選手たちのビジョンにリスペクトを込めて、このコラムを締めたいと思う。