自信と悔しさを経験した2017年 走幅跳・橋岡優輝インタビュー

日本陸上競技連盟

8メートル超えで日本選手権優勝も満足できなかった

17年の日本選手権では優勝を飾り、自身の記録も8メートル台に乗せたが、「自分のなかでは全然満足できていない」と話す 【写真:YUTAKA/アフロスポーツ】

――17年は、日本大に進学して1年目のシーズンでした。日本選手権優勝を果たし、記録的にも8メートル越えを達成でき、高いレベルで安定した跳躍ができていた印象がありますが、ご自身はどう感じていますか?

 高校の時に比べたら、8メートル近い記録でほぼ安定させることができたので、記録的に見ればいいかなと思うのですが、自分のなかでは全然満足できていないです。

――具体的には?

 関東インカレまではよかったのですが、そこから少し、自分のなかで考えていた内容とは違うというか、少し足踏みしたかなと感じています。

――それは世界選手権代表に向けてということでしょうか? 具体的に「行けるかも」という手応えを感じたのは、初の8メートル台(8メートル04)をマークして優勝した関東インカレあたりからですか?

 そうですね。シーズンが始まって、記録も出ていて、調子もよく、このままいけば行けるんじゃないかという漠然としたものはあったのですが、関東インカレの4回目、ファウルしてしまった跳躍で、ものすごくいい手応えを感じることができたんです。それは、(8メートル04を跳んだ)6本目よりもいい感じだったので、よりいっそう「このシーズンのうちに記録が出せるんじゃないか」という自信になりました。ファウルはファウルだけど、感覚としてはすごくよかったので。

――世界選手権参加標準記録(8メートル15)や日本記録(8メートル25)への可能性を感じられる「いいファウル」だったわけですね。その後、8メートル05(+1.4)の自己新で日本選手権を制し、南部記念では追い風参考(+3.2)ながら8メートル07と好記録をマークしましたが、標準記録には届きませんでした。

 悔しさしかなかったですね。ただ、その段階では、スパッと踏ん切りをつけて、今できることをやろうと、ユニバーシアードで結果を出すことに気持ちを切り替えていたのですが……。

――大会直前の練習で、右脚ハムストリングスの肉離れ。台北ユニバーシアードは無念の欠場となってしまいました。どんな状況で痛めたのですか?

 60メートルのダッシュをしたときに、体を起こす20〜30メートルの辺りでやってしまいました。

――調子はどうだったのですか?

 日本選手権の時よりもよかったです。森長(正樹)先生とも課題として話し合っていたお尻周りの筋肉と、そこからハムストリングにかけての筋肉が、よりうまく使えるようになっていて、助走のノリもかなり伸びやかにいけるようになっていたので。

――好調のときほど怖いという面がありますからね。それから試合には出場せず、シーズンを終えました。重症だったのですか?

 重症度でいうと2度にかかるかどうかといったところ。全治1カ月半くらいの状態でした。なので、秋の試合も、終盤なら出ようと思えば出られたのですが、そこで無理してはいけないなと思って治療とリハビリに専念しました。

――そうした反省も含めて、どういうことを感じましたか?

 陸上人生初のケガをしたシーズンだったので、自分としては学ぶことが多かったと思います。調子がよくても、その調子のよさに乗っかってしまって頑張り過ぎると、こういうことになるんだなと。ケガをしたことが、より大きな成長の糧になるのではないかと感じています。

――痛みは伴ったけれど、その分、大きな学びもあっということですね。

 そうですね。

今季はアジア大会とU20世界選手権の制覇が目標

――大学生になって生活の変化はありましたか?

 変化はほぼないといっても過言ではないかなと。大学を選ぶ際、自宅通学を基準の1つとしていました。家から通っているので、生活環境自体の変化はありません。また、指導の面でも、もともと渡邉先生も日本大の出身で、森長先生と大きく違うところがなかったので、「ちょっとグレードがワンアップしたかな」という感じ。本当にすんなり移行することができました。

――日本記録保持者(8メートル25)でもある森長先生から指導を仰ぐことになりました。

 これは僕も周りから聞いたことなのですが、僕を指導するために、森長先生は渡邉先生ともかなり連絡を取り合ってくださったそうです。そのおかげで、僕は森長先生の指導を本当にすんなり受け入れることができました。また、そうしたなかで、高校のときよりもワンランク高いレベルのことに取り組めたので、吸収率もよく、記録の更新につながったのかなと思います。

――自分のなかで、跳躍のどこが変わったと思いますか?

 助走の部分が変わりました。森長先生も仰っていたのですが、僕の踏み切りからの部分にかけては、今は大きく直す必要性がないということだったので、助走をより良くして跳躍につなげていこうとしてきたんです。そこが一番変わった部分かなと。

――2018年の目標は?

 まずは、アジア大会で優勝すること。それから、僕は早生まれなのでU20世界選手権に出られます。おそらくマイケル・マッソー(キューバ、17年世界選手権5位、16年世界ジュニア・15年世界ユース金メダリスト。17年にはU20世界歴代3位となる8メートル33をマーク)も出てくると思うので、そこで戦って、優勝して、日本チームに貢献できたらなと。

――それらを達成するために想定している記録は?

 試合になれば、自己ベストというのは関係なくて、その場面でどれだけ跳べるかということになると思いますが、ロンドン世界選手権の結果などから考えると、(8メートル)30は確実に必要かなと考えています。

――そのくらいの力を持った状態で大会に臨んで、そこで勝負したいと?

 そうですね。アジア大会で勝負することになる中国の選手にしても、マッソーにしても、8メートル30を超えるベストを持っているので、自分も(8メートル)30を上回る自己記録を持ったうえで、本番でもそれに近い記録を確実に残せるようにできたらなと思います。簡単ではないことですが、そこを目標にしています。

――昨年の冬の段階で、「8メートル20〜30くらいは、感覚的に見えるイメージがある」と話していましたが、そこは1年たって変化していますか?

 より明確になってきたかなと。最近それをまた感じています。練習で少しずつ感覚も戻ってきていて、「あ、もう少しここを改善すればいいのかな」という1歩先の部分も考えられるようになってきたので、そこをつかんでシーズン序盤でうまく波に乗せていきたいです。

――スケールアップした跳躍が見られることを楽しみにしています。

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