楽天・宮川、諦めず戻った1軍マウンド 「3桁の背番号は2度と着けたくない」

週刊ベースボールONLINE

右肘痛の始まりと育成落ち

背番号は「121」から「90」となったが、15年には再び3桁に逆戻り。故障もあり苦しい時期を2軍で過ごした 【写真:BBM】

 うれしさと悔しさを同時に味わった1年目。貴重な財産を手に、大きく飛躍するはずだった。しかし、選手生命をも脅かす暗雲は突如出現する。2年目は前年と同じ17試合の登板ながら、防御率4.29と大幅に悪化。原因は右肘の異常にあった。

「1年目はロングリリーフが多かったですけど、勝ちゲームで起用されることもあり、投げる間隔も空いていたんです。でも、2年目は一転して最下位ですから。連敗もある中で体の回復が追いつかなかった。痛くても、我慢しながら投げていた部分も確かにありました」

 状態が悪い中で投げ、打ち込まれて2軍落ち。キャッチボールでも痛みが出たため検査したところ、右肘の肘頭疲労骨折が判明した。「疲労骨折というのは普通、じん帯が緩んできて不安定な中で投げると起こるものですけど、僕の場合は直接骨に負荷が掛かったようです」。シーズン終了後の10月15日、ヒジの別部分から骨を移植する手術を受けた。

 退院すると、球団から呼ばれた。「まさか、戦力外か……」と身構えたが、その内容は「育成として1年間しっかり体を作り、次の年にまた支配下に戻れるよう頑張ってくれ」というものだった。最悪の事態は回避されたが、だからといって未来が見えてくるわけでもなかった。

後輩に習った不屈の精神力

 翌15年の春季キャンプからキャッチボールを再開したが、すぐに痛みが出てしまう。ノースローを入れて再開しても、また痛み出すという負の連鎖が続く。「痛みがあったり違和感があったり、その繰り返し」。トレーナーと相談し、少々の痛みならば我慢しながら投げていこうという方針だったが、すぐに限界が訪れる。「骨を移植したことで、ほかの箇所にも悪い影響が出て……」。8月、クリーニング手術を行った。

 長く先の見えないリハビリ。支えとなったのは同志の存在だった。2歳下の右腕・釜田佳直もまた、13年秋に右肘にボルトを埋め込むと、14年春にはトミー・ジョン手術を行い、復帰を目指していた。

「ウエートルームには音楽がかかっているんですけど、釜田はいつもイヤホンをつけて黙々とトレーニングに励んでいる。一方の僕は当初、1軍の試合を見る度に焦りや歯がゆさを感じたりして……。気持ちの波が大きかった。でも釜田には不屈の精神力みたいなものを感じたし、この姿勢を見習わないとなと思えました。年下ですけどお手本になるし、本当に尊敬できるヤツですよ」

気持ちは熱く、頭は冷静に

 2軍登板もゼロに終わった15年、オフの契約更改では「1年間しっかり戦える体を」と、これまでと同じ言葉を球団から掛けられた。ただ、「早く戻ってきてくれ」とは言われなかった。それは自分自身が考えること。

「ヒジの状態がどうこうと言える立場でないのは分かっています。今年ダメなら終わり。しっかりやろうと思っていました」

 崖っぷちの男には、一方で興味深い現象が起こっていた。ストレートの最速が147キロから151キロにアップしたのだ。

「リハビリ期間の1年半の間にしっかりと体を鍛え直せたのも大きいですし、投げられなかった期間に自分を見つめ直せたと思います」

 フォーム自体は大きく変わっていない。変化があるとすれば、自身の内面だという。

「1軍の試合をテレビで見ながら、自分だったらこうするとか、冷静に野球と向き合えるようになった気がします。マウンド上であれこれ考え過ぎなくなった。気持ちの余裕も出てきて、力みも少なくなりました」 

 気持ちは熱く、頭は冷静に――。これは大体大浪商高時代に習ったことだが、今になってやっと、真の意味を理解できたという。

「緊張で舞い上がったデビュー戦、日本シリーズとは違う姿、成長した姿を見せることができていると思います」

「育成出身」を売りにしない

復帰後は中継ぎでの登板が多かった宮川(写真左端)だが、まずまずの投球内容。17年が正真正銘、勝負の年となりそうだ 【写真:BBM】

 今は自分らしさを追求する毎日。すなわち、ストレートで追い込んでいく姿勢であり、投げっぷりの良さ。「今年は三振も結構取れたと思うので(9回2/3で9奪三振)、そういうピッチングを続けていきたい。接戦や勝ちパターンを任されるようになりたいし、ロングリリーフもやりたいし、先発もやってみたい」。投球への欲は無限にあふれ出る。

 また、育成での経験が自身を成長させてくれたという実感はあるが、「育成出身の――」というキャリアを売りにするつもりはない。

「言い方は悪いですけど、僕が背負っていた3桁の背番号では、プロ選手じゃないと思っていました。『プロ野球選手になりたい』、『プロ野球選手に戻りたい』という一心で練習してきたわけですから、この番号はもう2度と着たくないです」

 最初に支配下登録されたとき、「スタートラインに立った」と表現した宮川。ならば、これは2度目のスタートラインとなる。今までとは違った“宮川将”を見せるつもりだ。

(文=富田庸)

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