ケガの苦しみを乗り越えた新井涼平 新たな自信を手に入れ日本記録更新目指す

折山淑美

7月の大会で今季のシーズンベストを80メートル83まで伸ばしたやり投げの新井涼平 【写真:YUTAKA/アフロスポーツ】

 7月8日に北海道・厚別公園競技場で行われた日中韓3カ国交流陸上競技大会では80メートル台を2度投げ、シーズンベストを80メートル83に伸ばしたやり投げの新井涼平(スズキ浜松AC)。

「(80メートル台を)2本投げられたのは大きかったですね。でもまだ一発、飛び抜けたのが出ないなという印象なので……。そこはまだ足りない部分があるということだけど、体調の部分ではやっと戻ってきたのかなという感じです」と、穏やかな笑顔を見せる。

 昨年は日本選手権で1本だけ82メートル13を投げたが、他は大台には届かない記録。最後の国体は69メートル58で10位と、不本意なシーズンを過ごした。

 その要因は投げ方を変えようとして起きたケガだった。

世界の厚い壁に阻まれフォーム変更を試みたが……

今まで挑戦していなかった横回転を利用する技術を取り入れた結果、思わぬケガに悩まされることになった 【写真:中西祐介/アフロスポーツ】

 14年には初戦の織田記念国際で85メートル48を投げ、その記録を10月の国体では86メートル83まで伸ばして世界と戦える力をつけた新井。翌年の世界選手権北京大会では予選で全体2位の84メートル66を投げたが、決勝は83メートル07を投げながらも5センチ差でベスト8を逃して9位。16年リオデジャネイロ五輪では予選を全体4番目の84メートル16で通過しながらも、決勝では79メートル47に止まり11位と、世界の厚い壁を乗り越えられなかった。

「そういう結果もあって、ほかの人がやっていても自分がやっていない技術もあったので、そういうところに挑戦しようかなと思ってやり始めたらすぐにケガをしてしまったんです。それが結局1年くらい響いてしまう状態になったので、そこで技術も体力も失ってしまった感じです」

 ケガをしたのは17年2月に、フィンランドチームと一緒に南アフリカで合宿をしていた時だった。挑戦したのはそれまでの縦回転の動きではなく、投げる瞬間に体の横回転を利用する技術だった。

「最初はメチャクチャうまくいって、『アッ、こんなに簡単にやりが跳ぶんだ』という感じだった」という。だが回転をかけるために左腕を強く引くようにしていると、肩甲骨の裏側を肉離れしてしまった。「肩甲骨が変だな、張ってきたかな」と思いながら練習を続けていると、今度は首を痛めた。最初はそれを「寝違えだろうな」と軽く考えていたが、帰国した頃には左手が指先からだんだん痺れてきた。

「首の場合は腰椎ヘルニアと似ていて悪循環になるそうなんです。体の軸でずっと使う部分だから一度腫れてしまうとその腫れがなかなか引かないで、使っているうちに炎症がさらにひどくなっていく。それでドンドン神経を圧迫してしまうそうなんです。だから昨年はその痛みで練習がほとんどできませんでしたね。練習に行ってもウォーミングアップをしていると『アッ、痛い』となって練習をやらないで治療に行く感じで。『今日も痛むんだろうな』と思って毎日練習にいくので、やる気としたらないに等しかったですね。試合には出たけど前の年の余力でやっているだけのような感じで。出ても全然投げられないのは分かっているのですごく嫌だったし、出たくないのに出ているという感じでした」

ケガの治療のため御祓い、波の音を聞きに行くことも

ケガの治療のため、歯のかみ合わせの矯正や、神社へ御祓いへ行ったりと、いろいろなことを試した 【スポーツナビ】

 17年の日本選手権では82メートル13を投げられたが、それは偶然。左腕が麻痺していて熱湯に指を浸けても熱さを感じないほど。投げる時は止めもできないので、右腕が出てこない状態になっていた。

 そんな体調でも国内では勝てていることを複雑な気持ちで受け止めていたが、今振り返れば試合に出たことで競技に対する気持ちを維持できたのかもしれないともいう。

「その頃はコーチや監督とも、『次はどうやってみる?』と治療のことしか話していませんでした。結果的に首は歯のかみ合わせを整える治療で治ってきたけど、その前は近所の神社に御祓いにも行ったし。可能性が1%でもあるなら試してみようということでいろいろやり、患部の負担を減らすためにと他の部分のバランスを取るストレッチを教えてもらいました。また、川のせせらぎや波の音を聞くと心拍数が落ちて炎症を抑制できると言われたので出かけたりもしました。今まで自分は海には全然行かなかったのに、首をケガしてからは釣りをするようにもなったんです(笑)」

 首が治ったのは昨年の9月だった。その時点でそれまで挑戦していた横回転を使う投げは止めようと決めた。当初は「体力もなくなっているからそれを取り戻すのは半年かかる。日本選手権にギリギリ間に合うかな」という考えだった。

 国体は1週間だけ練習をしての出場だったが、やり投げの楽しさを思い出して練習ができた。だがそれまでやっていた横回転の投げの感覚も残っていたため、今度は右側が痛くなって指先にしびれがある感じになってしまった。それが治ったのが1月で、本格的に練習を再開できたのは2月からとずれ込んでしまった。

「ケガをしないことに越したことはないですが、世界と戦うにはそこまで追い込まないと追いつけないですからね。でもケガがあったからこそ進める部分はあるし、確信に変わる部分もあるので。『自分は横回転はできない。縦に近い回転で投げるのが自分の体にも技術的にも合っているんだろうな』というのが確信に変わりました。14年に86メートルを投げた時にはそれが勝手にできていたのが、いろいろいじっていたらいつの間にかできなくなってズレも出てきていました。新しいことに挑戦してケガをしたことで、やっとそこに戻れたということですね。勝手にできていたものを、今度はしっかり意識してやっていこうと」

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著者プロフィール

1953年1月26日長野県生まれ。神奈川大学工学部卒業後、『週刊プレイボーイ』『月刊プレイボーイ』『Number』『Sportiva』ほかで活躍中の「アマチュアスポーツ」専門ライター。著書『誰よりも遠くへ―原田雅彦と男達の熱き闘い―』(集英社)『高橋尚子 金メダルへの絆』(構成/日本文芸社)『船木和喜をK点まで運んだ3つの風』(学習研究社)『眠らないウサギ―井上康生の柔道一直線!』(創美社)『末続慎吾×高野進--栄光への助走 日本人でも世界と戦える! 』(集英社)『泳げ!北島ッ 金メダルまでの軌跡』(太田出版)ほか多数。

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