ロッテ・井口、引退惜別インタビュー 誰よりも野球を愛した21年間――

週刊ベースボールONLINE

記憶に刻まれる3つの試合

「あのメンバーの一員だったことは誇り」と振り返るダイエー時代。8年間で常勝チームの中心へと成長を遂げた 【写真:BBM】

 長きにわたったプロ生活の中で、数々の思い出が刻まれてきた。常勝を誇ったダイエーでの切磋琢磨の8年、夢を追いかけたメジャーでの4年、バットを置くまでのロッテでの9年――。21年間もプレーを続けられたのは、「誰よりも野球が好き」だったから。そして、井口の野球の楽しみ方と経験は、来季からの監督という新たな挑戦においても、大きな糧となるだろう。

 ダイエーで8年、メジャーで4年、ロッテで9年。いろいろな思い出があります。ダイエー時代は今思い返しても本当にすごいメンバーでした。チーム内の競争がすごかったし、その中で成長できたのは大きかったです。「うまくなりたい」という気持ちがみんな強かった。バッティングケージやマシンの取り合いでしたから。右打者で言えば城島健司とかと互いに数字を設定して競っていた。その結果として、終わってみたらみんながすごい数字になっている。自分の数字で言えば3割4分を打った03年はキャリアハイに近いかもしれませんが、自分ではホームラン30本に3本足りなかったという印象です。常に30−30やトリプルスリーという目標がありましたから。

 2001年には盗塁王になってホームランも30本打ちましたけど、打率が2割6分1厘。それまでの4年間は全然結果を残せず、プロに通用する自分のバッティングを探している段階でした。でも、セカンドにコンバートされて、体のバランスが良くなりバッティングにもいい影響が生まれた。走るほうでも当時の島田誠コーチと「まずは30走ろう」という話をして、そこから増やしていってこの数字(44盗塁)になった。別に走らなくても誰かに何かを言われるわけではないのですが、自分の中でも野球観として「足を使わないと勝てない」というのがあるし、当時の自分としても足を使わなければ選手としてやっていけないと感じていました。自分にとって一つのターニングポイントとなった年ですね。

2005年、ホワイトソックスのレギュラーとして、ワールドシリーズ制覇に貢献 【Getty Images】

 メジャーでの経験は本当にいろいろと勉強になりました。まずは何より、みんなすごくハングリー。キャンプに行くと100人くらい選手がいて、「こんなにいるのか!」と思ったのに、気付けばあっという間に選手の数が減っている。それでも自分のスタイルを変えることなく、守備でも打撃でも準備していったものがしっかり出せたかなと思います。

 打撃については入団前から2番でということを言われていましたけど、バントが多いわけではないし、右打ちは自分のスタイルでもある。守備についても、向こうの天然芝はすごくきれいなのでイレギュラーは少ないし、前に出なければいけないというのもしっかり準備して行きましたから。日本人でメジャーに挑戦したほかの内野手たちは、サードやショートでトライしながらセカンドを守らされたりしましたけど、僕は最初からセカンドでトライできたのは大きかったかもしれません。そこでしっかりとレギュラーが取れたので、自分で言うのもおかしいですが、セカンドとして一人前になれていたのかもしれません。

 ホワイトソックスでは1年目から世界一になることができました。でもポストシーズンは本当に長かった。いつまで試合するんだっていうくらい、1カ月が果てしなく長かったですね。ヒューストンで優勝を決めたときも、「とにかく寒い」ということと「やっと終わった」っていう感じでしたから(笑)。でも、シカゴに戻って優勝パレードをやったら200万人くらいのファンが集まった。あの規模感は日本では味わえない。メジャーのスケールの大きさというのをあらためて感じました。

 日本に帰ってきて、ロッテでは2010年に日本一になり、13年には(日米通算)2000安打を打つこともできました。ただ、21年間のプロ生活を振り返ってみると、もちろんチャンピオンになった日も思い出深いのですが、本当に心に残っている試合は自分にとっての節目の日。3つ挙げるなら、1つはホークスでのデビュー戦。満塁ホームランを打ったということよりも、ケガで1カ月出遅れていたので、とにかく同期に遅れを取りたくないと思いながらのプロ21年間のスタートでした。

 2つ目はメジャーでの最初の試合。夢を追いかけてアメリカに行って、やっとフィールドに立てた。すると球場にでかいアメリカ国旗があって、戦闘機は飛んでくるし、「やっぱり違うな。これがメジャーか」と感じたのを覚えています。最後はやはり引退試合ですね。入団したときからいた選手でもないのに、しっかり引退セレモニーをしてもらって、球団には本当に感謝しています。

 この歳まで現役を続けてこられたのは本当に幸せなことだし、誰よりも野球が好きだからここまでやることができました。今でも「こうやったら、もっとこうできるんじゃないか」と考えたります。それに野球の面白いところは、試合を見ている誰もが監督になれるし、いろいろな見方ができるところ。だから楽しい。僕もベンチで「自分だったらこうするな」とか考えながら見ていたし、自分のチームや相手のチームが動いたら「ここでこうやって動くんだ」とか勉強になることもたくさんありました。ファンも含めて、そういった野球に対する考え方や見方は人それぞれ違う。だから楽しいんだと思います。

 21年間、福岡と千葉のファンをはじめ、多くの方にたくさんの声援を送っていただき、本当にありがとうございました。これからはまた違った形で、しっかりと恩返しがしていけたらいいなと思います。

(取材・構成=杉浦多夢 写真=榎本郁也、BBM、GettyImages)

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