書籍連載『THE RISE 偉大さの追求、若き日のコービー・ブライアント』

高校時代のコービーが奇跡を起こしたオーバータイム 後のNBAスターを擁する強豪との一戦で…

ダブドリ編集部

仲間の「痛み」を消したコービーのアクション

 これで試合は一点差になった。エイシーズはファウルをしてクロックを止めた。レッド・レイダーズの選手はワン・アンド・ワンスロー(※フリースロー時、一本めが入れば二本めを打つことができるレギュレーション)の一本めを落とした。コービーがリバウンドを取り、再び右側のサイドラインに沿ってボールを運んだ。今度は左側に向かい、フリースローライン付近でディフェンダーを交わしてレーンに入り込み、6フィート(※約1.83メートル)のプルアップジャンパーを打った。クロックに二秒残して、ボールはまるで羽のようにネットを通った。ローワー・メリオン高校78点、コーツヴィル・エリア高校77点。その晩、家に帰ったハミルトンは、試合を脳内で再生してコービーと自分を比べたときに、足りないところがあると感じた。お前は自分が思っていたほど大したことはなかったんだ。

「コービーの在籍中、我々が一番良いバスケットボールができた試合だったかもしれない」とイーガンは言った。

 エイシーズの選手たちはシャワーを浴び、着替えをして、ダッフルバッグを持って家族の待つコートに出て行った。モンスキーは試合で得点をしておらず、シャヤ・ブライアントはコーツヴィルの大きなスコアボードにまだ照らされていた選手たちの最終スタッツを見上げた。そこにはモンスキーの背番号31番の横に0と表示されていた。コービーの背番号33番の横には32とあった。シャヤはこの機会に乗じて弟のチームメイトをからかった。

「エヴァン、0点だなんて冗談でしょ?」とシャヤは言った。

「シャヤ、あそこにアシストは表示されないんだよ」とモンスキーは答えた。

 真顔でそう答えたものの、彼のプライドは少し傷ついた。コービーが彼を飛び越してチーム・キャプテンに任命されるだけならまだしも、今度はシャヤにからかわれないといけないのか? コービーと対等に渡り合えないということを一体何度思い知らされないといけないんだ? しかしその痛みは長くは続かなかった。その月にあった試合の前に、チームのキャプテン同士がセンターコートで審判と話し合う時に、コービーはその場を離れ、チームのハドルに小走りで戻るとモンスキーとスチュワートを掴んだ。「ほら、センターサークルに行こう」とコービーは言った。それ以来シーズンが終わるまで、モンスキーとスチュワートは試合が始まる前に毎回コービーと一緒にそこに加わった。

「そのことはずっと覚えていた」とのちにモンスキーは語った。「高校チームのキャプテンなんて、まあどうだっていいことじゃないか。相手のキャプテンと握手する。ただそれだけのことだ。でも17歳にとっては大切なことで、コービーがわざわざ俺たちを誘ってくれたのは本当にありがたかった。そのことについて彼にお礼を言うことはできなかったけどね」。

書籍紹介

【写真提供:ダブドリ】

 父ジョーからはバスケットボールを、母パムからは規律を学んだコービー・ブライアントは、幼い頃からコート上でその才能を輝かせていた。しかし、13歳でイタリアからフィラデルフィアに戻ったコービーは、バスケットボールという競技だけでなく、逆カルチャーショックやイタリアから来たよそ者というレッテルとも戦うことになってしまうのだった……。

 本書はNBAレジェンド、コービー・ブライアントがフィラデルフィアで州大会優勝を成し遂げ、レイカーズに入団するまでの軌跡を描いています。コート上の話だけでなく、アメリカの黒人文化や社会構造、また大学リクルートの過程などさまざまな要素が若きコービーに影響を与える様が綿密に描かれているファン必携の一冊です。

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著者プロフィール

異例の超ロングインタビューで選手や関係者の本音に迫るバスケ本シリーズ『ダブドリ』。「バスケで『より道』しませんか?」のキャッチコピー通り、プロからストリート、選手からコレクターまでバスケに関わる全ての人がインタビュー対象。TOKYO DIMEオーナーで現役Bリーガーの岡田優介氏による人生相談『ちょっと聞いてよ岡田先生』など、コラムも多数収載。

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