新潟高校球界の名将が大学に転身し4年 反スパルタで急成長した新潟医療福祉大

高木遊

ドラフト候補・笠原ら無名選手が活躍

新津高校時代は公式戦わずか2勝だった笠原。大学進学後にめきめきと力をつけ、現在は最速147キロの速球派左腕としてプロにも注目されている 【写真:高木遊】

 もちろん大前提としては、佐藤が高校野球の監督として長年培い、定評のある技術指導がある。ただその伝え方は、高校と大学では変えているという。

「大学の監督になって技術指導は全体に言うより個別に言うようにしました。大人なので、選手に聞く気がある時に伝える。例えば調子が落ちている時、良いスイングをしているのに結果が出ない時ですね」

 そうした細やかな目配りもあり、退部者はこれまでほとんどおらず、「家から近いところに行きたい学科があって、野球部ができるのは後から知りました」と一般受験で入部したエースの笠原は、左腕から最速147キロのストレートを投じるドラフト候補になった。さらに、この春には新人戦を優勝し初のタイトルを獲得するなど、高校時代に無名だった選手たちが大きな飛躍を遂げている。

親になれば“指導者”になる

笠原と談笑する佐藤監督。教え子には指導者にならなくとも、親として将来しっかりとした指導観を持って子どもたちに野球を教えてほしいと願う 【写真:高木遊】

 当然、次に目指すのは、今春に1敗差で逃したリーグ優勝と全国大会出場だ。またその目標とともに、佐藤は生まれ育った新潟を中心とした野球界発展を監督として、そして健康スポーツ学科の教授として尽力していきたいと考える。

「部員たちには将来、しっかりとした指導観を持って子供たちに野球を教えてほしい。それは教員でなくても、親になれば“指導者”になりますからね。また今、僕のゼミでは学生たちと、“子供たちにどうやったら野球を楽しんでもらえるのか”ということを研究し、その研究をもとにした野球教室も今後行う予定です」と話し、その未来像に目を細めた。

 教え子たちに主体性を持った人間になって欲しいと強く願う佐藤は、自身も率先して行動していくことを、どれだけ歳を重ねても止めるつもりはない。

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著者プロフィール

1988年、東京都生まれ。幼い頃よりスポーツ観戦に勤しみ、東洋大学社会学部卒業後、スポーツライターとして活動を開始。関東を中心に全国各地の大学野球を精力的に取材。中学、高校、社会人などアマチュア野球全般やラグビーなども取材領域とする。

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