サッカーの背番号と戦術発展の歴史の不思議な関係 前編〜2バックから4バックへ〜

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【サッカーの背番号と戦術発展の歴史の不思議な関係 前編〜2バックから4バックへ〜】

【これはnoteに投稿されたQuintupleOneDayさんによる記事です。】

すべての始まり

1911年、オーストラリアで行われた試合が、サッカーに革命を起こす。
シドニーライクハート対HMSパワフルの試合で、サッカーの歴史上初めて背番号のついたユニフォームで試合が行われたのであった。

それから17年後、サッカーの母国イングランドでは1928年にザ・ウェンズデイ(後のシェフィールド・ウェンズデイ)とアーセナルの一戦で初めて背番号が用いられた。
1933年FAカップ決勝でも背番号のついたユニフォームが着用されたが、その時は背番号は”選手をわかりやすく判別するためのもの”として使用されていたため、エヴァートンが1-11番を、対戦相手のマンチェスター・シティが12-22番を着用していた。

両チームが1-11番を着用することがルール化されたのは1939年のことである。

当時は

1.背番号は「選手」ではなく「ポジション」に与えられるものであった、
2.(現代の慣例とは逆に)フォーメーションは守備の選手を上に、攻撃の選手を下に書いていた
3.その時代に最も標準的とされていたフォーメーションは2-3-5のピラミッド型フォーメーションであった

という3つの理由があり、2-3-5のピラミッドを並べた時に上から下へ、左から右へと”英文法を横書きで書くルール”の通りに番号を割り振った結果、各ポジションの背番号は下図のようになり、

【QuintupleOneDay】

ゴールキーパーの背番号1番やセンターフォワードの9番等、現代でも受け継がれる「このポジションといえばこの番号」が生まれたのであった。

WMフォーメーションとセンターバックの誕生

サッカーで背番号が使われ始めた同時期に、サッカーの戦術にも大きな変革が訪れる。

当時「後ろから3人目の選手がいる位置をオフサイドラインとする」と定められていたオフサイドのルールが、1925年に「後ろから2人目の選手がいる位置をオフサイドラインとする」と改定されたのであった。

オフサイドラインの設定が変更され守備側はオフサイドトラップのリスクが増した 【QuintupleOneDay】

3人制オフサイドの時には最終ラインに残る2枚のフルバックの内、1枚がラインを上げオフサイドトラップを仕掛け、もう1枚が裏へ抜けようとする相手ストライカーにリトリートしながら対処することで、キーパーと1対1のピンチを招くリスクを極限まで減らしながらオフサイドトラップを仕掛けることが可能であった。
しかし、2人制オフサイドとなり、これまで通りのオフサイドトラップでは相手ストライカーはオンサイドとなり、キーパーと1対1になるリスクを背負わなくてはオフサイドトラップを仕掛けることが出来なくなったのである。

このルール変更に対応するため、当時アーセナルの監督を務めていたハーバート・チャップマンはWMフォーメーションを開発する。

https://note.com/quintupleoneday/n/n65d2ef5fbcf8

攻撃側に有利となったオフサイドルールに対抗し、2-3-5の”3”に当たるハーフバックの中央の選手を”3番目のフルバック”として最終ラインまで下げたのであった。

【QuintupleOneDay】

背番号5番を付けていたハーフバックの選手が最終ラインまで下がったことにより、今日でも”5番”はセンターバックの番号としておなじみの番号となっており、また英語圏では”センターにいたハーフバック”という意味の「センターハーフ」という単語が「センターバック」と同義語として使われている。

WMフォーメーションを採用したアーセナルが1932-33シーズンから国内リーグ3連覇を達成したことをきっかけにWMフォーメーションが普及。それと同時に”5番センターバック”も一気に普及していった。

4バックの時代へ

欧州でのWMフォーメーションの成功を受け、サッカー大国ブラジルでもWMを”輸入”しようとする動きが加速する。
1941年にはブラジル国内リーグの強豪であるフラメンゴがハンガリー人コーチ クルシュナー氏を招聘し、WMシステム定着を試みる。

クルシュナー氏退任後に指揮をとったブラジル人監督フラビオ・コスタはWMをさらに発展させ、選手の並びを斜めに傾けた”Diagonal(対角線)システム”を開発。イングランドでは5番が下がって最終ラインを3枚にしたが、この時ブラジルでは6番が最終ラインまで下がり3バックを形成。

【QuintupleOneDay】

さらに、この”斜めに並ぶ”形により、ハーフバックの1枚はより最終ラインに近い位置で、インサイドフォワードの1枚はより中盤に近い位置でプレーされるようなり、最終ラインに4枚、中盤に2枚が並ぶ形の原型が誕生した。

フラビオ・コスタ監督は後にブラジル代表監督に就任。指揮を取った1950年W杯ではこのシステムを採用し順調に勝ち進んだブラジル代表であったが、優勝決定戦で後に「マラカナンの悲劇」と呼ばれるウルグアイ相手に喫した敗戦で優勝を逃す。国民に深い傷が残る結果となったが、コスタ監督はこの時、4バックの原型もセレソンに残していたのであった。

