鈴木啓太が浦和で現役引退を決めた心境 サポーターと築いた唯一無二のプロ人生
試合出場の妨げになった不整脈
14年のリーグ最終戦、自らのパスミスで失点を喫してリーグタイトルを逃し、このチームで果たす責任の重さを痛感した 【写真:アフロスポーツ】
診断結果は重いものだった。全力を注げば症状が出やすくなる。それでも意を決してJリーグ第34節・最終節の名古屋グランパス戦で途中出場し、致命的なパスミスから相手にゴールを奪われてチームがリーグタイトルを逃した時、彼はこのチームで果たす責任の重さと、それに見合う力を兼ね備えているのかを自問自答した。
翌15シーズンは鈴木の出場機会が大幅に減少した。不整脈の症状が試合出場の妨げになったのは確かだが、柏木陽介のボランチコンバート、青木拓矢の出場機会増など、チーム内の序列にも如実な変化があった。それでも鈴木は日々のトレーニングで鍛錬を続け、他のチームメートにプロサッカー選手であることの矜持(きょうじ)を示した。それはかつて浦和を去っていった同年代の仲間たち、田中達也(アルビレックス新潟)、坪井慶介(湘南ベルマーレ)らと同じ所作でもあった。
浦和一筋で現役を退く意味
「僕も29歳になって、そろそろサッカーをやめる、現役を引退する時期について考えるようになった。プロサッカー選手が現役を引退する。それって、とても重要な決断だと思う。いつまで続ける。どこのチームで終える。その決断は本人にしかできないし、それぞれの道筋がある。実際、僕は浦和から海外に移籍してしまったパターンだから、すでにひとつのチームで終えることはできない。でもね、ひとつのチームで終えた方が引退後のブランド価値が上がるとか、そういう考えで物事を考えられてしまうのは残念だし、悔しいとも思う。そんなに簡単なことじゃないんですよ、サッカーをやめるって。でも、もし啓太さんがその決断をするのならば、僕はそれだけ啓太さんが浦和というチームを大切に思っている証しだと思う」
15年10月20日。鈴木は自らのFacebookで浦和からの退団を発表した。その理由について、彼はこう話している。
「レッズというクラブで戦うためには100%じゃなければいけない。レッズはトップを争うチーム。アジアで戦うチームなので、トップコンディションでプレーできないのはチームのためにならない。今の僕はレッズの選手として戦うレベルではない。フィジカル的な問題が、この決断に至った理由です」
そして15年11月22日。Jリーグセカンドステージ第17節・ヴィッセル神戸戦後の退団セレモニーで、彼は自らの言葉で現役引退を発表した。
鈴木啓太は気づいてくれただろうか。去就を発表した時のサポーターの声を、表情を。大粒の涙をこぼし、何度も「啓太、啓太」と連呼する彼らの姿を。浦和のために身を賭して闘った16年間。リーグ、ヤマザキナビスコカップ、天皇杯、AFCチャンピオンズリーグの全タイトルを獲得した誇るべき実績。彼が果たした責務、多大なる貢献、揺るぎない魂は決して色褪せない。
浦和レッズサポーターだけではない。どんなクラブのサポーターも、チームの為に精魂を尽くして闘う選手には称賛の声を惜しまない。サッカーを愛する者ならば誰もが思うだろう。チームに心血を注ぐ選手をサポートすることに貴賎などなく、そこにはただ、同志としての結束と団結があるだけだ。
サポーターが見つけた唯一無二の「星」
本人が思っているよりも、浦和レッズサポーターは鈴木啓太のことを想っている 【写真:田村翔/アフロスポーツ】
「本当に引退をするのか、オファーをいただいているチームに行くのか。迷っていたところはありました。実際は自分自身、まだサッカーを続けられるのではないかという思いもあったのは事実です。その中で、退団することを発表したわけですけれど、そこから皆さんからのメッセージがあったなかで、やはり僕はこのチームが大好きだし、このチーム以上の思いを抱くチームには出会えないだろうと。またサッカーを続ける上でも、それが本当に正しいものなのかどうかは、僕の今までのやり方や進んできた道とは違うものになってしまうと考えて、引退をする決断へと徐々に固まっていった。僕みたいな下手くそな選手が浦和レッズと契約してもらえたのは、本当に奇跡に近い。よく僕みたいな選手を拾ってくれたなと思います。でも、その日から僕のレッズでの人生が始まって、良いことも悪いこともありました。でも、すべてはそこから始まった。そういえば、静岡のあのホテルで……って感じですね。
僕は良いプレーはしていないですけれど、チームのために、勝利のために、仲間のために全力で走ってきたし、それは自分の中で、ここは負けない、下手だけれど、ここは負けないって、ずっと思ってやってきたこと。それが良かったのかな。監督がそれを理解してくれて、周りに上手い選手がいて、僕が生きた。本当に良い時代にサッカー選手になれたという思いが、今はあります」
かつて筆者は、鈴木のことを冗談めかして「六等星」と評したことがある。本人はそれを聞くと、柔和な笑顔を浮かべながらこう言った。
「六等星? ずいぶん小さくて弱い光だね(笑)。でも、その方が俺らしいかもね。か細くて小さな光だけれど、誰かがそれを探してくれて、それを見つけてくれたらうれしいな」
浦和レッズのサポーターは鈴木啓太という「星」を見つけ、自らの頭上へ置き、ある時は往く道を照らす光にし、ある時は目印にした。決して見失うことなく、いつまでも輝く最愛の存在として、いつだって傍に居た唯一無二の「星」、それが鈴木啓太という選手だった。
本人が思っているよりも、浦和レッズサポーターは鈴木啓太のことを想っている。彼が刻んだ道筋を、栄光を、成果を、その魂を、ずっと想っている。啓太は今、その事実を実感しているはずだ。
それだけで、彼のサッカー人生は、何よりも幸せだった。