有森裕子が女子マラソン復権の鍵を展望 一山8位入賞も世界と「順応力」に差

千田靖呂

前日の開始時刻変更は選手ファーストではまったくない

前日の開始時刻変更の知らせを聞いた一山(奥)は、その後は眠りにつくことができなかったという 【写真は共同】

 今回のレースでは気象条件もあり、スタミナを温存できていた選手はほとんどいなかったでしょう。途中から一気にペースアップすることもありませんでしたし。優勝タイムの2時間27分台は、ケニア勢からすればすごいタイムではありませんし、そんなに楽なレースではありませんでした。2019年世界選手権の金メダリストであるルース・チェプンゲティッチ(ケニア)もリタイアしていますし、余力のある選手はいなかったと思います。

 一山選手に関しては、先頭集団における位置取りは間違っていませんでした。でもいつもより走りのパワフルさを感じませんでしたね。集団から離れても巻き返すパワーがあるはずなのに、コンディション面で問題があったのかなと思います。開始時刻が当初から1時間早くなって一山選手が眠れなかったというコメントもありますが、アトランタ五輪の時、私は2〜3時間しか寝られませんでした。当日の状況やコンディションに対してどう順応するかは、本人次第のところではあります。

 ただ、夕方5時に就寝するのは、空がまだ明るいので結構大変ですね。一山選手は、朝7時にスタートができるように、1カ月間、レースの時間に合わせて生活するシミュレーションをしていたと聞いています。私の場合、小出義雄監督が同じペースで生活リズムを整えることに対して、マイナスに働くこともあると考えていたようで「睡眠ではなく、体を休める時間を確保することが大事」と当時アドバイスをもらっていました。

 ただ、選手全員の条件が一緒だとしても、開始時刻の変更を前日の夜8時に発表したのは反省材料です。朝7時にスタートするランナーがいつ就寝して、いつ起床なのかぐらいは把握してほしかったですね。一山選手は、本番前日の就寝後に一度起こされていますから、動揺するでしょう。開始時刻の前倒しは良かったですが、せめて前日のスタート時刻までには通達するべきだったと思います。その点はまったく選手ファーストではありませんでした。

 ただ、マラソンは確定要素がない競技なのが特徴なので、そのレース状況に上手に順応することが大切です。コース、気候、対戦相手が常に異なるので、当日起こるすべての条件に対して、順応できる能力を備えることが結果を出すうえでは重要だと言えるでしょう。

場数を踏むことで、世界で戦える順応力を

日本代表選考レースだったマラソングランドチャンピオンシップ(MGC)は、強化のうえでいいアイデアだった 【写真:松尾/アフロスポーツ】

 私の現役時代より全体のレベルは上がっていますが、レース内容や練習環境においては、私たちの頃や他国よりも劣ってはいません。それだけに「東京五輪の8位入賞」をきっかけに浮上をしなければいけないですし、もったいないですよ。日本でも持ちタイム21分、22分台の選手が増えてきていますし、タイムとしては遅くはありません。選手たちの能力が高いので、試合の本番でその実力を発揮するための順応力がやはり大事ですね。

 今後の日本女子マラソンは、さまざまな条件のレースを経験し、順応しながら場数を踏むことが必要でしょうね。ただ、マラソングランドチャンピオンシップ(MGC)の実施は、失敗ではないと思っています。MGCは一発勝負の選考方法なので、本番で勝ち切る強さを備えるためにも続けていくべきでしょう。こうしたシリーズを通して、なるべく多くの場数を踏むことが大事ですね。

 MGCの選考方法も良かったと思います。これまで実施していた3本の選考レースだけで決めるのでは、結果を出せませんでした。期間を決めてマラソンを何本か走り、走破タイムのアベレージからピックアップしたうえで、一発勝負の場面で戦える人材を見出すという本番に近い選考方法でした。本来ならば、海外のレース経験も必要でしょうが、コロナ禍なのでないものねだりはしないことです。できることならば、日本国内においてマラソン大会をより多く開催できる環境が整えることも検討すべきでしょう。

有森裕子(ありもり・ゆうこ)

【株式会社アニモ】

1966年岡山県生まれ。就実高校、日本体育大学を卒業後、(株)リクルート入社。バルセロナで銀メダル、アトランタで銅メダルと五輪の女子マラソンで2大会連続となるメダルを獲得。「東京マラソン2007」でプロマラソンランナーを引退。1988年、カンボジアでスポーツや教育を通した人材育成に取り組む認定NPO法人「ハート・オブ・ゴールド」設立、代表理事就任。その他、国内外のマラソン大会やスポーツイベントに参加する一方、国際オリンピック委員会(IOC)スポーツと活動的社会委員会委員、日本陸上競技連盟副会長、大学スポーツ協会(UNIVAS)副会長、スペシャルオリンピックス日本理事長などの要職を務める。2010年6月、国際オリンピック委員会(IOC)女性スポーツ賞を日本人として初めて受賞。同12月、カンボジア王国ノロドム国王陛下より、ロイヤル・モニサラボン勲章大十字を受賞。

2/2ページ

著者プロフィール

1977年生まれ、大阪府出身。マンティー・チダというペンネームでも活動中。サラリーマンをしながら、2012年にバスケットボールのラジオ番組を始めたことがきっかけでスポーツの取材を開始する。2015年よりスポーツジャーナリストとして、バスケットボール、卓球、ラグビー、大学スポーツを中心にライターやラジオDJ、ネットTVのキャスターとして活動。「OLYMPIC CHANNEL」「ねとらぼスポーツ」などのWEB媒体や「B.LEAGUEパーフェクト選手名鑑」(洋泉社MOOK)「千葉ジェッツぴあ」(ぴあ MOOK)などの雑誌にも寄稿する。

新着記事

編集部ピックアップ

コラムランキング

おすすめ記事(Doスポーツ)

記事一覧

新着公式情報

公式情報一覧

日本オリンピック委員会公式サイト

JOC公式アカウント