米国帰りのDeNA中後悠平がいま感じること 「現状にはもちろん満足していない」
入団テストを経て3年ぶりの日本球界復帰を果たした中後(写真左)。新天地DeNAでは中継ぎとしてマウンドへ上がっている 【写真は共同】
2015年に千葉ロッテから戦力外通告を受け、ダイヤモンドバックスとマイナー契約を結び活躍の舞台を米国に移した16年以降、事あるごとに取材をする機会を得た。今年もキャンプ前の1月に自主トレを見学させてもらい、キャンプ中、さらにシーズン開幕後も何度か連絡を取り合っていた。冒頭の記事に接して真っ先に感じた思いは「何が起こったの?」だった。
「うまくいかなかった」米国挑戦3年目
「何なんですかね。やっていることは間違ってなかったと思うんですけど……」
中後は2Aでもがいた日々を振り返る。
「(解雇前の)最後の3、4試合は良かったんです。ずっと何かをつかみかけた感じがあったんですけど、その中でいろいろ(課題を)やろうしていた中ですべてが悪循環になってしまったというか、いろんなことを取り入れようとしたり、こんなことをやろうと思ってもうまくいかないとか、いろいろありましたね。
ブルペンでも球は良かったですし、実際試合でいい球を投げていた時でも、配球の問題だったりとか、コントロールミスだったりとかで打たれてしまったり、また1イニング目は良かったのに2イニング目に打たれたりとか……。そういうことが重なってしまい、うまくいかないというのがありました。
いつクビになってもおかしくないというのは常に頭に入れていたので、(解雇を)言われた時は『来たか』という感じでしたね。もちろんその先までやる、上に上がる気持ちでやってましたけど、クビになる準備ができていたというわけではないですけど、自分の中で腹はくくっていましたし、いつ(解雇を)言われても後悔のないようにというつもりでやってました」
残念ながら中後の米国挑戦は2年半で唐突に幕を閉じた。だが15年オフに合同トライアウトを受験した際はNPB球団からの誘いはなく、ダイヤモンドバックスからのオファーが届くまでは独立リーグで投げるしかなかった男に、今回はDeNAが声をかけてくれたのだ。これも言葉も文化も違う未知の地に決死の覚悟で飛び込み、2年半がむしゃらに野球に打ち込んできた成果が認められたからだろう。