“闘将”星野仙一さんを悼む テレビの中の怖い監督の素顔
星野さんの優しさを受け継ぎたい――
台湾から日本に来て106勝116セーブを挙げた郭源治(写真右)さん。星野さんからは怒られたことはなく、野球だけではなく人として多くのことを学んだという 【写真は共同】
「星野さんは僕の人生を変えてくれた人。いろいろ言われることもあるかもしれないけれど、野球人としてだけでなく、人との接し方、選手との関わり方、すべてにおいて自分を変えてくれました」
日本で野球ができたことをこの上なく感謝しながらも、星野さんに出会っていない野球人生は考えられないという。「諦めない、前向きな考え方。これにはすごく影響を受けました」と続ける。
「それに、すごい優しいんです。選手たちを、その後もずっと気遣うんです。ほんの少しでも、僕も星野さんをマネしたいというか、受け継ぐ人になれればと思っています」
長年ずっと、お正月になると新年の挨拶の電話をかけていた郭さん。年末年始をハワイで過ごすようになっていた星野さんに、時差を考えずに電話したこともあったそうで、その時は「ばかやろー、こっちは何時だと思ってんだ」と怒られたとうれしそうに話す。
「でも、今年は留守番電話につながったんです。疲れてるのかなと思って、メッセージと『また電話します』って録音して、次の日の2日も電話した。でも、つながらない。こんなことはなかった。絶対に電話を返してくれると思ってましたから……」
何時でも郭さんの電話に出ていた星野さんが、今年の年末年始のハワイ旅行をキャンセルしていたことは、後になって報道で知った。電話に出られる状態ではなかったことは、想像がつく。
忘れられない「ありがとう」の一言
星野さんが楽天の監督として日本一に輝いた13年、日本シリーズMVPを獲得した美馬(写真右) 【写真は共同】
ルーキーだったある日、打たれた後にずっと走らされたことがあった。「アップも入れてもらえず、練習が終わるまでずっと内野を走らされました。新人で来ていきなり!? とびっくりしました」と振り返る。いわゆるスポ根“的”指導で洗礼を受けたのだ。
無茶を言い渡すようで、必ずそこには愛と理由があった。その後、美馬に先発転向を助言したのも当時監督だった星野さんだ。ひじの不安を抱えていた美馬にとって、より負担が少なくなると考えたからだ。その後、先発として頭角を現した美馬は13年に星野さん率いる楽天が日本一になった時、日本シリーズで2試合に先発。2勝を挙げる活躍で、シリーズMVPを獲得した。
星野さんに言われたなかで、忘れられない言葉を尋ねると、「やっぱり、『ありがとう』って言われたことです」と即答した。日本シリーズが終わって、そう言われたのだ。よく怒られたという美馬は「僕の中で一番(の言葉)です」と懐かしむ。愛情も感謝もあふれんばかりの人だが、決してそれらを安売りもしないのだろう。
「ずっと選手を気に掛ける星野さんのことだから、今もみんなのことを見ていますよ」と郭さんは空を指差した。一方の美馬は、「見てるでしょうね。一生懸命やらないと怒られると思う」と、まるで星野さんがすぐそこにいるかのように言った。なぜかゾワッと鳥肌が立って、笑顔がこみ上げた。