得体が知れないストリートサッカー育ち セネガルのマネは「王様」ペレに似ている

西部謙司

セネガルの“ペレ”

セネガル代表の10番を背負い、チームをW杯に導いたマネ 【Getty Images】

 ワールドカップ(W杯)ロシア大会の2戦目で、日本はセネガルと対戦する。そのセネガルのエースがサディオ・マネだ。

「マネ」といえばサッカー界ではブラジルのマノエウ・フランシスコ・ドス・サントスだった。ニックネームの「ガリンシャ」の方がはるかに有名だが。マネが他の誰に似ているか、マネのプレーが誰を想起させるかというと、マネ・ガリンシャよりも、その隣にいたプレーヤーをどうしても思い浮かべてしまう。日本が対戦することを思えば、あまり出したくない名前なのだが……それはペレだ。

 マネの特徴といえばスピードである。あまりにも速いので、そればかりが注目されてしまうのだが、速いだけの選手ではない。むしろ速さはマネの長所の一つにすぎず、実は何をやっても抜群にうまいのだ。パスもシュートもうまいし、右足も左足も使える。守備もできる。ゲームも作れる。正確でクレバーでトリッキーな上に、ものすごく速い。

「××のペレ」という選手は過去に何人もいた。「砂漠のペレ」(=マジェド・アブドゥラー)もいたし、トスタンもジーコもヨハン・クライフも「白いペレ」だった。マルセイユで活躍したアベディ・アイェウは愛称のペレのほうが通名になっていた。もちろん本家を超えた者はいないし、プレースタイル自体あまり似ていない人も少なくない。マネはセネガルのペレとは呼ばれていないようだが、プレーの雰囲気はペレに近いものがある。

 では、ペレのプレーとはどういうものかというと、ひと言では説明できない。ひと言で説明できないのがペレであり、マネもそれは同じで、そこが似ているところかもしれない。あえて言うなら、ストリートの匂いだろうか。

絶滅危惧種のストリート・フットボーラー

アフリカのストリートから、名門リバプールの主力へとステップアップ 【Getty Images】

 セネガルのセディウ州の村で生まれ、15歳でダカールへと移った。ダカールではサッカーのトライアルが行われていて、それに参加するためだった。マネはダカールのジェネレーション・フットというアカデミーに加入している。

 アフリカの育成は無数のアカデミーを出発点としている。日本ならサッカー少年団といったところだろうか。大小無数のアカデミーがあって、将来有望な子供たちはスカウトされてそこでプレーしている。マネのような特別な才能を持った選手はアカデミーからヨーロッパのクラブへ移籍するので、国内リーグには残らない。マネは19歳の時に、フランスのメスへ移籍している。

「2、3歳のころからボールと一緒だった」「路上でサッカーをしている子供を見つけては混じりに行った」という話からすると、マネはアカデミーに入るまでストリート・フットボーラーだったようだ。

 草サッカーというより路サッカー。物心つく時分から、暇さえあれば路上のサッカーに明け暮れていた。こうしたストリート・フットボーラーはかつて世界中にいたが、現在は極めて限られた場所にしかいない。少なくともヨーロッパには存在しないし、南米にもいなくなったといわれている。

 アフリカには依然としてストリート・フットボールがある。カメルーンの英雄だったロジェ・ミラも「石ころを蹴っていた」と述懐していた。蹴っていたのが主に石だったので「ヘディングだけは上達しなかった」という笑い話である。

 マネもストリート・フットボーラーだ。ペレもそうだった。ヨーロッパではジネディーヌ・ジダンがおそらく最後のストリート・フットボーラーだろう。ジダンは集合住宅の中庭という閉鎖された特殊な環境から生まれた例外だった。そして彼らに共通するのは、形容しがたい得体の知れなさである。

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著者プロフィール

1962年9月27日、東京都出身。サッカー専門誌記者を経て2002年よりフリーランス。近著は『フットボール代表 プレースタイル図鑑』(カンゼン) 『Jリーグ新戦術レポート2022』(ELGOLAZO BOOKS)。タグマにてWEBマガジン『犬の生活SUPER』を展開中

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