現役引退の徳永悠平が語る万感の思い FC東京、V長崎、ロンドン五輪…

馬場康平

坊主頭で臨んだロンドン五輪

ロンドン五輪にオーバーエイジ枠で参戦し、ベスト4進出を果たした。直前に坊主頭にしたのには理由が…… 【写真:ロイター/アフロ】

――そして、2012年にはオーバーエイジ枠でロンドン五輪出場もありました。ひとつ謎があります。あのとき、なぜ急に坊主頭になったのですか?

 いやいや、深い意味はないよ。でも、ネタというのもあった。周りは年下だったし、少しでもそれでいじってくれればいいと思っていた。年上の自分が、あのチームに入っていくなかで、カッコつけなくていいと思っていたから。でも、プレッシャーはすごかったよ、本当に。正直、初めはどうにかして断ろうかと思っていた(苦笑)。(大学の先輩の)原(博実)さんに言われて、関(塚隆)さんに言われたら、もう無理だとあきらめましたけどね。

――結果的に、スムーズにチームに入れたことは大きかったのでは?

(同じオーバーエイジ枠で出場した吉田)麻也は年代も近かったけど、オレはキャリア的にもちょうど良かったんだと思う。それに、年上のオレが偉そうに仕切っていたらダメだったと思うし、そういうタイプでもないから。うまくなじめたことは大きかったと思う。だけど、グループリーグで敗退したら、日本に帰ってくることはできないと思っていた。だから大会が始まる前は緊張していたし、震え上がっていた。絶対に、「もっとすごい選手入れろよ」って思う人もいたはずだから準決勝まで行ってホッとした。それが本音かな。

――本大会では準決勝まで進出。徳永悠平という選手のキャリアのなかでも、大きな1ページになりました。

 個人的には、本当にありがたい大会だった。サッカー選手としての価値も高められたし、知名度も上がった。あの経験によって、自分のなかでは気持ち的にもまだやれるという自信にもなった。忘れられないのは、スペイン戦と、3位決定戦の韓国戦。最初と、最後。今思えば、スペインはメンバーもすごかった。だけど、そこはサッカーの難しさでもある。あのときのスペインは、チームとしてまとまっていなかった。あそこで勝てたことは大きかったし、本当に楽しかった。だけど、メダルは取りたかった。カタチに残したかったから悔しい。取ると取らないでは全く違うと、今でも思う。

地元を背負った3年間

キャリア最後の3シーズンは地元・長崎でのプレーを決断。故郷に錦を飾った 【(C)J.LEAGUE】

――2017年には地元のV・ファーレン長崎への移籍を決断しました。

 正直、最後まで東京でプレーして引退するのか、地元に帰るのかですごい悩みました。でも、地元でプレーしたいという思いが最後に勝った。(室屋)成にポジションを取られたというのもあるけど、一番はこのタイミングで行かないと、長崎でプレーすることはないと思った。移籍に関しては、誰にも相談しなかったかな。嫁にも悩んでいると伝えたけど、「どっちでもいいよ」って言われたぐらいだったから。

――長崎での3年間を振り返ると、どんな思いがありますか?

 結果を出せなかったという申し訳なさがあります。そこで、結果を出せていれば、また違った感情があったのかもしれない。プレーで何かを残せたとは思っていない。だけど、地元を背負って戦えたことを誇りに思う。両親や家族、地元の友達も観に来てくれた。言葉にしづらいけど、とにかく良かったと思える。最後までやりきれた。あのとき移籍しなければ、そういう楽しさを知らずに終わっていたかもしれない。そういう意味でも良かったという言葉が一番なのかな。

――練習で手を抜かない、試合への準備をし続ける。そうしたことにこだわり抜けた15年間だったのでは?

 そこは全力でやってきた。サッカー選手は試合に出てなんぼだと思う。その考え方は変わっていない。最後はケガもあって試合に出られなかったけど、試合に出るためのこだわりと、準備だけは最後まで捨てずにやりきれたと思う。でも、誇ることではないし、サッカー選手であれば当たり前のことだと思う。

――もっと違う道があったと思いますか?

 いやぁ考えないかな。どちらかと言うと、今も、昔も先のことを考えていたいかな。反省はするよ、でも、後悔はない。あのときこうしておけば、こうなっていたとは考えないようにしている。素晴らしいサッカー人生だったし、未練はない。

――だからやりきったという言葉になる。

 キリがないでしょ。あそこでああしておけばなんて。実際に決断をしてないわけだから。それが自分だから。そういう決断をしてきたから今がある。だったら、ここから先どうしていこうかを考えた方がいいでしょ。

背負うではなく背中を押す人に

引退後は家業を継ぎつつ、「選手の背中を後押しするような仕事をしていきたい」と将来を描く 【佐々木真人】

――では、未来についてです。家業を継ぐそうですが、いずれ選手たちのセカンドキャリアを応援したいという夢があるそうですね。

 長崎でも感じたことだけど、年を重ねていくと、みんな不安なんですよ。サッカー選手には必ず終わりは来る。それは避けられない。そのときに、少しでもその先のイメージがあれば違ってくる。ある程度終わったあとのことを想像できれば、きっと不安な状態で続けるよりも、もっと最後まで現役生活を楽しめる。次にやりたいことが決まっていて、形作られていれば、必ず前向きな決断ができると思う。

――現役時代に、そうしたセカンドキャリアに向けたアドバイスを受けていましたか?

 アドバイスも受けていたけど、実際にどう動けばいいかは分からなかった。そこに一番アプローチしていきたいかな。早い方がいいと思っているので、今からそうした動きをしていこうと思う。始まりはサッカー教室とかなのかもしれない。そこで、思いを共感してくれる人や企業を集めて、選手たちとのつながりを作っていきたい。

――この先の未来は楽しみですか?

 指導者は向いてないし、クラブの仕事も自分には合っていないと思った。選手の人生を背負うのは荷が重いかな。でも、やりたい仕事をやりながら、そうやって選手の背中を後押しするような仕事をしていきたい。それが一番自分らしいのかなって思うので。
徳永悠平(とくなが・ゆうへい)
1983年9月25日生まれ、長崎県南高来郡国見町(現・雲仙市)出身。国見高校から早稲田大学に進学。2003年にJリーグ特別指定選手としてFC東京でプレーすると、06年に正式加入。守備のユーティリティープレーヤーとして長きに渡って活躍する。育成年代から各カテゴリーで日本代表に選出され、12年ロンドン五輪ではオーバーエイジとして出場し、ベスト4進出に貢献。09年にA代表デビューを果たした。17年に地元のV・ファーレン長崎に移籍。20年12月に現役引退を発表した。Jリーグ通算464試合出場。国際Aマッチ9試合出場。

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著者プロフィール

1981年10月18日、香川県出身。地域新聞の編集部勤務を経て、2006年からフリーに。現在、『東京中日スポーツ』等でFC東京担当記者として取材活動を行う。2019年に『素直 石川直宏』を上梓した。

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