代表復帰の小林祐希、W杯にかける思い 「やってきたことを還元できるチャンス」

中田徹

瞑想による脳のトレーニングに取り組む

ヘーレンフェーンでは1年かけて取り組んできたことの成果が出ている。しかし、代表での公式戦では「未知数」だと本人は語る 【写真:ムツ・カワモリ/アフロ】

 小林がこの1年をかけて取り組んできたことの1つが「ブレイン・ストレッチ」と名付けた瞑想による脳のトレーニングだ。ヘーレンフェーンの試合ではいつも同じ精神状態で、同じレベルのプレーができるようになり、プレーに波がなくなったことで成果が出ている。しかし、代表での公式戦では「未知数」と言う。

「『これに勝てばJ1に上がりますよ』という試合とは――これは別にJ2やJ1のレベルがどうこうではなくて――日本がW杯に出るかどうかの試合だから。そこはやっぱり日の丸を背負っている。今後の自分のサッカー人生もそうですし、自分より下の世代のサッカー人生も懸かっているし、いろいろな人の思いも背負っている。これまでタイトルの懸かった試合をしたことのない俺がピッチに立った時にどうなるのか、自分でも楽しみです」

 以前、小林が「みんながキツイ時に、『あ、祐希が笑ってプレーしているよ』という姿を見せて仲間を落ち着かせたい」と言ったことがある。

「そう。そこで笑えたら、俺は一流に近付いていると思う。プレー中に(やんわりと、しかしキッパリと)『俺に通せ、通せ。出せよ。俺に出せば大丈夫だから』というのができたら、俺は一皮むけてるんだなと感じるし、それができていなかったら『ああ、もうちょい自分には必要だな』と感じるだろうし。それは自分がピッチに立たないと分からない」

 それから、小林は「いや、ピッチに立つ前から、もう分かるかな?」と言って続けた。

「自分がベンチだとしても、いやベンチ外だとしても、すごいアガっていると思うから。それでも落ち着いて(オーストラリア戦の)ゲームを見て『次のサウジで自分が出たらどういうふうにできるかな?』とか、どういう状況になっても、自分の成長を確かめるチャンスでもあるし、今までやってきたことを日本のために還元できるチャンスでもある。

 人に見せるのは嫌いだけれど、本当にコツコツやってきたつもりです。27人の中に選ばれたことで、自分がやってきたことを発揮できる場が増えた。そのことを、自信を持って出せるチャンスだと思ってます。27人、自信はあるんですよ。自信を持っている選手たちが選ばれているんだから。だけど、そこで同じ精神状態で、同じプレーができる・できないは別ですから」

「代表選手なのに、なんでこんなミスをするの!?」というシーンは起こり得ることだ。

「ミスだけじゃなく、『いつもだったら、ここでつなぐのに何で蹴っちゃうの?』とか、いつもだったら『ごめん、ごめん』なのに『うるせえなあ』となるのか。それだけでもだいぶ違うと思うんですよ」

 そうしたことで消えていった選手もいるかもしれない。

「そう。今回は本当に誰が出ようが、誰がベンチ外だろうが、何でもいんですよ。勝てばいいんですよ! シンプルじゃないですか」

忘れていない2万人との約束

「俺がみんなをロシアに連れていきます」と叫んだ約束を、小林は片時も忘れてないという 【(C)J.LEAGUE】

 約10カ月前のオマーン戦と較べ、小林は何が変わったのだろうか。

「精神的なところじゃないですか。10カ月前は、メンタルトレーニングもそうですし、食事のこともそうですし、いろいろと始めた時期だったんです。(オマーン戦では)まだ、やり始めて3カ月だったので、勢いでやっていました。もう25、6歳になったら劇的に伸びたりはしないから、本当にコツコツやるしかないんですよ。自分なりにドリブルの練習をしてみたり、シュートの練習をしてみたり、それはピッチの上でできることなので、もちろんやってます。

 あとはフィジカルじゃないですか。今シーズンからちょっと激しい当たりとか空中戦とか、一歩目、二歩目の瞬発力を出すためにパワートレーニングを取り入れてきました。それとスライディング。『今、スライディングしたの誰?』『(吉田)麻也!?』『あれ、祐希じゃん!』となるようにしたいです。点を取って、アシストをして魅せるのがベストだけれど、そうじゃないところでね。『数少ない左利きのMF』と言われているし、もしかしたら、コーナーキックとかフリーキックとかセットプレーも蹴れるかもしれない。そうなったら、代表らしいしっかりしたボールを蹴らないといけない」

 今から1年前、小林はジュビロスタジアムのゴール裏で「俺がみんなをロシアに連れていきます」と叫び、オランダへ旅立った。あの2万人を超える観客と交わした約束を、小林は片時も忘れてないという。その上で、彼はこう続けた。

「別に俺が試合に出る・出ないなんてどうでもいいんですよ。出なくてもできることはある。出なくても貢献できることはある。どんな形でもいいから代表に貢献する。それだけを考えて日本に帰りたいと思います」

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著者プロフィール

1966年生まれ。転勤族だったため、住む先々の土地でサッカーを楽しむことが基本姿勢。86年ワールドカップ(W杯)メキシコ大会を23試合観戦したことでサッカー観を養い、市井(しせい)の立場から“日常の中のサッカー”を語り続けている。W杯やユーロ(欧州選手権)をはじめオランダリーグ、ベルギーリーグ、ドイツ・ブンデスリーガなどを現地取材、リポートしている

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