大神雄子、中国で得た計り知れない収穫 バスケ人生の転換期となった新たな出会い
“助っ人”アジア人としてリーダーシップを発揮
“助っ人”アジア人としてリーダーシップを発揮。「自分の理想とするバスケも見えた」と語る 【小永吉陽子】
フォーメーションは主に4〜5個だったが、エントリーのしかたは対戦相手やディフェンスの位置によって異なる。ディフェンスにおいても幾つものチェンジングを駆使。モンデロHCは相手を想定した戦術プランを立て、選手一人一人の声に耳を傾け、ファミリーのような結束を求めてディスカッションを繰り返した。それはたった4カ月間しか共にしないからこその絆の深め方だった。常に中国語、スペイン語、英語が飛び交う中で、大神はヘッドコーチの意図を理解し、中国人と米国人に英語で指示を出し続け、アクシデントがないかぎり40分間出続けたのだ。それは「頭も体力も気も遣う4カ月」だった。
こんなこともあった。大神に対しては「日本代表のキャプテン」として敵対心をむき出しにする選手もいた。そうした気性の荒さやラフプレーとの対峙(たいじ)は日本にいては体験できないことで、大神が中国で認められた“ありがたき洗礼”だったともいえる。WNBAに挑戦していたときは逆だった。チーム内で信頼を勝ち取れなくてパスをもらえずに悔しい思いもした。日本代表のキャプテンとして中国にやって来た大神は、まさに即戦力としての結果が求められたのだ。
そんな“助っ人”に対するモンデロHCの要求は高かった。山西では司令塔としてゲームメークすることが何よりの仕事。もちろん、これは本人が望んだことではあるが、山西ではムーアがファーストオプションであり、自身の得点力を生かしたシュートチャンスはめっきりと減ってしまう葛藤もあった。得意のジャンプシュートよりも、確率が高いレイアップシュートが好まれ、ファウルをもらって打開するプレーも要求された。
「日本ではディフェンスをかわしてノーマークを作ることが多いけれど、ここではフィジカルコンタクトが当たり前だし、まず先手を取るゲームメークが求められた。シュートタイミングを逃さないことや、ファウルを有効に使ったり、オフェンスの選択肢が増えました」
懸念していたフル出場するためのスタミナ面や、広い国土を移動する疲労においても、個人トレーニングと食事バランスを徹底管理することで、体調を整えることができた。これはひとえに、これまでの教訓が生かされたからだ。
「米国では何をどう食べていいか分からなかったし、トレーニングをひたすらやったりして失敗もあったけれど、疲労骨折の手術をしてからは自分に必要なトレーニングと栄養について勉強するようになりました。スポーツ選手というのは試合だけじゃなく、日々の生活からしっかり取り組んでいくことが大切なんだなと、コンディションを整えられたことで一つの答えが出せました」
そんな大神の取り組む姿勢に対してモンデロHCは賛辞を贈っている。「シンはチームのボスとして、ポイントガードの仕事を完璧にこなしてくれた。ありがとう。次は日本対スペイン戦で会おう!」
「自分の理想とするバスケが見えてきた」
大神の次なる進路は未定だが、海外挑戦の先駆者としてやるべきことは、「いろいろな環境に飛び出して経験することは、個々の、ひいては日本のレベルアップにつながる」という自身が体験して証明したことを伝えていくことだ。そして何かを決心したように、こうも言った。
「ルーカス(モンデロHC)と出会ったことが自分の人生の中でとても大きく、あの情熱には心が揺さぶられました。自分の理想とするバスケが見えてきたので、もっともっと勉強しなくては」
31歳。大神のプレースタイルは変わりつつある。昨秋のアジア選手権では要所のシュート力でけん引しながらも、リーダーとしてチームを掌握する役割が増えていた。大神にとってこの中国リーグ参戦は、キャリアアップを図ると同時に、新しいスタイルのゲームコントロールを学び、選手としての転換期を迎えた場所だったといえるだろう。
<了>