フェデラーが今なお進化し続ける理由 誰よりもテニスを愛する不世出の天才

内田暁

今なお進化している理由

錦織はかつて、憧れのフェデラーを「おちゃめ」な人と表現していた 【写真:アフロ】

 そのフェデラーのことを、錦織は以前「おちゃめ」だと形容したことがある。「練習の時はすごくリラックスしているし、良い意味で遊んでいる。なのに打つボールはすごく伸びてくる」。偉大なる憧れの存在は錦織の目に、オフコートでは人懐っこく、遊び心に満ちた“テニスが大好きな人”に映った。

 日本人3番手で世界ランキング112位のダニエル太郎(エイブル)も、フェデラーに尊敬の眼差しを向ける一人である。ただ、多くの選手がフェデラーのプレーの全能性に憧れるのに対し、まったく異なるプレースタイルのダニエルが見るフェデラー像は興味深い。

「フェデラーは、テニスをやっている人の中で一番楽しそうで、そこに憧れます。あの年齢でもあれだけ勝って、楽しそうに頑張ってやれているところです。あの『テニスを生きている』という感じのバイブ(雰囲気)がすごく好きですね」

 テニスが楽しい――身も蓋もない言い方になってしまうが、ダニエルや錦織らが感じたその“バイブ”こそが、34歳を目前に控えた彼が第一線でプレーを続けるのみならず、今なお進化している理由ではないだろうか?

いずれ訪れる引退は「まだ先の話」

テニスを愛して止まない天才のプレーを見られる幸福は、まだしばらく続きそうだ 【Getty Images】

 フェデラーの、テニスに対する愛情と敬意を、象徴的に示すシーンがあった。

 昨年11月の、ロンドンで開催されたATPワールドツアー・ファイナルズ。この大会では年間の各賞受賞者たちの表彰が行われ、フェデラーは「ステファン・エドバーグ・スポーツマンシップ賞」を受賞した。この賞がフェデラーの現コーチの名を冠するのはもちろん、その人物こそが、テニスプレーヤーのあるべき姿勢を体現してきたからに他ならない。

 この年の授賞式で、フェデラーに賞を手渡したのは、エドバーグであった。敬愛する人物からトロフィーを受け取ったとき、「テニス史上最高の選手」と呼ばれる彼が、2万人のファンの前で人目もはばからず、涙を流した。17のグランドスラムタイトルを持つ男が、「これは、僕のキャリアでもっとも価値のある賞だ」と、感極まり言葉をつまらせた。それは、少年の日から抱き続けてきた夢が、もっとも純粋な形で成就した瞬間だったに違いない。成熟し紳士然とした印象の強いフェデラーだが、きっと彼の本質は、“永遠のテニス少年”にこそある。
 
 そんな彼もいつの日か、彼を敬愛する数多のテニス少年の一人のコーチとなり、エドバーグから受け継いだ精神とテニスへの愛情を、未来につなぐ日が来るのだろうか?

「ステファンが言っていたんだが……」

 彼は、先達の経験を引き合いに出した。

「ステファンは引退するシーズンの最初に『今年が最後だ』と宣言した。そうしたら行く先々でイベントが開催され、疲れてしまったと言っていたよ。だから僕は、宣言はしないと思う」

 つまりは、別れは唐突に訪れるということだ。われわれは、それを覚悟しなくてはいけない……そんな沈痛な雰囲気を悟ったか、フェデラーは笑みを浮かべて、すぐに続けた。

「いずれは、そんなことも考えなきゃいけないだろうけれど、それはまだ先の話だよ」

 少年の心を持った不世出の天才――そんな奇跡が見られる幸福は、まだしばし続きそうだ。

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著者プロフィール

テニス雑誌『スマッシュ』などのメディアに執筆するフリーライター。2006年頃からグランドスラム等の主要大会の取材を始め、08年デルレイビーチ国際選手権での錦織圭ツアー初優勝にも立ち合う。近著に、錦織圭の幼少期からの足跡を綴ったノンフィクション『錦織圭 リターンゲーム』(学研プラス)や、アスリートの肉体及び精神の動きを神経科学(脳科学)の知見から解説する『勝てる脳、負ける脳 一流アスリートの脳内で起きていること』(集英社)がある。京都在住。

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