国枝、最後まで戻らなかった試合勘
「出直したい」V3逃すも挑戦続く

世界2位相手にストレート負け

パラリンピック3連覇の夢は、準々決勝でついえた
パラリンピック3連覇の夢は、準々決勝でついえた【写真:伊藤真吾/アフロ】

 2004年、初めて出場したアテネパラリンピックの車いすテニスダブルスで金メダルを獲得。国枝慎吾(ユニクロ)は、2006年にシングルスの世界ランキングで1位をマークすると、その後はほとんどその地位を譲らず、2008年の北京パラリンピックでシングルス初の金メダルを獲得。さらに4年後のロンドン大会で2連覇を達成した。2009年にプロフェッショナルとしての活動を開始し、以降、絶対的王者として車いすテニスをリードしてきた。


「リオで優勝し、2020年、東京で4連覇を果たしたい」


 誰も見ぬ地平を歩んできたパラリンピックチャンピオンが、リオデジャネイロの準々決勝で、敗れ去った。相手は、ベルギーの27歳、ヨアキム・ジェラール。現在、世界ランキング2位の勢いある若手選手だ。試合は3−6、3−6のストレート負け。北京大会、ロンドン大会では国枝が同様に圧倒的なスコアで、対戦相手を次々と下し決勝まで上りつめていた。

2016年、アスリート人生最大のスランプに

 国枝は、敗れたことがニュースになる選手である。それほど、彼の経歴は輝かしいものだった。大きなニュースが世界を巡ったのは、今年1月。全豪オープンの準々決勝で、国枝はイギリスのゴードン・リードと対戦し敗退した。その試合の後、世界のコートから国枝の姿がいったん消えたのだった。


 国枝が元気な姿を見せたのは、5月に東京・有明で行われたワールドチームカップ(車いすテニス世界国別選手権)。シングルスとダブルスで戦う国別対抗戦に出場し、国枝は日本チームのリーダーとしてコートに立った。優勝はフランスに譲ったが、「クニエダ、健在」を示した。


 しかし、実際には、今年4月に右ひじを手術していた。長年のプレーによるひじ関節部分の痛みを、どうしてもパラリンピック前に払拭しておきたい。そう考えての決断だった。ロンドンパラリンピック前の2月にも手術を受けて、痛みを取り除いた上で2連覇を達成した経緯がある。今回も、リオで痛みのない利き腕をフル稼働させて、金メダルを獲得するはずだった。


「右ひじの痛みは、全く問題ありませんでした。ただ、自分の中の“試合勘”が最後まで戻りきっていなくて、非常に苦労していました。もっとも、100パーセント戻っていたとしても今日のジェラールに勝てたかどうかは、分からないです」

 リオの準々決勝で敗れた後、国枝はそう語った。


 4月の手術の後、毎年必ず出場しているジャパンオープンを欠場。ワールドチームカップを経て、6月に全仏オープンに出場したが、ここでも準決勝で敗れている。その後は治療に専念し、7月のウインブルドンには出場していない。


「試合に出ない分、じっくりとボール練習を重ねてきた。だから、不安はなかった」と、術後の経過が良好であることを、言い続けてきたのだった。痛みはない。しかし、実戦の舞台から離れたことで、本来の試合勘を取り戻すのが困難になったのだ。2016年は、国枝にとって、アスリートとしての最大のスランプになったのかもしれない。


「リオパラリンピックが1年前だったら。それならきっと負けていなかったと思う」

 そう、悔しさをにじませていた。

宮崎恵理

東京生まれ。マリンスポーツ専門誌を発行する出版社で、ウインドサーフィン専門誌の編集部勤務を経て、フリーランスライターに。雑誌・書籍などの編集・執筆にたずさわる。得意分野はバレーボール(インドア、ビーチとも)、スキー(特にフリースタイル系)、フィットネス、健康関連。また、パラリンピックなどの障害者スポーツでも取材活動中。日本スポーツプレス協会会員、国際スポーツプレス協会会員。著書に『心眼で射止めた金メダル』『希望をくれた人』。

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