山崎直之、シーズン終盤に見せた復活劇 オランダ2部での紆余曲折の半年間
信頼を取り戻し、レギュラーに返り咲く
さまざまなポジションでのプレーを経験し、山崎は3月にレギュラーの座を奪い返すことに成功した 【Getty Images】
(3月3日の)アイントホーフェン戦は、味方のけがや出場停止が重なって、僕は4−3−3のアンカーで入りました。テルスターでは、アンカーのポジジョンはキャプテンか副キャプテンしかやっていなかった。僕の調子が上がってきた時期で、監督から「アンカーは重要なポジションだけれど、お前ならやれると思う」と言われました。
――さっきの練習のときに「守備でガツンといった」という話とシンクロするわけですね。
その前の練習試合では、僕がセンターバックをやったんですよ。そしたら、完封できてしまった(笑)。「お前、守備もできるのか!?」と言われました。だったら、アンカーでも使えるなと言われ、評価もされました。
――前半戦はインサイドハーフで起用されることが多かったと記憶しています。山崎選手がアンカーをやると、タイプとしてはアヤックスのラセ・シェーネ選手みたいな感じになるんでしょうか?
はい。けっこう気持ちが良かったです。一番ボールが入ってくるので。あんなに多くボールに触れたことはないですね。
――いつまでアンカーを?
その1試合だけです。次のNACブレダ戦(3月10日)は左サイドバック(SB)をやりました。うちの左SBが累積警告でNAC戦に出られなかったんです。それで誰を選ぶか、1週間トレーニングしたんですけれど、結局、僕が左SBに選ばれました。
「お前ならできる。お前が最適だ」と言われて。「いや、違うだろ!?」と思いましたが、「与えられたポジションでやろう」と。しかもNACは、右ウイングの選手(ジオバンニ・コルテ)がキーマンで、かなりガンガン来ました。(試合では)抜かれはしましたが、やられはしなくて、「良かったぞ」と言われました。
――完全に信頼を取り戻したんですね。
この2試合で守備もできるというのを示しました。その次の試合から右サイドハーフです。
――そのエメン戦で初ゴールを決めたんですよね。
ちょっとうれしかったです(笑)。DFという苦手だったポジションも経験できたし、エメン戦ではオフ・ザ・ボールでの動きで、走り込んでゴールを決めました。この3試合で苦手なことを克服し、成長できたと感じられたので、良かったです。
――その後、ずっと同じポジションでプレーしたんですか?
(3月31日の)アルメレ戦は左サイドハーフでした。
――今季奪った3ゴールはどれも“走り”が生きたゴールでした。シーズン後半であれだけ走れたのはトレーニングの効果があった?
絶対にそうです。有名な選手のゴールシーンを見ても、やっぱり「みんな走ってるんだな」と思いました。(リオネル・)メッシだって、ゴールする時は一瞬で走っている。それなのに僕は走っていなかった。このままでは、ゴールは取れないと思いました。(ポジションが中盤に)下がってきて、ちょっとクッションになって、ボールをつなぐことも、両方上げていきたいと思っています。
――あのゴールシーンを見ると、3ゴールでは少なすぎますよね。
そうなんです。今の調子で、あと10試合ぐらいやりたかったです!
「できればもう1年、オランダにいたい」
自身の去就について、山崎は「できればもう1年、オランダにいたい」と話す 【中田徹】
やっぱり疲れはありますが、(今季最終戦となった5月5日の)VVVフェンロ戦もそんなに悪くなかった。調子はどんどん上がってきていたと思います。これはもっと成長できるなと感じました。
――VVV戦はそんなことを感じた26歳の誕生日だったと。
はい(笑)。ゴールを決めたかったです!
――試合後、藤田俊哉さん(VVVコーチ)からアドバイスをもらっていましたね。
「山崎くんだったら、もっとゴールを決められるよ」と。プレーの面でも細かいことを言われました。裏に抜けたり、ドリブルでカットインしてワンツーするのを、ずっと続けたほうが良いと言われました。
オランダは日本人に対し、14年12月から労働許可証を取得しなくても、現地で働くことを認めており、サッカー選手も「EU外選手に対する最低年俸(約4500万円)」の対象外となっていた。その特例は16年いっぱいをもって終了したとされているが、日本人のサッカー選手に対してどのように適用されるか、実際には不明瞭だ。
自身の去就について、山崎は「できればもう1年、オランダにいたい。ちょうどゴールも増えてきたので、このベースを来シーズンに生かしたい。今はオランダの情報を調べながら、他の国のクラブも探すという感じです」と語っている。