村中恭兵は新球団・琉球で自分と向き合う「僕らしいストレートを取り戻したい」

前田恵
 新型コロナウイルス感染拡大の影響で、スポーツ界も大きな影響を受けている。その中で、今の自分が置かれた状況を受け入れ、前に進もうとしている選手もいれば、今の状況に抗い、懸命に元にいた場所に戻ろうとする選手もいる。

 今年始動した新チーム・琉球ブルーオーシャンズからNPBへの復帰を目指す、元東京ヤクルトスワローズの村中恭兵。2005年にヤクルトから高校生ドラフト1巡目で指名されると、2桁勝利を2回マークするなど、将来のエース左腕と嘱望された。だが、その後は故障に苦しみ、19年に戦力外通告を受けた。自身の長所を“諦めの悪さ”と語る村中投手が、マウンドにかける思いを語った。(4月24日に電話取材)

不完全燃焼の戦力外通告

沖縄県庁で行われた村中の入団会見。清水直行監督(写真左)も村中に期待を寄せる 【写真提供:琉球ブルーオーシャンズ】

――村中投手が“現役を諦めない理由”について、今の率直な気持ちを教えてください。

 2018年12月に医師の勧めで腰を手術して、昨季はここ4、5年悩まされてきた腰の痛みもなくトレーニングができ、少しずつ本来の筋力が戻ってきました。二軍戦で投げさせてもらい、シーズンの終盤になってコンディションが良くなってきたところで、19年10月に戦力外通告を受けました。けど、僕には「まだできる」という思いがあって、あと1年でいいから野球を続けたかった。家族に相談したら、妻も子どもも「やってほしい」と言ってくれたので、現役を続けることにしました。

――NPBのトライアウトを受けたのは、NPBで現役を続行する自信があったから、ということですね。

 正直、自信はあまりなかったです。ただ、NPB以外のスカウトに対して、もう体は元気で投げられる状態であることをアピールできる場になるとは考えていました。スピードは138キロ程度しか出なかったけど、投げる感覚は明らかに良くなっていました。最初はトライアウトを受けること自体、迷っていましたが、あそこで投げることができて良かったなと今は思っています。

――その後、村中投手は毎年11月〜翌1月にかけて試合を行うABL(オーストラリアン・ベースボール・リーグ)のオークランド・トゥアタラと契約を結びます。このチームからの誘いは、いつ頃ありましたか?

 ヤクルトを戦力外になってすぐ、オファーがありました。そこでトライアウトの結果が出るまで待ってもらって、(NPBのオファーがなかったため)オファーを受けました。当初は、「12月の終わり頃、先発投手が1人抜けるから、そのタイミングで合流してくれ」という話だったんです。そのつもりで準備をしていたら、「1週間早まりそうだから、すぐ来てくれ」と連絡が来て。オークランドに着いた翌々日、いきなり中継ぎでマウンドに送られたのにはびっくりしました(笑)。

豪州で学んだのは「文化の違いと試合への準備」

――それから約2カ月間のABL生活で、何か学んだことはありましたか?

 野球の文化の違いと、試合に向けた準備の仕方ですね。ABLは兼業でプレーする選手がいることもあり、全体練習の頻度や時間がとても短いです。その中で、誰かに言われたからではなく、各自がしっかりトレーニング内容を考え、ルーティンを作って試合の準備をしていました。1人ひとりが高い意識を持って野球に取り組み、さらに上の舞台を目指しているんです。日本とは違う大らかな環境や文化で、日本人の僕的には予期していなかったことの連続でしたが、みんなやるべきことはしっかりやっていると、感心しました。

――ABLでは中継ぎとして4試合、先発として5試合の計9試合に登板。2勝2敗、防御率2.73という成績でした。数字以上の手応えは感じましたか?

 ABLで投げていたときも実際はまだ、“ごまかしながら”の投球だったんです。それでも、ABLのスイングの速いバッターに対して、ある程度の球なら通用するなと感じました。だから手応えとはいかないまでも、もう少し自分の球が戻れば、きちんと勝負できるのではないかと思いました。

――ごまかしながら、というと?

 僕のピッチングは、真っすぐを中心に攻めるスタイルです。けど、その真っすぐがまだ戻りきっていなかったので、正直ずっと苦しいピッチングを続けていました。それでも試合は作ることができたので、現状でもなんとか抑えていくための対応はできたと思います。

――村中投手が所属したオークランド・トゥアタラは創設2年目の若いチームです。1年目は最下位に沈むも、今季は一気に優勝しました。プレーオフには村中投手も登板しましたが、惜しくも負けてしまいました。

 僕が合流したときのチームの成績は、1勝8敗でした。事前情報通り「めちゃくちゃ弱いんだな」と思っていたら、その後破竹の勢いで連勝し、気が付いたら優勝していました。みんなが試合をしながら成長していくところが見られて、とてもいい経験になりました。チームの日本人投手(北方悠誠、道原順也、奥本涼太、高橋康二)には試合やピッチングに関する質問を受けることがあって、僕の経験で分かることを伝えました。

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著者プロフィール

1963年、兵庫県神戸市生まれ。上智大学在学中の85、86年、川崎球場でグラウンドガールを務める。卒業後、ベースボール・マガジン社で野球誌編集記者。91年シーズン限りで退社し、フリーライターに。野球、サッカーなど各種スポーツのほか、旅行、教育、犬関係も執筆。著書に『母たちのプロ野球』(中央公論新社)、『野球酒場』(ベースボール・マガジン社)ほか。編集協力に野村克也著『野村克也からの手紙』(ベースボール・マガジン社)ほか。豪州プロ野球リーグABLの取材歴は20年を超え、昨季よりABL公認でABL Japan公式サイト(http://abl-japan.com)を運営中。

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