パラリン成功に必要な心の段差への気付き=日本が抱える最大の問題 後編

スカパー!

障害があるかどうかではなく、アスリートかどうか

2020年東京パラリンピックを前に、日本が直面する最大の問題とは何か 【Getty Images】

 2月のソチパラリンピックでクロスカントリーとバイアスロンに初出場した阿部友里香選手(日立ソリューションズ)は、左腕に障害を持ちながらも、中学時代はバレー部でアタッカーをしていたそうです。偶然、当時の顧問の先生のインタビューを見ましたが、「彼女を障害者だと思ったことは一度もない」と語っていました。この言葉がすべてを表しています。本当にその通りだと思います。

 私や中継スタッフが初めて車いすバスケットボールの選手と接した時は、「障害者に対して、とにかく失礼が無いように振る舞わなくては」ということしか頭に浮かびませんでした。しかし、阿部選手のように、他の健常者の生徒と同様に――おそらくはそれ以上に――勉強やスポーツに打ち込んでいる人に対して、障害者だと思って接することこそ、阿部選手にもご家族にも失礼になります。他のパラリンピアンやそれを目指している選手たちに対しても、全く同じことが言えると思います。
 
 心の段差が無くなるということは、障害があるかどうかではなく、アスリートかどうかという判断ができることと同意です。あれほど迷っていた私も、初対面の選手でも、健常者のアスリートと全く同じ接し方ができるようになりました。と言うよりも、障害者とか健常者という概念さえ無くなったように感じます。取材時の円滑なコミュニケーションが、競技中継にも好影響をもたらしたことは言うまでもありません。

 さらには、パラリンピアンをアスリートとして判断できれば、本当にケアやサポートが必要な障害者のことを認識できるようになります。障害を個性と言い切れるアスリートにも、今まさに障害と向き合っている方にも、それぞれに対してしっかりとした接し方ができるということは、スポーツ文化の成熟のみならず、高齢化社会への対応という意味でも、日本が1つ上のレベルに上がる要素になると言っても言い過ぎではないと思います。つまり、その段差が無くなることは、パラリンピック成功の最低条件であるとともに、パラリンピック以外の効果も図れる可能性すらあるのではないでしょうか。

最大の問題は、気付いてすらいないこと

 ですが、本コラム前編(3月25日掲載「パラリンピックを開催する資格と自覚」)の中では「心の中の段差そのものが問題なのではない」と記しました。なぜならそれを無くすことはとても簡単だからです。何回か、もしかしたら1回だけでも、選手のプロフィールを知り彼らのプレーを見れば、障害者ではなくアスリートそのものだと認識できます。段差など一気に無くなってしまいます。

 問題なのは、私や中継スタッフがそうであったように、心の中の段差を持っていたとしても、その存在に気付いていないことです。そして、気付いていないのですから、当然ながら、段差を無くそうとも思わないことです。私が最大の問題だと指摘したいのは、多くの日本人が、私やスタッフと同じように気付いてすらいないのではないか、ということです。

 2020年には世界中から障害者の方々が来日します。すべてがアスリートとは限りません。その時になって、どう接したらいいのか迷い、段差に気が付いた時には東京パラリンピックが終わってしまいます。「街づくりや施設を完璧にバリアフリー化しさえすれば、あとは日本の“おもてなし”精神が何とかしてくれるだろう」と安易に考えていては、残念な結果になりはしないかと危惧しているのです。

1/2ページ

著者プロフィール

新着記事

編集部ピックアップ

コラムランキング

おすすめ記事(Doスポーツ)

記事一覧

新着公式情報

公式情報一覧

日本オリンピック委員会公式サイト

JOC公式アカウント