サヨナラボークを経てプロ目指す雑草右腕「夢を語ったからにはやるしかない」

高木遊

優勝候補に完封勝ち

ことしの全日本大学野球選手権で一躍注目を集めた四国学院大の小久保投手。気宇壮大の四字熟語をもとに、兄2人の名前は壮(たけし)、宇(ひろし)という3兄弟。普段は純朴な人柄の好青年で趣味は釣り。後輩からも慕われて、サヨナラボークで敗れた2回戦翌日には膝から崩れ落ちて泣くシーンを後輩から目の前でモノマネされたほど 【写真:高木遊】

 高校野球の地方大会が真っ盛りのこの時期は、多くの選手が第一線からの野球から退く時期でもある。だが、高校時代に実績をほとんど残せなかった選手でも、諦めずに野球を続けて花を開かせる選手が多くいるのも事実だ。今回は、これまで一度もいわゆる「強豪チーム」に所属したことはないが、ひたむきに夢を追い、その夢を近づけてきた1人の青年を紹介する。

 まさかの結末だった。今春の全日本大学野球選手権2回戦で九州産業大を相手に1失点と好投していた四国学院大のエース右腕・小久保気(きよし)だったが、同点で迎えた9回裏1死満塁で痛恨のボークを犯し、サヨナラ負け。直後は呆然とした表情を浮かべていたが、応援席へあいさつに向かうとあふれる涙を抑えられなくなった。

 そんな悲劇の主人公となってしまった小久保だが、1回戦では全国屈指の強豪で優勝候補にも挙がっていた東北福祉大を完封し、四国地区大学野球連盟に12年ぶりの白星をもたらしたジャイアントキリングの立役者でもある。

高校時代は2年夏の県8強が最高

今年の全日本大学野球選手権で四国大学野球連盟で12年ぶりに白星をもたらした四国学院大野球部のグラウンド 【写真:高木遊】

 そんな小久保だが、進学校の鹿児島玉龍高時代は2年夏の県8強が最高で、最後の夏は2回戦敗退と無名の存在だった。それでも、自らの可能性にかけてみたい気持ちが強かった。

「小さい時から、やるなら一番上のレベルまでやりたいという気持ちがあったんです。それこそ今考えたら馬鹿なんですが、小学校の時に3年間ラグビーをやっていた頃はオールブラックス(ニュージーランド代表)に入りたいと夢見ていました」

 そうした幼い頃から変わらぬ向上心で、いくつかの大学のセレクションを受験し、四国学院大に進学を決めた。実はこの時、関東の全国常連校にも合格していた。だが「雰囲気や部員の多さを見て、僕なんか見てもらえないんじゃないかと思いました」と尻込みしていたように、自信にあふれていたわけではなく、希望と不安が混ざった気持ちだった。

意図をしっかりと考えながら練習

 四国学院大入学後の1年間は「正直、自分と向き合っていた時間が長いとは言えなかった」と振り返る。そして、大学2年の春に大きな挫折を経験することになる。四国地区大学野球春季リーグで優勝を争う愛媛大との1回戦の先発を任されたが、制球を乱して序盤で降板。翌日の2回戦も先発を任されたが同じような投球をしてしまい、チームは連敗。優勝争いから脱落してしまった。

「(春で引退する)4年生にとって最後のリーグ戦の大事な試合を壊してしまって、悔しくて申し訳なくて。もう消えたくなりました」

 これまでの人生で最も辛い時期だったと言い、そこからの意識改革や猛練習の日々に「懐かしいなあ」とポツリと呟いた。

 ただ流れに身を任せ、ただ一生懸命にボールを放ることしか考えていなかったことを改め、意図をしっかりと考えながら練習や登板に臨み、自主練習の時間を大幅に増やした。

「これが足りないからこうしようと、もうひとつ先の考えができるようになりました。あと“遊ぶ時は遊ぶ、練習する時はする”というように、オンとオフを覚えてからは楽になりました」

 そして、最上級生となった今春、エースとしてチームを4年ぶりの全国大会に導いた。高校時代に最速138キロだった球速は148キロまでになり、スライダーとフォークに加えて、シュートも習得し投球に幅が広がった。

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著者プロフィール

1988年、東京都生まれ。幼い頃よりスポーツ観戦に勤しみ、東洋大学社会学部卒業後、スポーツライターとして活動を開始。関東を中心に全国各地の大学野球を精力的に取材。中学、高校、社会人などアマチュア野球全般やラグビーなども取材領域とする。

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