ジーターと同時代を生きられた喜び 美しすぎる幕引き…ありがとうキャプテン

杉浦大介

ジーターがくれた“記憶の遺産”

ニューヨーカーにとって、ジーターと過ごした思い出はかけがえのない財産に。すべてのファンが感謝していることだろう 【Getty Images】

 ジーターがメジャーリーグにデビューした翌年の1996年から、ヤンキースの黄金期は始まった。以降の19年で16度もポストシーズンに進み、世界一にも5度到達。その過程でジーターは数え切れないほどのドラマチックなシーンを演出し、“キャプテン・クラッチ”の愛称も勝ち得た。

 全米同時多発テロ直後のニューヨークにて、時計の針が深夜を回り、ワールドシリーズが史上初めて11月にもつれ込んだ瞬間、鮮やかなサヨナラ本塁打を放ったことがあった。ヤンキース史上初めての3000本安打を、左翼席に運ぶ見事な本塁打で飾って地元ファンを感嘆させたことがあった。

 私たちニューヨークの人間は、そんな劇的なシーンを何度も見せられてきた。だとすれば、最後のホームゲームでとびきりのクライマックスが用意されていたとしても、実は驚くべきではなかったのかもしれない。

「何かの記念品よりも、デレク・ジーターとともに過ごした時間の思い出の方を大事にしたい。通算3000本安打は特別だったし、クラブハウスで一緒に(優勝を)祝ったこととか、そういった記憶の方が私には特別なんだ」

 25日の試合前、ヤンキースのジラルディ監督が心を込めて語ったそんなセリフに、同意するニューヨーカーは多いのではないか。90年代後半から2000年までにダイナスティ(王朝)を築いたヤンキースは、ほとんど魔法のように強かった。その中心的存在となったジーターの出現は、ベースボールに関わるすべての人間にとっての喜びだった。

 ニューヨークのファンに数多くの“記憶の遺産”をプレゼントし、最後に素晴らしい幕引きを用意し、ジーターはメジャーリーグの舞台を去っていく。

 たとえ本人が何と言おうと、あらためて“ありがとう”と伝えることは止められそうにない。常にハードにプレーし、真摯な態度でゲームに臨み、それでいて楽しむことを忘れなかった。そんなキャプテンと同時代に生きられたことに、私たちは心から感謝する以外にないからである。

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著者プロフィール

東京都生まれ。日本で大学卒業と同時に渡米し、ニューヨークでフリーライターに。現在はボクシング、MLB、NBA、NFLなどを題材に執筆活動中。『スラッガー』『ダンクシュート』『アメリカンフットボール・マガジン』『ボクシングマガジン』『日本経済新聞・電子版』など、雑誌やホームページに寄稿している。2014年10月20日に「日本人投手黄金時代 メジャーリーグにおける真の評価」(KKベストセラーズ)を上梓。Twitterは(http://twitter.com/daisukesugiura)

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