騎馬民族の証し? 阪神◎ミロティック 乗峯栄一の「競馬巴投げ!第93回」

乗峯栄一

「ネン族だ」「は?」

[写真4]デニムアンドルビーと角居調教師、一発あっておかしくない 【写真:乗峯栄一】

 日本古代史学会では騎馬民族征服王朝説というのはほとんど下火になっているということだ。しかし四世紀から五世紀前半の天皇朝に何かあったのは確実のようだ。

 初代神武から十四代仲哀までは“神武王朝”と言われて、まあほとんど推定だが、飛鳥あたりを都にしていた。十五代応神から二十五代武烈まで“応神王朝”とか“仁徳王朝”とか言われ、中国史書にも“倭の五王”として記されているこの部分が江上波夫の言う征服王朝で、この時代の大王は飛鳥ではなく、いまの堺や藤井寺、いわゆる百舌(もず)古墳群や古市(ふるいち)古墳群のあたりを根拠地にしている。いまの大阪市あたりは当時は“河内湖”って言って海水の入り込んだ大きな汽水湖で、そこに船で大陸から馬を運んできた。その河内湖の周り、今の四条畷(しじょうなわて)や枚方に牧場を作って、騎馬軍を作り、飛鳥の豪族を押さえていたという、そういう説はまったくの荒唐無稽とは言えない。

「あそこに天王山見えるよな」と講師は淀川の向こうに見える新緑の山を指さす。「あの天王山の西の端、名神高速の下に今城塚(いましろづか)古墳という巨大な前方後円墳がある。第二十六代継体天皇の墓だと言われている。なぜ継体は神武王朝の飛鳥でも、倭の五王の大阪平野南部でもなく、淀川の北側に墳墓を作ったか。今でこそ淀川岸は大阪と京都を結ぶ大動脈になっているが、当時の主要な水脈は淀川ではなく、難波・河内湖の南の飛鳥川・大和川水系だった。継体だけなぜぽつねんと、当時ひなびた所であったに違いない淀川北岸に墓を作ったか。継体は先代武烈とは微かな血縁しかない。武烈に継嗣(けいし)がなかったため、福井の田舎にいた応神の五代孫の継体を呼んできたと言われている。そんな、五代前のマタイトコなんて、一般の人間でも親戚とは言わんだろう。さらに連れて来られた継体は飛鳥ではなく、この牧野のそばの樟葉に宮を作って五十七歳で即位した。そのあとも筒城(つづき)今の京田辺市、弟国(おとくに)今の長岡京市と、難波とも飛鳥とも離れた所に宮を移しつつ、二十年経ってやっと飛鳥に入っている。まるで飛鳥に入るのが嫌で淀競馬場の周りをぐるぐる巡っているみたいじゃないか」

 ぼくが「ふう」と息を吐いていると、講師はにやっと笑い、「ネン族だ」と言う。

「は?」

「いいか」と言って、講師はまた世界地図の沿海州のあたりをバンと叩く。「古代スキタイにはフン族のほかに北方を巡っていたネン族という有力氏族がいた。フン族・匈奴が朝鮮半島から瀬戸内海を通り、馬と一緒に難波河内湖に入ってきたのとは別に、ネン族は途中、鮮卑(せんぴ)や突厥(とっけつ)という騎馬民族国家を作りながら北方のアムール川河口あたりから外興安嶺(そとこうあんれい)を通って、今のウラジオストク周辺から帆船に馬と食料を乗せ、能登・福井あたりに上陸してきた。フィンランド人のニッカネンと、関西人のドナイナッテンネンは、千五百年前に東西の端に行き着いて花開かせた。継体天皇こそ、北方騎馬民族ネン族の倭国定着の祖だった。わが国の古代騎馬隊の英雄だ」

阪神大賞典、この距離こそセン馬ミロティック

[写真4]前走が強かったメイショウカドマツ、重賞のここでも侮れない 【写真:乗峯栄一】

 江上波夫が提唱し“枚方講師”も心酔していた騎馬民族征服王朝説だが、大きな弱点は「日本は近代まで去勢技術を持たなかった」ということだと言われる。考古学者の佐原真などが、さかんにこれを主張する。「遊牧騎馬民族なら、去勢技術は不可欠の文化のはずだ。群れで生活する馬、牛、羊などの家畜にとって、メス一頭一頭は繁殖に欠かせられないが、繁殖オスは優秀なごく少数の頭数で事足りる。むしろ繁殖オスが多頭数いれば混乱のもととなって、家畜集団を制御するのに不都合となる」という主張だ。これは「騎馬民族は来なかった」説の大きな根拠になっている。

 ようやくここで、阪神大賞典の話になる。まだ外国より用例は少ないようだが、最近は日本の競走馬去勢技術も進歩してきた。大陸から馬が渡来して以来1600年、ようやく遊牧騎馬民族の文化水準に並んだということだろうか(モンゴルの相撲力士は瞬時に馴染んでしまったが)。

 最近一番の去勢成功例はカレンミロティック[写真1・平田調教師と共に]だろう。4歳で施術を受け、すぐに効果てきめんとはいかなかったが、じりじりと成績を上げてきた。オルフェーヴルの有馬も6着に踏ん張ったし、ゴールドシップの宝塚記念もあわやの2着だった。三千は自身はじめての距離だが、この距離こそ、セン馬の特性を発揮するものではないか。男性ホルモン満々のときは「とにかく先頭に」と思っただろうが、いまならじっとしていられる。鞍上の意思に従う。悲しいことかもしれないが、それがセン馬の特性だ。

[写真6]逃げがさえるスズカデヴィアス、阪神コースでも粘りこみを狙う 【写真:乗峯栄一】

[写真2][写真3]は恐らく人気を二分するであろう、重賞連勝馬ラブリーデイと、GI5勝馬ゴールドシップである。

[写真4][写真5][写真6]は、角居調教師と共に一発あるデニムアンドルビー、前走いい勝ち方をしたメイショウカドマツ、同じく前走いい逃げ粘りをみせたスズカデヴィアスだ。

 この5頭に日経新春杯でよかったフーラブライドを加えて買いたい。

 阪神大賞典カレンミロティック(6)頭固定、ヒモに(7)(8)(2)(4)(10)(9)の6点、計30点でいく。

 写真はないが、スプリングSは京成杯で強かったベルーフから行きたい。
 スプリングSベルーフ(3)頭固定、ヒモに(6)(1)(8)(12)(5)(7)の6点、計30点でいく。

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著者プロフィール

 1955年岡山県生まれ。文筆業。92年「奈良林さんのアドバイス」で「小説新潮」新人賞佳作受賞。98年「なにわ忠臣蔵伝説」で朝日新人文学賞受賞。92年より大阪スポニチで競馬コラム連載中で、そのせいで折あらば栗東トレセンに出向いている。著書に「なにわ忠臣蔵伝説」(朝日出版社)「いつかバラの花咲く馬券を」(アールズ出版)等。ブログ「乗峯栄一のトレセン・リポート」

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