マラカナンの悲劇から立ち直ったブラジル代表はその8年後の1958年ワールドカップスウェーデン大会では”Diagonal”のフォーメーションを発展させた4-2-4のシステムを完成させる。

【QuintupleOneDay】

Diagonalのシステムで下がり気味にプレーしていたハーフバックの4番は”4人目のディフェンダー”として最終ラインへ下がり、6番はレフトバックに、5番は守備的ミッドフィルダー(後に日本語のボランチの語源にもなる)ボランテに進化した。

この大会でブラジルはワールドカップ初優勝。名実ともに”サッカー大国”となったのであった。

同時期のヨーロッパでは、今日ではFIFAが最高のゴールへ与える賞の名前の由来にもなっているプスカシュ率いるハンガリー代表が躍進を遂げる。
この時のハンガリー代表は3-2-3-2のシステムを採用し、プスカシュは現在でいうセカンドストライカーの位置から中盤まで下りてきてゲームメイクをする役割で活躍した。

【QuintupleOneDay】

このプスカシュが中盤まで下がる動きにより押し出させる形でハーフバックの一人が最終ラインまで下がり4-2-4のような布陣となっており、またハンガリーはこの時に背番号を振り直したため、ディフェンスラインの背番号の並びがイングランド等と異なる並びとなった。

同代表は1950年から1954年ワールドカップ決勝に敗れるまでおよそ4年間無敗を続けた。

1954年W杯のハンガリー代表の躍進に続き、1958年W杯での4-2-4を採用したブラジル代表が優勝したことをきっかけに、4バックは世界中で主流のシステムとなっていく。

世界で多様化した4バックとクロード・マケレレ

ブラジルがDiagonalシステムを経由し4バックが形成された影響で、4バックは右から2番、4番、3番、6番となった。

【QuintupleOneDay】

対照的に、ブラジルの宿命のライバルであるアルゼンチンでは、1940年代に同国の強豪クラブであるリーベル・プレートで右のハーフバック(4番)として活躍したノルベルト・ヤコノが彼の高い守備能力を活かし最終ラインまで下がって活躍したことから、ライトバックのポジションには4番が定着。

【QuintupleOneDay】

その後の4バックの普及時には6番がセンターバックのポジションに下がったことから、アルゼンチンでは右から4番、2番、6番、3番と並ぶ形になった。

【QuintupleOneDay】

この”ライトバック4番”は後に伊インテル・ミラノでライトバックとして活躍したハビエル・サネッティに継承され、4番はインテルの永久欠番となった。

南米の古豪ウルグアイでは4バックへの発展が2-3-5のピラミッドから直接的に進化する形で行われたため、

【QuintupleOneDay】

2番と3番が最終ライン中央に残り、右から4番、2番、3番、6番と並ぶ4バックが生まれた。

【QuintupleOneDay】

ブラジル、アルゼンチン、ウルグアイと南米の国々では、並び方こそ違えど、4番と6番がハーフバックから最終ラインに加わる形となったため、5番がミッドフィルダーとして中盤に残る形となった。

しかし、イングランドを始めとするヨーロッパの国々では2バックから3バックに進化する時に既に”背番号5”が最終ラインに下がっていたことから、南米の国々とは異なる4バックの並びとなる。

イングランドでは”4人目のディフェンダー”としてハーフバックの位置から6番がセンターバックの位置に下がったため、

【QuintupleOneDay】

最終ラインは右から2番、5番、6番、3番と並び

【QuintupleOneDay】

ホールディング(守備的)ミッドフィルダーには”背番号4”が残ることとなった。

一方のドイツは、ハーフバックの位置から4番が最終ラインに下がり4バックを形成したため、

【QuintupleOneDay】

最終ラインは右から2番、4番、5番、3番が並ぶ形となり、

【QuintupleOneDay】

守備的ミッドフィルダーの位置には”背番号6”が残り、このポジションの代名詞として”Sechser”(ドイツ語で6番目の人という意味)が使われるようになった。

このようにイングランドでは従来より”背番号4”が守備的ミッドフィルダーの番号として使われていたが、同国ではその後4-4-2という守備的ミッドフィルダーがいないフォーメーションが主流となり、また近年ではクロップ、トゥヘル、ナーゲルスマンといったドイツ人監督が世界的に活躍し、英語圏にも多大な影響を与えたため、英語でも”No.6”が守備的ミッドフィルダーの代名詞となっている。

この守備的ミッドフィルダーの背番号の欧州での違いを物語るかのように、同ポジションの重要性を世界に認識させたと言っても過言ではないフランス人選手クロード・マケレレは所属していた英チェルシーでは”背番号4”を、フランス代表では”背番号6”を着用したのであった。

(後編へ続く)
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