病気との戦いを乗り越えた走幅跳・中野瞳 足踏みの11年を経て見つけた進むべき道
高校時代の自己ベストに迫るジャンプ
兵庫リレーカーニバルの女子走り幅跳びで優勝した中野瞳。最後の跳躍では自身が高校時代に出したベスト記録に迫るジャンプとなった 【スポーツナビ】
あまりにも長い足踏み。その理由のひとつに、潰瘍性大腸炎との戦いがあった。
高2の冬から腹痛や出血を伴う下痢が続き、6月の県高校総体では連覇を達成したがその翌日から3週間入院。体重も15キロ落ちてしまった。
「高校の時の症状が一番ひどかったけど、入院をするとこんなに体重が落ちるのだと分かったので、それからは病院に通院するようになりました。でも毎年のように冬期練習はうまくいっていても、3月か4月に再発して1カ月ほど棒に振るのが続いて……。グランプリシリーズに出られるか出られないかという状態になり、そのあとリハビリで体力を回復してから6月の日本選手権に出るというのが毎年でした。冬の間は調子が良くて『これはいけるんじゃないかな』と思っていても春先に再発してシーズンインがうまくいかず、秋になって『復活できそうかな』となったところでシーズンオフになってしまう。最初は何でなのか分からなかったし、周りから練習のし過ぎだと言われていても自分ではそう感じていなかったんです。結局、12月から2月くらいまでは体が持つけど、その疲労の蓄積で3月や4月になると体が持たなくなっていました。やっと病気との付き合い方が分かってからは、逆に腸が教えてくれると言いますか。『これ以上やったらオーバートレーニングだ』というバロメーターにもなりました。それで朝練をやってから午前練、午後練とずっと競技場にいるような形だったのを本当に必要なのかなと考えるようになり、あとは1月の疲労は1月のうちに取りきるという形にして、次の月に持ち越さないようにしました。それが良かったのかはまだはっきりは分からないけど、今年の春は本当に久しぶりに、高校2年以来といえるようなスムーズなシーズンインができていると思います」
結果が出ないときに陥った負のスパイラル
兵庫リレーカーニバルでは6メートル43を記録したが、それまでは高校時代の6メートル44が重荷になっていた部分もある 【写真は共同】
「筑波大に入ってからはやはり6メートル44と比べてしまうので、全部マイナス評価なんです。あの記録は何も考えずに跳んでいただけだから、記者の方に取材を受けて『どうやって跳べたんですか?』と聞かれても答えられなくて……。それを言葉で説明できなければダメだなと思って考え始めて、大学で学び始めた時にはいろいろな情報が入ってきたけど、それを使いこなせなかったのかなと思います。
それに『アスリートはこうあるべきだ』というのを最初に自分で作ってしまっていて、練習日誌も高校時代は気がついたことがあればサッと書く程度だったけど、大学では感覚を言葉に起こして毎日書かなければいけないと思って、足の角度がどうとか書いていたら、ロボットみたいな動きになってしまったり。それができる人もいるだろうけど、私には難しかったですね」
苦しんだのは助走だったという。速く走ろうとして最初からダッシュをするとピッチが上がり過ぎてダメになる。かといって出だしでリズムを意識し過ぎるとスピードが上がらない。そこを行ったり来たりして同じ失敗を繰り返していた。
「踏み切るゼロ地点で速ければいいというところに落ち着くのに時間がかかりましたね。やっぱり最初からいかないと遅い気がするけど、自分の中では速く走っているつもりでも踏み切り前では減速していたり。それで抑えていくようにすると何か不完全燃焼のような気がして、データと自分の感覚のすり合わせが難しかったんです。今年の兵庫リレーでやっと、『こういうことかな』というのが分かったような感じです。高校の時は『走り幅跳びは100メートルより楽に走れるな』と思っていたから、その感覚がちょうど合っていたのだと思います。でも頑張って跳ばなければと思うようになってからは助走も頑張るようになってしまったし、踏み切りでももっと滞空時間を得ようと思って高く跳び出してみても自分でもフワッと上がった感じがしても距離が伸びない。前は遠くへ跳んでいるのでフワッと浮いている感じがしたのですが、上に高く上がるだけの浮遊感を求めていたんですね。努力とかトレーニングは頑張ることが大事ではなく、方向性が大事だということに気付いたのが去年くらいで。薄々気付いてはいたけど、なかなかそこまで踏み切れなかったんです」
結果が出なければ、どうしても「何かが足りないのではないか」と思ってしまい、その不安を解消するのは練習で頑張ることしかなくなってしまう。そんな負のスパイラルに陥っていたのだろう。
この冬は実業団合宿にも参加させてもらった。そこで男子短距離の藤光謙司(ゼンリン)とも一緒に練習し、彼のオンオフの切り替えなどを見て「これでいいんだ」と感じたという。