非常識だからこそ「ビールかけ」だ! カネシゲタカシの『ぷぷぷぷプロ野球』
その日の様子。番組の収録でも、特に何かを成し遂げたわけでもない 【カネシゲタカシ】
自我の解放と日常からの離脱
そして、その儀式を加速するためのアイテムが「酒」。もともと「酒」に与えられた役割は味を楽しむことだけではありませんよね。そう、酔うことによる自我の解放、そして日常からの離脱。すなわちその機能は「祭り」とほぼ同じなのです。
とするならば、「祭り」で「酒」を飲むのは当然として、さらにそれを浴びたとしても、「日常からの離脱」を主たる目的とするならば、それは大変理にかなった行為だと言えます。
「もったいない」は確かにそうです。そして誰が見たって「非常識」です。しかし、もったいなくて非常識だからこそ「祭り」が成立し、自我が解放され、新たな英気が湧き出るのです。優勝へのプレッシャーから解き放たれた選手たちが存分に羽目を外し、ふたたび戦う力を蓄えるための祝祭の儀。それが「ビールかけ」なのです。
かつて音楽家の上田現は『お祭り』という曲のなかで「役に立ちそうなものはひとつもない」と歌いました。そう、それこそが「祭り」の本質なのです。かけあうなら水よりも酒がいい。どうせなら派手に吹き出すビールやシャンパンがいい。そこに「掃除が大変」などの合理性はありません。逆に言えば、合理性などあってはならないのです。
3469試合の果ての3000本
前回の優勝から25年…苦闘の末のビールかけを楽しむ広島の選手たち 【写真は共同】
試しにビールかけ反対派の方はこう考えていただけないでしょうか。ファンの誰かが「カープが優勝しますように」と願掛けで我慢した晩酌のビール1本。これが3469試合分集められて、この日のビールかけに使われたようなものだ、と。
戦いの末に栄光をつかんだ選手たちが、ご褒美に泡と戯れる光景。たしかに行儀は悪いけど、理屈ではなく良いものだと僕は思っています。皆さんはどうですか?