【新日本プロレス】ザック・セイバーJr.に直撃!なぜ日本のプロレスに憧れたのか?

チーム・協会

【新日本プロレスリング株式会社/タイコウクニヨシ】

イギリス生まれ〜日本育ち。鈴木軍が世界に誇る唯一無二の‘‘サブミッションファイター’’ザック・セイバーJr.。

イギリスのプロレス少年は、なぜ日本のプロレスに憧れるようになったのか? 自身のライフストーリーをたっぷり語った超ロングインタビュー(前編)!

撮影/タイコウクニヨシ


※以下、ザック・セイバーJr.選手インタビュー(前編)の序盤を無料公開!

いまはアグレッシブに動きたい気分なんだ。俺は一つずつ物事に取り組むよりも、一度に多くのことをやる方が楽しいタイプなんだよ

【新日本プロレスリング株式会社/タイコウクニヨシ】

――さて、ザック選手。現在は大会が中止になっていますが、ここ数カ月はリング上でいろいろな変化がありましたね。

ザック フフフ。大会が中止になる前、次にIWGP USヘビー級王座に挑戦するのは俺だってことを、ファンにハッキリと伝えられたと思っているよ。

――2月9日大阪城ホールで選手権試合後にUS王座を防衛したジョン・モクスリー選手を襲撃しました。

ザック そうだな。そしてタイミング良く、今度はタイチとIWGPタッグ王座に挑戦することにもなったんだ。

――まだ、どちらも選手権は決定はしていないですけど、大会が再開したら忙しくなりそうですね。

ザック いまはアグレッシブに動きたい気持ちなんだ。俺は一つずつ物事に取り組むよりも、一度に多くのことをやる方が楽しいタイプなんだよ。

90年前半の頃にWCWのテレビ番組で(獣神サンダー・)ライガーを初めて見た。あの頃のライガーは、いまとは違ってまだ若々しかったな(ニヤリ)。

【新日本プロレスリング株式会社/タイコウクニヨシ】

――では、今回はザック選手のプロレス人生の‘‘初め’’の頃に遡りたいんですが。

ザック オーケーだ。

――まず、ザック選手が初めてプロレスに触れたのはいつですか? 昔、イギリスではWWEがすごく人気でしたが、いまのザック選手のファイティングスタイルとはかなり違います。でもプロレスラーになる前は、WWEのファンでしたか?

ザック 俺は1987年に生まれたから、6、7歳の時にはWWF(当時のWWEの名称)のことを知っていた。当時のイギリスでは、WWFの番組は有料で衛星放送されていたんだ。

――その当時は、WWFの番組を観ていましたか?

ザック ノー。当時の俺たちにはカネがなかったから、むしろWCW(WWFと興行戦争、メディア戦争を展開したライバル団体。2001年3月にWWEに買収されて活動終了)の方をよく観ていたな。あっちは無料で放送されていたから。

――じゃあ、日本のプロレスはWCWを通して知ったんですね?

ザック そうだ。その当時、新日本プロレスはたくさんのレスラーをWCWの大会に送っていたからね。

――当時、WCWの大会に出場していた日本人レスラーを覚えていますか?

ザック もちろんだ。90年前半の頃にWCWのテレビ番組で(獣神サンダー・)ライガーを初めて見たんだ。初めて見た時のライガーは、いまとは違ってまだ若々しかったな(ニヤリ)。

――1990年代初頭といえば、イギリスではWWFの人気も上がってきていましたね。

ザック まあ、主流とはいえないけど、学校の校庭で遊ぶ子どもたちには凄い人気だったな。クラスでは、サッカーと同じくらいプロレスの話で盛り上がっていたから。

――でも、イギリス現地のプロレスとWWFは内容が全然違いましたよね。1980年まではイギリスのテレビ局で放送されていて、テレビの主役のような存在でした。ところが1980年後半になるとテレビ放送がなくなり、イギリスのプロレスは変わりはててしまって。

ザック もしかしたらファン層そのものが違ったのかもしれないな。WWEやWCWはたしかに人気だったけど、彼らはそんなにイギリスには来ていなかった。逆にイギリスの地元のレスラーや団体の知名度はそんなになかったんだけど、彼らが開催するプロレス大会そのものには惹かれるファンが多かった。そういう団体のポスターに載っているのは「プロレス」の文字だった。

――WWFやWCWのファンを呼び込むためには「プロレス」という言葉だけで十分だったんでしょう。当時のイギリスのファンにとって、地元の団体やレスラーのことはたいして重要じゃなかったというか。

ザック そうだ。WWFやWCWが好きなファンは、誰もハンマーロックのファンにはならないし、特定のレスラーのファンにすらならない。みんな、‘‘プロレスそのもの’’を観ることにしか興味がなかった。だから、ファンとレスラーの繋がりとかファンと団体の繋がりとか、そういうことも全然なかったんだ。

プロレスごっこでみんなはチョークスラムなんかをやろうとするんだ。そんな中、フィギュア4(足4の字固め)をやろうとするのは俺だけだった。

――ザック選手は子どもの頃、そういった地元の団体のプロレス大会に行ったことはありますか?

ザック もちろんあるさ。1995年くらいに、スティーブ・グレイの試合を観戦しに行ったんだ。大会に行く度に持って行っていた小さなサイン帳もまだ持っている。

――地元のイギリスの団体が開催する大会はやっぱりWWFやWCWとは全然違いましたか?

ザック あの当時、プロレスのスタイルとかはあまり理解していなかったけど、テレビで観てるプロレスとはまったく種類が違うということはわかった。でも、俺は彼らのプロレスを凄く気に入ったんだ。

――その大会はAll-Starという団体が開催した大会ですか? All-Starはイギリスでレギュラー番組を放送した最後の団体でした。

ザック たぶんそうだ。まあ、他の似たような団体だったかもしれないけどな。いずれにしても、そのあたりから俺は自分のことを「プロレスファンだ」と認識するようになったんだ。

――その頃から、プロレスに夢中になっていった。

ザック ああ、それからはプロレスを観るためだったらなんだってした。新日本プロレスはEurosport(イギリス・ヨーロッパのCSチャンネル)で放送されていたから、その動画もなんとか手に入れようと必死だったな。
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著者プロフィール

1972年3月6日に創業者のアントニオ猪木が旗揚げ。「キング・オブ・スポーツ」を旗頭にストロングスタイルを掲げ、1980年代-1990年代と一大ブームを巻き起こして、数多くの名選手を輩出した。2010年代以降は、棚橋弘至、中邑真輔、オカダ・カズチカらの台頭で再び隆盛を迎えて、現在は日本だけでなく海外からも多くのファンの支持を集めている。

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