歴史的惨敗から立ち直りつつあるブラジル ドゥンガ体制復活で取り戻した自信

大野美夏

なんとなく納得したドゥンガという選択

セレソンの指揮官に返り咲いたドゥンガ。この熱血漢が選手たちに求めているものは強いメンタリティーだ 【Getty Images】

 再びドゥンガがセレソン(ブラジル代表の愛称)に戻ってきた。ブラジルは地元開催のワールドカップ(W杯)準決勝でドイツ相手に1−7という恥辱的スコアで完敗。サッカー王国の誇りを完全にたたきのめされた。1950年のブラジルW杯、マラカナンスタジアムでウルグアイに敗戦を喫した時と同じくらいの大きなショックを国民は受けた。試合を見ていた国民だけでなく、ピッチにいた選手が「信じられなかった。何が起きたのか理解できなかった」と言っていたが、国中がこの敗戦を大きな心の傷として残すことになった。

 一時は屈辱的敗戦に、もうブラジルのサッカーは通用しないのかなどと過激な意見も飛び交ったが、いつまでも落ち込んではいられない。冷静になってみれば、ブラジルサッカーの実力、ポテンシャルがすべてゼロになったわけではなく、敗戦を教訓に悪いところを改善し、前に進もうという建設的な意見も上がっている。

 まだショック状態から抜けきっていない時に、CBF(ブラジルサッカー連盟)は新チームの監督にドゥンガを選んだ。コリンチャンスの監督として2012年のクラブW杯で世界一になったチッチの名前も挙ったが、CBFは強いセレソンを取り戻すには強い指揮官が良いと判断した。ドゥンガは再びブラジル代表監督としてのチャンスをもらうことになった。

 とはいえ、ドゥンガが画期的な戦術を持っている優秀な監督かどうかは意見が分かれるところだ。南アフリカW杯敗退の責任を問われ、セレソンの監督を退いた後、古巣インテルナシオナルの監督を務めたが、芳しい成績を残すことなく退任した。好きな選手を選べる代表では、戦術以上に“チーム”をまとめあげられる人物が適任なのかもしれない。そういう意味でドゥンガという選択に世論はなんとなく納得した。

指揮官が求めるもの

 ドゥンガが求めるものは、はっきりしている。「勝者のメンタリティーで戦う意思を強く持つこと。それ以外はない」と言い切る。

「セレソンに呼ばれてもおかしくない才能ある選手が軽く50人はいる。しかし大事なことは、優秀であることに加え責任感があり、高い集中力を持ち、パフォーマンスにムラがないこと。常にハイレベルのプレーができなければいけない。そして、クラブでプレーすることとセレソンは違う。この切り替えが理解できないといけない。セレソンではほんの小さなミスが命取りになる緊張感がクラブ以上に必須なんだ。そして、常に大きな批判と隣り合わせである覚悟も必要だ」

 戦術については、「いろいろな選手にチャンスを与え、選手の個性、テクニックを生かしながら、適切なフォーメーションを見つけてチームを作っていく」と言う。

 ブラジルW杯で最も活躍し、同時にチームを背負いすぎたネイマールについては「練習でも試合でもネイマールの責任をみんなで分担しようとしている。ただ、これまでの優勝チームには58年のガリンシャ、70年のペレ、94年のロマーリオのように決定打を決める選手がいた。ネイマール1人で戦うわけではないが、ネイマールこそがフィニッシュを決める選手なんだ」と言い、22歳のネイマールにキャプテンマークを一任した。

 セレソン監督再デビュー戦となったコロンビア、エクアドル戦はブラジルW杯の選手とニューフェースを半々の割合で起用し、両試合とも1−0と辛勝ながらも白星スタートを切ることができた。何よりも重要だったのは、勝ち癖をつけ自信を持つことだった。

マウロ・シルバが選手たちに伝えたこと

 新体制がスタートしたとはいえ、まだまだ人材がそろわない中、この2試合限定でスタッフとして参加した元セレソン選手がいた。94年の米国W杯でドゥンガとともにダブルボランチを組んだ相棒マウロ・シルバだった。

 13年間スペインのデポルティボ・ラ・コルーニャでプレーし、数々のタイトルを勝ち取った経験豊富なマウロだが、94年W杯で優勝するまでのセレソンでの道のりは決して簡単なものではなかった。苦しかったこと、それを乗り越えて24年ぶりに優勝した経験から得たことを選手たちに伝えた。今、選手たちに必要なことは自信を取り戻し、セレソンとは何か、何をしなければいけないかを選手1人ひとりに説いた。

「1−7で負けたことは、選手たちの心に大きな痛みとして残っている。しかし、ドゥンガが90年のイタリアW杯で敗退し、批判の集中打を浴びせられながらも、それを乗り越えて、94年W杯で優勝を手にした姿をお手本にしてほしい。ドゥンガならこの状況を変えることができる」

 そんなドゥンガの強い印象をネイマールもしっかりと受け取った。
「これまでドゥンガを外から見てきただけだったが、こうしてそばで一緒に仕事をして驚くほどポジティブな衝撃を受けた」

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著者プロフィール

ブラジル・サンパウロ在住。サッカー専門誌やスポーツ総合誌などで執筆、翻訳に携わり、スポーツ新聞の通信員も務める。ブラジルのサッカー情報を日本に届けるべく、精力的に取材活動を行っている。特に最近は選手育成に注目している。忘れられない思い出は、2002年W杯でのブラジル優勝の瞬間と1999年リベルタドーレス杯決勝戦、ゴール横でパルメイラスの優勝の瞬間に立ち会ったこと。著書に「彼らのルーツ、 ブラジル・アルゼンチンのサッカー選手の少年時代」(実業之日本社/藤坂ガルシア千鶴氏との共著)がある。

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