【浦和レッズ】小泉佳穂はいかにしてスタメン復帰を遂げたのか「自分をちょっとだけ許してあげたんです」

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 素直で、誠実で、正直――。

 小泉佳穂と話していると、そんな言葉が思い浮かぶ。真っ直ぐな性格は、裏を返すと嘘がつけないということでもある。それは周りに対してだけでなく、自分自身へも当てはまる。

 AFCチャンピオンズリーグ2022決勝後のコンディション不良を機に、しばらく試合から遠ざかった時期を、彼はこう振り返った。

「監督、クラブ、チーム、チームメート、ファン・サポーター……全方位から自分が求められているものと自分が求めているもの、そのすべてに達せていないことに、自分自身が納得できなかったんです。最終的には、自分のプレーに全然、満足できないことが大きくて、試合に出られないことも納得というか、『そりゃそうだよな』って思ってしまった部分もありました。毎日が楽しくないというか、重圧とストレスで、全然、ハッピーじゃなかった」


 浦和レッズでプレーしている自覚が強すぎるがゆえの葛藤でもあった。

「どこでプレーしていても、その自覚を感じやすい性格ではあるんですけど、浦和レッズでプレーするようになってからは、一層、それが大きいことは間違いないです」

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 その苦悩については、7月28日に配信された浦和レッズニュースで詳しく語られている。

 小泉は、そこからどのように自分自身と向き合い、再びスタメンに返り咲いたのか。

「一つは自分が生きていくうえでのスタンスを見直そうと考えました。物事において、真面目に、全力で取り組んでいても、結果が出ないことってあるじゃないですか。逆境に立たされれば立たされるほど、燃える人もいるかもしれないですけど、自分の場合は、自分で自分を苦しめすぎていたなと」

 その様子を心配した戸苅淳フットボール本部長が紹介してくれたメンタルトレーナーとの対話も、自分を変える一助になった。

「もともと、思い詰める傾向が自分にあることは自覚していたんですけど、具体的にどうすればいいかは、あまり分かっていなかったので、メンタルトレーナーと一緒に見直したんです。練習や自主練、それこそ日常生活でも、自分がやらなければいけないことってたくさんありますよね。その理想や目標に到達できなかったとき、いつも自分を許せなかったんです。しかも、本来の僕は、ストイックな人間じゃないのに、ですよ」


 見つめ直し、自分の性格を自覚できたからこその発言だった。

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「めちゃくちゃ負けず嫌いなんですけど、決して職人のようなタイプじゃないんですよ」と言って、小泉は笑う。

「だから、本当はいろいろなところで妥協したい人間なのに、頭ではその妥協が許せない。理想と現実の折り合いが難しくて。理想とする自分が高すぎて、自分はこういう人間でいなければいけないとか、練習ではここまでやらなきゃいけないという、自分に対する設定が厳しすぎたんです。

 今までは、自分の中に理想のアスリート像みたいなものがあったんですけど、そこをちょっとだけ許してあげるというか、自分がしたいこと、やりたいことをするようにしたんです」

 日常生活においても、練習や試合のために課していたルーティンや習慣を少しだけ緩和した。練習でも、目標を下げるのではなく、できることに目を向け、許容範囲を広げた。

 小泉が「例えば」と言って一例を挙げたのはウォーミングアップだった。

「ウォーミングアップで置いてあるマーカーまで走って折り返すときに、(岩尾)憲くんは絶対にマーカーを回っているんですけど、他の選手はだいたいがマーカーの手前で折り返すんです。自分も同じように手前で折り返したいのに、そうする自分が許せないから、憲くんと同じようにマーカーまで行って折り返していた。


 でも、手前で折り返そうが、マーカーまで行こうが、そんなに大きなことではない。だから、それを自分に許すようにしたんです。許しても、結局、自分はマーカーを回るんですけどね。ただ、それが仮にできなかった、しなかったからといって、ストレスを感じることはなくなりました」

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 プレーについても同様だった。理想ではなく、現実に目を向けた。

 夏場になり、連戦を必死で戦うチームメートを見て感じることがあった。

「自分が理想とするプレーには届かなかったとしても、今の自分がチームの力になれることはたくさんあるなって。固定したメンバーだけで、連戦を戦い抜くのはどう考えても難しいし、試合に出ている選手たちの疲労も溜まっていた。

 自分も練習はしっかりやっていたので、きっと、その中でチャンスは巡ってくるだろうなと。そのときに、今の自分にできることに向き合って、チームの力になれればと思ったんです」

 マチェイ スコルジャ監督からの言葉も背中を押してくれた。

「このチームには佳穂の力が必要だ」

 小泉は言う。

「監督からそう言ってもらえて、自分自身も『そうだよな』って思いました。自分がうだうだして、チームに迷惑を掛けている場合じゃないなって」

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 今の自分にできることが、そのときのチームに必要なことでもあった。

「例えば、スムーズにボールを回すことや、相手をいなすこと、守備では穴を空けないこと。また、試合から運の要素を排除してゲームをコントロールする、自分たちの想像の範囲内でゲームを進めていけるように、自分が力になれるところはあるなと」

