クラマーさんがサッカー界に残した教え いつの時代も変わらない大切なもの
指導者に求められるのは「好奇心」
「指導者は選手に好奇心を持たせるようにしなければならない」。それがクラマーさんの持論だった 【写真:山田真市/アフロ】
技術の使い方についてもそうだ。ある日、ベッケンバウアーとともにあるバイエルンの試合を観戦しながら、「ボールをいくら支配していてもサイド攻撃ばかりでは怖くはない。中央にずれが出た時にワンツーパスで抜ければそこにはゴールがあるんだ。サイド攻撃が何のためにあるのかを忘れてはいけない」ということを二人で話していたという。いつ、どこで、どのようなプレーをするために、どんな技術が必要なのか。そこへの詳細なアプローチがなければ、選手は戦い方を身につけることはできない。
指導者に求められるものとしては「好奇心」というキーワードを挙げていた。「アインシュタインはこう言っていた。『私は何も特別な才能など授かってはいない。ただ一つ何か人より優れているものがあるとすれば、それは好奇心だ。私は自分の好奇心を抑えることができない』と。選手もそうあるべきなのだ。常に好奇心を持って自身を向上させることに取り組まなければならない。となれば、指導者は選手に好奇心を持たせるようにしなければならない。ミーティングで寝ている選手がいる。ボーっとしている選手がいる。それは彼らに好奇心がないからだ。好奇心があれば居眠りすることなどありえない」と言い切っていた。「選手が話を聞かない」とぼやく前に、この人の話を聞きたいと思えるだけのものをあなたは提供できているだろうか。
自分を律し、選手をリスペクト
自分を律し、選手をリスペクトしたからこそ、多くの人の心をつかむことができたのだろう 【写真:アフロスポーツ】
「指導者は選手にとっての理想像でなければならない。ドイツにも腹の出たプロコーチがたくさんいるが全くもってふざけている。お腹をユサユサさせていすに腰を下ろしながら笛を吹き、自分は何もしない。そんな指導者の言うことをどうして選手がリスペクトを持って聞くことができるか。自分を律し、自分の体を鍛えることもできない指導者にどうしてプロを指導することができるか」
クラマーさんほど自分を律していた指導者をほかに知らない。「何歳になっても身体は鍛えておけ。私は今でもスキーをしたり、パラグライダーで体を動かしているよ」と言って笑っていた。83歳の時の言葉。そこには確固たる信念が生き続けていた。指導者とは自己権威をひけらかすものではない。指導者という地位を武器に選手を押さえつけるものではない。これはサッカーだけではなく、日常のあらゆる場面に当てはまることではないだろうか。
どれだけ戦術が進歩しても、テクノロジーが発展し、データ分析が進んだとしても、それと向き合うのはあくまでも人間なのだ。人としてのあり方を度外視しては、サッカーと向き合うこともできない。一つ一つの言葉がこれからの世代にも伝わっていくように、今はまだ肩ひじ張ったままでしかできなくとも、クラマーさんの教えを自分なりに体現してやっていきたい。きっとそれが僕らにできる恩返しになるはずだから。