山崎直之、シーズン終盤に見せた復活劇 オランダ2部での紆余曲折の半年間

中田徹

信頼を取り戻し、レギュラーに返り咲く

さまざまなポジションでのプレーを経験し、山崎は3月にレギュラーの座を奪い返すことに成功した 【Getty Images】

――山崎選手は1月、2月とほとんど試合に出られませんでしたが、3月になってからレギュラーの座を奪い返しました。それは2月24日のデン・ボス戦でプレーした15分間の出来が良かったからですか?

(3月3日の)アイントホーフェン戦は、味方のけがや出場停止が重なって、僕は4−3−3のアンカーで入りました。テルスターでは、アンカーのポジジョンはキャプテンか副キャプテンしかやっていなかった。僕の調子が上がってきた時期で、監督から「アンカーは重要なポジションだけれど、お前ならやれると思う」と言われました。

――さっきの練習のときに「守備でガツンといった」という話とシンクロするわけですね。

 その前の練習試合では、僕がセンターバックをやったんですよ。そしたら、完封できてしまった(笑)。「お前、守備もできるのか!?」と言われました。だったら、アンカーでも使えるなと言われ、評価もされました。

――前半戦はインサイドハーフで起用されることが多かったと記憶しています。山崎選手がアンカーをやると、タイプとしてはアヤックスのラセ・シェーネ選手みたいな感じになるんでしょうか?

 はい。けっこう気持ちが良かったです。一番ボールが入ってくるので。あんなに多くボールに触れたことはないですね。

――いつまでアンカーを?

 その1試合だけです。次のNACブレダ戦(3月10日)は左サイドバック(SB)をやりました。うちの左SBが累積警告でNAC戦に出られなかったんです。それで誰を選ぶか、1週間トレーニングしたんですけれど、結局、僕が左SBに選ばれました。

「お前ならできる。お前が最適だ」と言われて。「いや、違うだろ!?」と思いましたが、「与えられたポジションでやろう」と。しかもNACは、右ウイングの選手(ジオバンニ・コルテ)がキーマンで、かなりガンガン来ました。(試合では)抜かれはしましたが、やられはしなくて、「良かったぞ」と言われました。

――完全に信頼を取り戻したんですね。

 この2試合で守備もできるというのを示しました。その次の試合から右サイドハーフです。

――そのエメン戦で初ゴールを決めたんですよね。

 ちょっとうれしかったです(笑)。DFという苦手だったポジションも経験できたし、エメン戦ではオフ・ザ・ボールでの動きで、走り込んでゴールを決めました。この3試合で苦手なことを克服し、成長できたと感じられたので、良かったです。

――その後、ずっと同じポジションでプレーしたんですか?

(3月31日の)アルメレ戦は左サイドハーフでした。

――今季奪った3ゴールはどれも“走り”が生きたゴールでした。シーズン後半であれだけ走れたのはトレーニングの効果があった?

 絶対にそうです。有名な選手のゴールシーンを見ても、やっぱり「みんな走ってるんだな」と思いました。(リオネル・)メッシだって、ゴールする時は一瞬で走っている。それなのに僕は走っていなかった。このままでは、ゴールは取れないと思いました。(ポジションが中盤に)下がってきて、ちょっとクッションになって、ボールをつなぐことも、両方上げていきたいと思っています。

――あのゴールシーンを見ると、3ゴールでは少なすぎますよね。

 そうなんです。今の調子で、あと10試合ぐらいやりたかったです!

「できればもう1年、オランダにいたい」

自身の去就について、山崎は「できればもう1年、オランダにいたい」と話す 【中田徹】

――シーズンを通して、疲れは溜まっていますか?

 やっぱり疲れはありますが、(今季最終戦となった5月5日の)VVVフェンロ戦もそんなに悪くなかった。調子はどんどん上がってきていたと思います。これはもっと成長できるなと感じました。

――VVV戦はそんなことを感じた26歳の誕生日だったと。

 はい(笑)。ゴールを決めたかったです!

――試合後、藤田俊哉さん(VVVコーチ)からアドバイスをもらっていましたね。

「山崎くんだったら、もっとゴールを決められるよ」と。プレーの面でも細かいことを言われました。裏に抜けたり、ドリブルでカットインしてワンツーするのを、ずっと続けたほうが良いと言われました。

 オランダは日本人に対し、14年12月から労働許可証を取得しなくても、現地で働くことを認めており、サッカー選手も「EU外選手に対する最低年俸(約4500万円)」の対象外となっていた。その特例は16年いっぱいをもって終了したとされているが、日本人のサッカー選手に対してどのように適用されるか、実際には不明瞭だ。

 自身の去就について、山崎は「できればもう1年、オランダにいたい。ちょうどゴールも増えてきたので、このベースを来シーズンに生かしたい。今はオランダの情報を調べながら、他の国のクラブも探すという感じです」と語っている。

山崎直之(やまざき・なおゆき)

1991年5月5日生まれ、東京都出身。181センチ、70キロ。ポジションはMF。FC東京U−15深川→FC東京U−18→東京学芸大学を経て、2014年アスルクラロ沼津(当時JFL)に加入。15−16年は東京都社会人リーグのHBO東京に在籍。その間もフィンランドや米国で挑戦を続け、16年6月、オランダ2部テルスターのトライアウトに合格。第6節のデ・フラーフスハップ戦、25歳で遅咲きのプロデビューを果たした。U−18、U−19日本代表選出経験を持つ。

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著者プロフィール

1966年生まれ。転勤族だったため、住む先々の土地でサッカーを楽しむことが基本姿勢。86年ワールドカップ(W杯)メキシコ大会を23試合観戦したことでサッカー観を養い、市井(しせい)の立場から“日常の中のサッカー”を語り続けている。W杯やユーロ(欧州選手権)をはじめオランダリーグ、ベルギーリーグ、ドイツ・ブンデスリーガなどを現地取材、リポートしている

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