 8月18日の名古屋グランパス戦(第24節)で先発に復帰して以降、途中交代を視野に入れたかのように、前半から相手の体力を消耗させるポジショニングやランニングといった献身性なプレーが際立った。

 試合後にたびたび聞いた「チームのために」という発言も、そうした思いや考えからだった。

「だから、チームが最後に勝ち点3を取れさえすれば、自分が結果を出せなくてもいいと考えていました。自分がピッチにいることで少しでもチームにとってプラスになるのであれば、OKという目標設定にしたんです」

 事実、その献身性がチームの勝ち点3につながった試合はある。ハーフタイムで交代したものの1-0で勝利した名古屋戦、逆に後半開始から出場して1-0で勝利した湘南ベルマーレ戦(第25節)、さらに3-1で勝利したガンバ大阪戦(第28節)も該当する。

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 しかし、自己分析力に長ける小泉は、自分に向ける厳しさを持ち続けていた。それを聞かずとも、口にするのは、やはり正直者が故だ。


「チームのためにって、すごく綺麗な言葉に聞こえますよね。でも、自分としては、これは半分、逃げだと思っています。要は自分のパフォーマンスには目をつぶっていることになる。自分の理想をいったん、シャットアウトして、チームという単位で考えることで免罪符にしているんです。だから、ある意味、僕は自分から逃げていると思いながら、少しでもチームのプラスになっているなら許そうと思ってプレーしていたんです」

 その発奮が、1ゴール1アシストを記録した第30節の柏レイソル戦(2-0)だった。

 小泉は「ご褒美」だと言う。

「自分に毎試合、結果を求めすぎて、バランスを崩してチームに迷惑を掛けるくらいならば、個人の結果は捨てて、チームのためになる選択を意識しています。その根っ子には、監督から必要だと言ってもらえたこと、チームメートが連戦のなかでも苦しそうに頑張り続けてくれている姿を見て、力になりたいと思ったことが半分。あとの半分は自分への免罪符みたいな気持ちがありました。柏戦の結果は、そんな自分にちょっとしたご褒美をもらえたみたいな」

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 個とチームの比重、もしくはバランスは、多くの選手がぶつかる壁であり、正しい成長曲線を歩んでいるとも言えるだろう。

「昔からチームのことを考えてきたので、そこはもともと持ち合わせていた性質だと思っていますけど、今まではチームのことを考えつつ、かつ自分の理想も追いかけてきた。その目標設定を変えた今、個人に目を向けると停滞なので、後退しているのと同じことなのかもしれないですけど、1人のサッカー選手として懐を深くする、1人の人間として器を大きくするためには、すごくいい経験になったと思っています」


 理想を追いかけるのではなく、今の自分にできることを全力でやる。

「以前の自分は、ボランチみたいな役割もやろうとしていましたが、今は自分が与えられた役割、範囲で、全力を尽くそうと考えています。その分、ゲームコントロールについては、憲くん依存が進んでいるとも言えるんですけどね」

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 そう言って笑ったあと、「でも」と言って、欲が覗くのは、小泉が“らしさ”を取り戻してきた証でもある。

「これが正解だとは思ってないんですよ。もっと最適な個とチームのバランスを見つけられたとき、この時期が初めて糧になるのかなと」

「だから」と言って続く。

「ルヴァンカップでは決勝で負け、リーグ優勝の可能性もなくなり、それでもFIFAクラブワールドカップに向けて、もう一度、スイッチを入れ直さなければいけない。選手だけでなく、ファン・サポーターにとっても気持ちを切り替えるのは、簡単ではなく、難しいことだと思っています。

 でも、今まで話してきたこととは矛盾してしまいますけど、こういうときこそ自分に何ができるかを問いかけるんです。ここで、いつもと変わらないプレーができることが自分の理想でもある。そこは、1人のプロサッカー選手として、自分の心の声を聞きつつ、やるべきことをしっかりと最後までやり続けたい。モチベーションを保つのが難しい時期でも活躍できる選手にこそ価値があると思いますし、きっと浦和レッズのファン・サポーターは、そういうところを見ているとも思っています」

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 小泉が依存していると語った岩尾は、アビスパ福岡とのJ1リーグのホーム最終戦は出場停止のため欠場する。小泉に求められる役割は、間違いなく増えるだろう。

 今、できること、やるべきことに目を向ける小泉ならば、プレーで見せてくれるはずだ。



(取材・文/原田大輔)
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著者プロフィール

1950年に中日本重工サッカー部として創部。1964年に三菱重工業サッカー部、1990年に三菱自動車工業サッカー部と名称を変え、1991年にJリーグ正会員に。浦和レッドダイヤモンズの名前で、1993年に開幕したJリーグに参戦した。チーム名はダイヤモンドが持つ最高の輝き、固い結束力をイメージし、クラブカラーのレッドと組み合わせたもの。2001年5月にホームタウンが「さいたま市」となったが、それまでの「浦和市」の名称をそのまま使用している。エンブレムには県花のサクラソウ、県サッカー発祥の象徴である鳳翔閣、菱形があしらわれている。

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