「まだ早い」と断言されたコービーのNBA入り ドラフト指名権24位のレイカーズ入りへの策略
圧倒した二度のワークアウト
「ジェリーの意見を聞きたかったんだ」とテレムは言った。「『極秘でやりたいんだ。君の意見を知りたい』と頼んだ」。
そこで、コービー曰く「どこか脇道にあるような」イングルウッドのYMCAで二度のワークアウトが行われ、ウェストはコービーがNBAの次なる偉大な選手になることを確信した。
一度目のワークアウトでコービーは当時引退したばかりだったマイケル・クーパーをあまりにも圧倒したため、ウェストは15分でワークアウトを切り上げた。クーパーはまだ動ける40歳の元レイカーズのガードで、現役時代はリーグ屈指のペリメーターディフェンダーだった。「コービーは、もしかしたらその時チームにいた選手よりも上手いかもしれないと思った」と自伝の“West by West”に綴った。
「あのようなワークアウトは一度も見たことがなかった。私がもう十分だ、と言った時、それは本音だった」。クーパーには、コービーの身体の強さ、特にローポストでの強さが印象に残った。それはカルボーンとのトレーニングがいかにためになっていたかの現れだった。
二度目のワークアウトは、ウェストと当時のレイカーズのコーチでヒューストン・ロケッツではジョーのコーチでもあったデル・ハリスの前で行われた。この時は、203センチのスモールフォワードで、3月にミシシッピ・ステイト大学を全国大会の準々決勝まで率いたばかりの4年生だったドンテイ・ジョーンズを手荒に扱った。「NCAAトーナメントの地域MVPをボコボコにしているんだ」とコービーは思った。「もし俺が大学に行っていたら、大活躍していた。大暴れしまくっていただろう」。
ホテルに戻ったコービーはテレムに電話をかけた。
「どうだった?」と尋ねるテレムが不安そうなのがコービーには明らかだった。「どうだった?」。
「よかったよ。上手くいった」
「よしよし。本当か? 本当だな? 愛してるよ、愛してる」
「おいアーン、落ち着けよ」
レイカーズは1991年にNBAファイナルに進出してマイケル・ジョーダン率いるブルズに五試合で負けて以来、プレーオフのシリーズを勝ち進んだのは五年間でたった一度だけだった。ウェストはテレムに「この夏、このチームを一新させるつもりだ。コービーを獲得して、彼といま狙っているもう一人の選手を軸にチームを立て直したい」と伝えた。その「もう一人の選手」とは、四年間オーランド・マジックで過ごしたのちにフリーエージェントになろうとしていたシャキール・オニールのことだった。
そういう訳で、ウェストは13位の指名権を持っていたシャーロット・ホーネッツとの取り引きをまとめた。もし最初の12チームがコービーを指名しなければ、ホーネッツが彼を指名し、センターのヴラディ・ディバッツと引き換えにレイカーズへトレードする。
指名順位13位が回ってきた時に、コービーがまだ指名されていないようにできるかどうかは、テレムとソニー・ヴァッカロとブライアント一家にかかっていた。
書籍紹介
【写真提供:ダブドリ】
本書はNBAレジェンド、コービー・ブライアントがフィラデルフィアで州大会優勝を成し遂げ、レイカーズに入団するまでの軌跡を描いています。コート上の話だけでなく、アメリカの黒人文化や社会構造、また大学リクルートの過程などさまざまな要素が若きコービーに影響を与える様が綿密に描かれているファン必携の一冊です。