競泳現役時代の「運命的な出会い」 伊藤華英のピラティスレッスン(1)
【坂本清】
けがによって実感したピラティスの大切さ
伊藤華英さんとピラティスの出会いは現役時代にさかのぼる 【坂本清】
私は04年から08年までの4年間を、満身創痍(そうい)で駆け抜けてきたといえる。その4年間は、五輪に出場したいという一心でトレーニングに明け暮れた。水中トレーニングのほかに、ウエートトレーニング、体幹トレーニングなど、数々のトレーニングをこなし、当時の私の身体はアウターマッスル(表面にある筋肉)が相当強かった。スクワットは100キロを超えていた時期もあったほどだ。
当時、私はダイナミックなトレーニングを主にやっていたこともあり、ピラティスのトレーニングの緻密さに物足りなさを感じた、というのが最初の印象だった。筋肉質で相当締まった身体だったし、トレーニングをたくさんしている自分に自信もあった。
しかし、そんな中、ある出来事が私を襲った。09年、ローマで行われた世界選手権での胸椎ヘルニアと膝の脱臼――。酷使した身体が悲鳴を上げたのだった。
正直なところ、この瞬間にピラティスのトレーニングの大切さを実感したといっていい。けがをしてからは、優秀なトレーナーの方々の力を借りてリハビリ治療を行い、徐々に回復していったが、背泳ぎはもはや泳げなくなってしまった。次のロンドン五輪に向けては、腰や膝に負担のない自由形への転向を決断。苦しいリハビリと向き合っている最中に、ピラティスに対して「これは何かの合図かもしれない」「運命的な出会いかもしれない」と感じた。その時の気持ちは、今も鮮明に残っている。
軸がしっかりすれば心もぶれない
一歩踏み出せば、できたも同然。ピラティスライフを一緒に始めましょう! 【坂本清】
歴史をたどれば、ピラティスは第一次世界大戦の時にドイツ人看護師だったジョセフ・ピラティス氏が、負傷兵のリハビリトレーニングとして開発したものである。要するに、ピラティスはエクササイズに近いところから来ているのだ。
このようなピラティスの背景を知った私は、自身の経験を生かして、アウターマッスルばかり強く、中身がスカスカでは本当に強いのではないということを、多くの人に伝えていきたいと考えるようになった。自然の流れで、将来はピラティスインストラクターになりたいと思った。
12年のロンドン五輪後に引退するまで、時間の許す限り、ピラティスのレッスンに通った。同時に、アスリートだった私は理学療法士の方、トレーナーの方、マッサージ師の方、鍼灸治療の方、さまざまな先生にお世話になり、けがなく競技人生を終えることができた。引退後はピラティスの資格を取得し、現在は指導者としての活動も行っている。
一歩踏み出せば、できたも同然
前述のように、心と身体のバランスを整えて、生活を豊かにしてくれるのがピラティスです。1日30分でもいいから自分のための時間を作ると、気持ちがすっきりします。やり始めるのに勇気が必要ですが、一歩踏み出せば、できたも同然。これからスポーツナビDoでは、肩こりや腰痛、猫背などを解消するエクササイズを紹介していきます。ピラティスライフを一緒に始めましょう!
(衣装協力:「GreenHeart」)
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