「歴史の必然」だったドーハの悲劇=絶望や失望を乗り越えて迎えた新時代
「幼年期」が終わり、日本サッカーは「青年期」へ
「ドーハ」を体験し、それを乗り越えるという作業を通じて、日本のサッカーは「新時代」を迎えた 【写真は共同】
明治以前にも世界に誇る文化と文明があった。しかし明治維新によって世界の仲間入りをする態勢ができ、そのなかで競争し、強調し、ときに衝突しながらも、日本はひとつの国家社会として世界に認められ、発展してきた。
93年のJリーグ誕生は、68年メキシコ五輪銅メダルという金字塔を持ちながらも、誤解を恐れずに言えば「趣味の延長」だったサッカーを、社会的な責任を伴うプロフェッショナルとすることで、日本のサッカー人の意識を変革し、国際的なサッカーの一員となるための大改革だった。
その年にW杯予選が行われ、「ドーハ」が日本サッカー界の前に大きく立ちふさがったことは、決して偶然ではなく、「歴史の必然」だった。Jリーグをスタートさせただけでは、本当の改革はできなかった。「ドーハ」を体験し、それを乗り越えるという作業を通じて、初めて日本のサッカーは本当の「新時代」を迎えたのだ。
いわば、「ドーハ」は、日本サッカーの「幼年期の終わり」をうながす出来事だった。「ドーハ」という壁が提示されたことで、日本のサッカーに関係するすべての人がそれを乗り越える方法を模索し、努力することで、日本のサッカーに「青年期」をもたらしたのだ。
そう、日本のサッカーは今、「青年期」にある。
困難や苦労を重ね、「成熟期」へ
もちろん、女子サッカーもその枠内にある。女子サッカー界も、「ドーハ」に大きな刺激を受けて成長の糧としたことでは例外ではない。そして日本女性ならではの強さは11年女子W杯優勝という大きな驚きをもたらし、それが男子選手たちの意識を高め、さらなる成長へと導いている。
だがそれでも、ときに甘さを露呈して手痛い経験を回避できないのも、日本のサッカーがいまだに「青年期」にあり、「成熟期」に至っていないことを示している。もしかしたら、時間がかかっているのは、「極東」という地理的なハンディキャップが原因かもしれない。バラエティーに富んだ強豪と日常的に交流できるという状況であれば成熟のスピードは上がったかもしれないが、急激な「大陸大移動」でもない限り、日本がヨーロッパサッカー連盟(UEFA)の一員になることはできない。あるがままの世界を受け入れ、工夫と努力によって成熟へのスピードアップを図るしかない。
その「フロンティア」を担うのは、もちろん日本代表チームであり、その選手たちだ。W杯でどんな戦いを見せるか、そして所属するクラブ、とくにヨーロッパのトップリーグに属するクラブでどんな取り組みを見せ、所属するチームを勝利に、そしてタイトルに導くことができるか……。その1つひとつが、日本サッカーの成熟の糧となる。
就任から1年間は負けることを知らず、そのままの勢いでW杯予選も勝ち抜いた「ザック・ジャパン」だったが、W杯ブラジル大会を8カ月後に控え、今、大きな試練に立たされている。だが「ドーハ」は、そしてその後の多くの出来事は、「艱難(かんなん)汝を玉にす(困難や苦労を重ねることによってこそ、人間は大成される)」という言葉の正しさを示している。
現在の困難は明日の成長の力――。お手軽に問題を解決してくれる「ドラえもんのポケット」はない。現在の問題から逃げずに向き合い、解決の努力を続けるしかない。「ドーハ」の教えを、日本を代表するサッカー選手たちは十分理解しているはずだ。
<了>