病気との戦いを乗り越えた走幅跳・中野瞳
足踏みの11年を経て見つけた進むべき道

モヤモヤした1年を過ごして感じた人生観

兵庫県教育委員会の嘱託職員として務めながら競技を続けていた時期もあったが、モヤモヤした気持ちもあったと話す
兵庫県教育委員会の嘱託職員として務めながら競技を続けていた時期もあったが、モヤモヤした気持ちもあったと話す【スポーツナビ】

 さらに“自主性”の意味を勘違いしていた部分もあるという。筑波大は将来的に指導の道に進む選手も多くいる大学であるため、選手にも自主性を求めている。そんな中で中野は、「何でも自分でしなければいけない」と考えてしまっていた。


「周りのサポートを本当に求めなくなっていました。コーチにもほとんど頼らず、聞きたいことがあっても『まあいいや』と思って自分で解決しようと思ってしまっていたんです。ちょっと困ったことがあっても友だちや家族に相談する前に自分で解決しようと思って、そうやって知らず知らずのうちにため込んでいたんですね。それは高校の時もそうでした。ずっと冬からお腹が痛くて血便が出ていたけど、親に言ったら心配するだろうなと思って黙っていたら、6月には学校にも行けなくなって入院をしたんです。本当に自分は頑固なんだなというのを、昨年くらいにやっと認められた感じですね。大学に来てからは『自立したアスリートにならなければいけない』と思い、それを違う風にとらえてしまっていて。最近になってやっと、主体は自分だけど必要な物は周りに求めて環境を作り出していくのが本当の自立なのかなと思うようになりました」


 中野がそんな自分の姿勢に疑問を感じたのは大学院を卒業し、地元に帰って原点に戻ろうと思い、兵庫県教育委員会に嘱託職員として務めて競技を始めた時だった。同級生がみんな働いているから、自分もしっかり職を持って働かなければいけないと思っていた頃だ。


「周りの目を気にしていたんですね。本当は陸上に集中したいと思っているのに、何か『良い子でいなければいけない』と思っていて。本当は人とは違った道を進みたいのに、周りからどう思われるかというのを優先していろいろなことを選択していたんです。

 本当に一番モヤモヤした1年間でしたね。その時に『何で自分は生きているんだろう』というところまで考えてしまって。それで『自分は人生を楽しむために生きていたんだな』と思って、それで周りからどう見られてもいいから、自分がワクワクする方向を選択していけばいいと思ったんです」

試合へは「戦場へ行くような気持ち」で臨む

スポンサー活動をする中で社会の厳しさもしった。そこから試合には「戦場に行く気持ち」で臨むようになった
スポンサー活動をする中で社会の厳しさもしった。そこから試合には「戦場に行く気持ち」で臨むようになった【写真:松尾/アフロスポーツ】

 7カ月間で教育委員会を辞職して筑波大のある茨城県に戻った。そこで自分が競技をするために必要なことをノートに箇条書きにして整理してみた。


 指導を受けるならこの人だと決めて筑波大の村木征人教授にコーチを頼み、競技に最も重要なスパイクも「これ」と決めてミズノに。大腸炎発症時に頼った森永製菓には栄養補助食品だけではなく栄養士の指導を受けられるような支援を申し込んで今のサポート体制が整った。現在の所属である『和食山口』は茨城県つくば市にある和食店だが、その店をよく利用してくれる会社や常連の方を含めたコミュニティのような方たちが支援もしてくれるようになった。


 さらに出身校の長田高校OB会も応援団を作ってくれ、OBが関係している会社がサポートしてくれるようにもなったりしている。


「スポンサーの方々は陸上の枠を超えているし、アスリート以上に成果を出さなくてはいけない厳しい世界で戦っている人たちなので、自分はまだまだ甘かったんだなと実感しました。それにスポンサーは1年契約なので、今年がダメだったらもう先がないというのもあるから、一試合一試合にかける覚悟も違ってくる。だから試合に行く前は『自分がいつ死んでもいい』というような気持ちで部屋を整理していきます。これまでとは違って何か、戦場へ行くような気持ちですね(笑)。やっぱり支援して下さいというからには、それだけの姿と結果で示さないと申し訳ないので、そこは今のスポンサー活動をして変わったところかなと思います」

今感じる「自分がやりたかった陸上」

日本選手権では今までかなわなかった表彰台を目指す。そしてその先には世界にも飛び出したいと考えている
日本選手権では今までかなわなかった表彰台を目指す。そしてその先には世界にも飛び出したいと考えている【スポーツナビ】

 高校記録を出してからは、周りの人に「成功体験にすがったらダメだ」と言われ、「あの時は何も考えていなかったから」と否定するような気持ちになり、新しいものを作ろうとだけ思うようにしていた。ただ、挑戦することを楽しみながらやれるようになった今は、あの時のジャンプの中にあるいいものも認めようという気持ちになれた。究極はあの時のように、気持ちよく走って気持ちよく跳ぶということだと。


「今は本当に心から楽しいし『これがやりたかった陸上だ』と感じられているので。兵庫の試合もまだ初戦だったし、自分の中ではまだ『跳べた!』という感覚もなかったので、これからドンドン記録を伸ばせそうだなという手応えはあります。6メートル50〜60は今年中に跳べるんじゃないかなと思っているので、まずはそこからですね。技術も体力も高校時代よりは確実に上がっているから、やるべきことをやっていればその記録もポンと出るんじゃないかと思います」


 まず意識しているのは、これまで9回出場しているが4位が最高で、まだ表彰台にも上がっていない日本選手権で表彰台に乗ることだ。そしてその先には日本記録更新や、世界で戦いたいという夢もある。その準備として個人でエージェントに連絡を取り、日本選手権後には1カ月間ほどの単独のヨーロッパ遠征も計画している。そこではチェコで2試合に出場することも決まっている。さらにその遠征中にはダイヤモンドリーグ・ロンドン大会とパリ大会が開催されるため、そこでどんな戦いが行われているかを自分の目で見るためにチケットも入手している。いずれ自分が行くべき場所として見てみたいと。


 足踏みを続けた11年間を経て、やっと自分の進むべき道を見つけた中野。彼女の視線の先には、ようやく世界への道が見え始めてきたのだろう。

折山淑美

1953年1月26日長野県生まれ。神奈川大学工学部卒業後、『週刊プレイボーイ』『月刊プレイボーイ』『Number』『Sportiva』ほかで活躍中の「アマチュアスポーツ」専門ライター。著書『誰よりも遠くへ―原田雅彦と男達の熱き闘い―』(集英社)『高橋尚子 金メダルへの絆』(構成/日本文芸社)『船木和喜をK点まで運んだ3つの風』(学習研究社)『眠らないウサギ―井上康生の柔道一直線!』(創美社)『末続慎吾×高野進--栄光への助走 日本人でも世界と戦える! 』(集英社)『泳げ!北島ッ 金メダルまでの軌跡』(太田出版)ほか多数。

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